27
夏季休みが終わり、リベルは久しぶりに学校へ向かう馬車に揺られていた。
向かいに座るお兄様は、休みに入る前より少しがたいが良くなったように見える。肌もうっすら焼けていて、騎士の稽古に励んでいたことが窺えた。
……男は焼けても気にしなくていいから、ずるいな。
自分は夏の間、日差しから逃げ回っていたというのに。
リベルは小さくため息をつき、窓の外へ目を向けた。
久しぶりの座学は、思っていた以上に辛かった。
教師の声を聞きながら、込み上げてきたあくびを慌てて噛み殺す。夏休み中なら、今頃まだ縁側で寝転がっていた時間だ。
……やっぱり生活リズム、戻しておけばよかった。
昨日の自分に言ってやりたい。
それにしても、冷房がない状態ってこんなに暑かったっけ。
首筋にじんわりと汗が滲み、無意識に手で扇ぐ。ふと周囲を見渡してみれば、何人もの生徒が手持ち扇風機を使っていた。
コンラートさんが言っていた通り、どれもリベルが知っているものより装飾が豪華だ。
……これじゃあ、私の持って来られないじゃないか。
「では、九ページを開いてください」
教師の声に従って教科書をめくると、見開きいっぱいに魔物についての記述が並んでいた。
「魔物かあ……」
真っ先に頭へ浮かんだのは、縁側でだらしなく寝転がるシルの姿だった。
あの森に住んでいる割には、魔物についてちゃんと調べたことはなかった。そもそもなぜあの森にいるのか、なぜ誰も入らないのか、騎士はいる割になぜ討伐しないのか。考えたこともなかったな。魔物よりも生活改善の方が大事だったしと思いながら、教師の言葉に耳を傾ける。
ぺらりとページをめくると、見覚えのある魔獣が紹介されていた。
「あ」
狐とおこじょだ。
おこじょは『カネン』、狐は『スカジ』という魔獣らしい。説明には二匹が話していた通り、暑さを苦手とする性質まで書かれている。
ただ、挿絵だけは妙に凛々しい。
鋭い目つきでこちらを睨みつけ、今にも襲いかかってきそうな姿で描かれていた。
……あの二匹が?
冷房の前で腹を出して寝ていた姿を思い出す。
「全然違う……」
思わず小さく呟いた。
次々と進む魔物の紹介は、まだ見かけたことのない魔獣だらけだった。
また次のページをめくると、
「最高位の魔物…」
絶対あの今思い出すだけでも鳥肌が立つような、あの蛇の魔物は出てくるだろうと思いつつ、文字を目で追っていくとどこかで聞いたことのある魔獣の名前が載っていた。
『ザラタン』
「……あれ?」
どこかで聞いた名前だ。
少し考えて、露天風呂の側面に取り付けた緑色の魔石を思い出す。
……あれ、ザラタンの魔石じゃなかったっけ。シルが言っていた気がする。
亀の魔物だったのか。
最高位。
もう一度その文字を確認する。
「…………」
心の中でそっと手を合わせた。
ありがとうございます。大事に使わせていただきます。
最高位の魔物を順に見ていくと、やはりあの蛇も載っていた。近づいてはいけないと本能で感じた、あの圧倒的な気配を思い出して身震いする。
次の魔物に目を向けると、リベルは目を凝らし、二度見した。
「シルだ」
思わず小さく声が出ていた。
銀色の毛並み、フサフサの長い尻尾、耳の形、尖った牙も、挿絵と変わらない。
でも、あのシルが……?
リベルは教科書の挿絵をじっと見つめる。
『最高位』
もう一度読む。
『最高位』
「…………」
縁側で大欠伸していた姿が浮かぶ。
鼻提灯を膨らませて寝ていた姿も。
冷房を独占して動かなかった姿も。
『飯はまだか』と催促してきた姿も。
……最高位?
「…まさかあ」
でも、思い返してみれば片鱗はあった。
目で追えないほどの速さに、驚くほどの跳躍力。それに、湖を真っ二つにしたあの衝撃。
あの時、怒らせないようにしようと思ったのは間違ってなかったのかもしれない。
教科書のシルを眺めながら考え込んでいると、いつのまにか教師の話は進んでいた。
「密猟についてですが」
聞きなれない言葉に、リベルは顔を上げた。
「現在、王国では許可なく魔物を狩ることを禁じています」
教師の言葉に、リベルは教科書から顔を上げた。
「かつては素材を目的に、魔物が乱獲されていた時代がありました」
追い詰められた魔物たちは人里へと降り、王国が崩壊しかけるほどの被害が出たらしい。
それをきっかけに『魔物保護法』が作られ、現在では王国に被害を及ぼす危険がある場合に限り、討伐が許可されている
それでも、従魔にしたい貴族には密猟に手を出すことがあるらしい。
初めてシルと出会ったあの日、
血を流していたシルは、密猟者に狙われてたのかもしれない。
◇
「ただいま」
家に入ると、王国でも最高位に分類されるという恐ろしい魔物が、部屋の真ん中で冷房に当たりながら寝ていた。
「…………」
リベルは無言で見つめる。
「これが……最高位」
たまに片鱗を見せることはあるけれど、こうして見ると最高位とは到底思えない。
じーっと見つめていると、視線に気づいたのかシルが目を開けた。
「……飯か?」
「うん。シルってそうだよね」
なんだか安心した。
やっぱり私の中では、最高位の魔物より、ご飯と冷房が大好きなシルだ。
そう思いながら台所へ向かう。
「今日はなんだ」
「うーん。この間の小麦の包み焼きにしようかな」
「あれはまあまあ好きだ」
「そっかあ」
じゃあ、それで決まりだ。
とん、とん、と包丁を動かしながら、ふとシルへ目を向ける。
「シルって……強かったんだね」
シルは一瞬目を見開いたあと、にやりと口角を上げた。
「今頃気がついたのか」




