第37話 封印の間
森の中を歩く。
バルードにあるという、蘭さんたちが現れた神殿に行くのかと思いきや、封印の間は離れたところにあるという。
「封印の間は、晩年のオラン様が過ごされた地と言われている」
皇帝アルバート直々に、先頭で案内してくれる。
しばらく森の中の坂を上がると、目の前がひらけてくる。
そこには、小さな石造りの家があった。
見た目は、この世界の平均的なお家。
家に向かうにつれて、両側が崖になり、狭まっていく。岬の先端みたいなところなのだろう。家の背景になるものは空ばかりで、ささやかな小屋ながら目を引く。
「この中だ」
その小屋に入る。
さぞ重厚な作りなのかと思いきや、中にはなんとシンプルに障子が貼られた木の引き戸。
「なるほど、日本人って感じね」
「弱そうに見えるだろう? しかし何をやっても開かぬし、壊せもせぬ」
「へぇ……?」
私は引き戸に手をかけてみた。
しかし、ガタつくことすらなく、びくともしない。
鍵があるようには見えない。
魔法か何か?
「クラウディア、開けゴマみたいな魔法はないの?」
「そんなものあったら世の中の鍵がすべて役に立たなくなるでしょう」
そりゃそうだ。
「んー、これは?」
「オラン様ご本人が刻まれたといわれている。字なのか、模様なのか、我々には何もわからぬ」
横の石壁に文字が刻まれている。
「えーと……?」
日本語だ。確かに。
「おお……読める、のか……?」
皇帝が息を呑む。
ご先祖様にまつわる二百年の謎が解けるってなったら、そりゃ気になるよね。
「花……色……読めない!」
「読めぬのか!? ……まさか、オラン様と同じ国から来たというのは……」
「そうじゃなくって!」
だって達筆なくずし字なんだもん! 蘭さんが江戸時代の人だって忘れてた。蘭さん、字上手すぎるよ!
「解読するからちょっと待って。昔の字、私の知る字と結構違うのよ。……花の色、ね。最初は」
短い縦書きの文が三行。
花の色……を? よ?
二行目の最初は「らい」か「らり」からはじまるように見える。
三行目は「い」から始まり「に」で終わる感じ。
「……あ! わかった!」
これ、百人一首だ! 小倉百人一首!
「わかったのか!」
「そうね。『花の色は うつりにけりな いたづらに』」
と、確信を持って読んでみたものの、何も起こらない。
「……ユウリお姉様?」
リリアが不審そうな目を向けてくる。
「続き! 続きがあるの! えっと、なんだっけ? 衣ほすてふ天の香具山? いや違うな。えーと……」
思い出せー、思い出せー私ー。
有名な句だぞー。
わかってるのに、ここまで出てるのに出ないやつ。もどかしい。
「うふふ。わが身世にふる ながめせしまに、ですよ」
「そうそれ! ……え?」
ナイスな助け舟の声に振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
「何奴!?」
皇帝や兵士が見知らぬ女性を前に臨戦態勢を取る。
その人は、素知らぬ顔で長い黒髪を揺らして微笑んでいる。
「ら…………蘭さん!!??」
私の声に、一瞬、時が止まったように静まり返る小屋の中。
一拍おいて。
『えええええ〜〜〜!!!!!』
みんな仲良く大合唱。
そりゃそうよ! 私だってびっくりだわ!
「あらあら、どうも皆様。蘭と申します。お蘭でも構いませんよ」
「オラン様……なのですか」
皇帝の声と手が震えてる。
……同じ御使の聖女なのに、私と随分扱い違うじゃないの。
「はい。そう呼ばれておりました」
ニッコリ微笑む蘭さん。
「間違いなく本人よ。私、前に神様んとこで会ってるから」
緊迫した空気。長らく神に次ぐ者と崇めてきた存在が出てきたら、そりゃそうなるか。
「さあ、悠里さん。続けて言ってごらんなさいな」
本人だけ、なんか空気ゆるいんだよなあ。
「ええと……花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに!」
私が上句と下句を続けて言うと、ゴゴゴゴゴと、木の引き戸とは思えない音を立てて戸が開く。
「あらあら、懐かしいわね。あのときのままではないですか」
中は、十畳ほどの和室だった。
生活感のある空間。机、畳まれた布団、和箪笥。よほど密閉されていたのか、ホコリすら積もっていない。
「蘭さん、神様のお使いに行ったんじゃ? こんなところで油売ってていいの?」
「あら、悠里さん。もちろん、ここへ神の使い、使徒としてのお仕事に来たのですよ」
「え?」
「お話しせねばなりませんね、この国と、私と、そしてあの子のことを」
蘭さんは、部屋の中から一冊の本を取り出して、それをめくりながら話し始める。
「これは、私の日記です。生きていた頃のね」
中は、さきほどの句と同じ、達筆で書かれていた。
「ほら、ここ」
蘭さんに見せられるも、読めない。
「……ごめんなさい、読めないです」
「あら、ごめんなさいね。ここにね、命名、太郎って書いてあるの。喜介様と私の、最初の子」
懐かしそうに、その字を撫でる蘭さん。
やっぱり、次郎がいるなら、太郎もいたんだ。旦那さんは喜介さんと言うのか。
「上杉、喜介さん?」
私の声に頷く蘭さん。
旦那さんを思い出しているのか、しかしその顔は寂しげ。
「ええ。強く、凛とした旦那様でしたわ。太郎も喜介様によく似て逞しく育っていました。下の子の次郎は少し線が細かったのよ」
「ウエスギ・ジロウ様。我らが祖先、始祖となる方……」
皇帝が神妙に呟く。
蘭さんは再び頷く。
「ええ。私もあなたの祖先ということになります。少々おいたが過ぎるのは、祖先として感心しませんね」
「は……」
直接叱られて恐縮する皇帝。
テオドールも縮こまっている。
「しかし、キスケ様、タロウ様という御方のお名前は聞いたことがございません」
「そうでしょう。私と次郎がこの帝国から消した記憶。それが喜介様と太郎の記憶ですから」
蘭さんは、悲しそうな笑みを浮かべる。
「それって……」
やはり、偽帝とは。
「はい。偽帝とは、喜介様と太郎のこと。バルードを乗っ取った二人を、私がこの手で殺めました。もう二百年も前のことです」
「なんと……!」
皆、言葉を失う。
蘭さんが、話しながらずっと悲しそうな顔をしていた意味がよくわかった。
辛い、過去だったのだ。
とても、とても。
「こちらへ。ああ、靴は脱いで持って上がってくださいね」
蘭さんは、和室の奥へ進む。奥にも引き戸がある。
蘭さんがその戸を開けると、そこは外だった。岬の先端部分にあたる場所。
「これは……」
草地の上、崖の手前。
四角い、私には見慣れた日本風の石の墓標が二基、並んでいた。
「この部屋を抜けねば辿り着けないように、ここに作りました。これが喜介様、あちらが太郎の墓です。ただ、中に埋葬はされておりませんけどね」
蘭さんは、自ら殺めた二人を弔うために、ここで暮らしていたのだろう。
「私は、まさにこの場で、二人を手に掛けました。二人とも崖下に落ち、後日捜索しましたが遺体は見つかりませんでした。しかし、致命傷であったはずです」
「だから、ここにお墓を建てたんですか」
魂はそこに留まることもある。日本人らしい発想である。
「はい。しかし、後年になってわかりましたが、太郎は生きておりました」
「よかった……って言う話じゃなさそうですね」
蘭さんは首を縦に振る。
「どこで何をしていたのか……魔族、ロウとして」
「は……」
全員、声が出なかった。
どう声をかけて良いのか、わからなかった。
太郎とロウ。
言われてみれば。
ジロウと言われたときに気がつくチャンスはあったはず。でもそこまで思い至らなかった。
「私の不始末です。ですから、神様に頼んで私が始末をつけに参りました。遅くなってしまいましたけどね」
ニッコリと笑う蘭さん。
隠せないやるせなさが滲み出ている。
「でも、ロウ……太郎がどこにいるかもわからないのに、どうやって探すんです?」
「その心配はありませんよ、悠里さん。私が来たのですから、すぐに会えます。あの子のことならわかりますよ。母親ですから」
バサっという風切り音。
「よくわかってるじゃねえか、母上。いや、蘭よ」
崖の下から姿を現したのは、ロウ。
「勝手に墓なんか作りやがって……。この二百年、既に死んでいたお前を殺したくて仕方がなかったんだ。だから、こんな機会、逃すはずがねえだろうが!」




