第29話 お蘭の選択
《帝国Side》
「喜介様!」
「お蘭! くそっ!」
蘭と喜介がこの世界に来て三日。
衣食住は与えられているものの、いかんせん言葉や文字が全くわからない。
自分たちがなぜここにいるのか、彼らがなぜ自分たちの世話を焼くのか、理解できないまま時間が過ぎていた。
言葉はわからぬままであっても、彼らと少しずつ心を通わせることができてきたと思った矢先、強引に喜介と蘭が引き裂かれた。
「何をなさるのです、私と喜介様が一緒にいてあなたたちが困ることなどないでしょう!」
普段穏やかな蘭であったが、流石に言葉が荒くなる。
「オラン、〜〜〜〜〜〜」
彼らは、蘭をオランと呼ぶようになった。喜介様がお蘭と呼ぶのでそれを真似ているのだろう。
「何をおっしゃっているか、わかりません。わからないのです……」
蘭は、輿のようなものに乗せられ、離れの建物に連れて行かれた。
他と変わらず石造だが、像が立ち、そこに蝋燭が立ち並ぶ。
――お社?
蘭の想像の通り、そこは神殿であった。
ユウリたちの時代よりもはるかに簡素で、荒い作りではあったが、同じ神を祀る神殿だ。
「人身御供にされる……?」
輿ごと祭壇のようなところに置かれた蘭がまず真っ先に思い浮かべたのは、それであった。
しかし、人々は膝をついて蘭と、その先の像に対して祈るばかり。
「あ……そうね」
蘭も「土地の神様であればご挨拶をしておくべきか」と、旅の作法のような感覚で像に手を合わせる。
その瞬間、蘭の意識が揺らいだ。
*
『全く、強引な奴らじゃ。災難じゃったの』
気がついたら、蘭は見知らぬ真っ白い空間にいた。
「あ……ここは……? あなた様は……?」
『なに、案ずることはない。ワシは神じゃ。お前の思う神とは少し違うが、まあ似たようなもんじゃ』
「神……様……」
神とは畏れ敬うもの。悪いことをしていると罰を与える存在。そんな感覚だった蘭にとって、ただ話せる相手として神が目の前に現れたのは、少し奇妙なことに思えた。
『本来、あのような強引な手で転移させるなんてのは御法度だったんじゃ。今後はできないように工夫しとかんとな。お前には詫びとしてスキルを授けよう。詫びだから二つじゃ』
「すきる……とは」
『技のようなものじゃ。ひとつは、そうじゃな、言葉に苦労してるようじゃから、言葉がわかるようにしてやろう』
「本当でございますか! それは、それはとても助かります。しかし、できるならば喜介様……一緒におかしなところに来た上杉喜介様という方がいらっしゃるのですが、その方と共にお江戸に戻していただきたいのです」
『それはできぬ。お前の知る言い方をするなら、覆水盆に返らずというものだ。そして、本来お前だけだったのだが、不安定な術のせいで彼は巻き込まれたに等しい。じゃからここに来る権利もなかった。不幸なことじゃが』
「それは……! それは、あまりにも! 喜介様が不幸ではありませぬか!」
『そうじゃな、まあ、お主とならまんざらでもない未来も描けようて。本人次第じゃがな』
「いま、私と喜介様と離れ離れにされております。その理由もわからずとても不安でした。喜介様は言葉もわからないままなのですか? それは不幸に過ぎます。神様、二人共にお慈悲をおかけいただけないものでしょうか」
『できないことはない。ワシは神じゃからな。しかし、それには二つ目の超ウルトラ便利スキルを創造する力を分けねばならぬ。そうするとだな、まあなんというか……思い通りにならぬかもしれぬ。それでも良いのか?』
「いまひとつ意味がわかりませんが、喜介様のためになるのであれば、なんだって構いません」
お慕いする喜介様のためなら――
その言葉は心に秘める。
『……そうか。では、お前の長所はなんだ?』
神は心が読める。しかしそれを言うのは野暮であると、空気も読める神であった。
「長所、でございますか。そうですね……人からは気長であるとはよく言われます。善し悪しではございますが」
『そうか……難しいな、できるかのう。お、できそうじゃ。なんとも珍妙な……まあやってみるか』
神様が、蘭の頭に手を乗せる。
蘭は、暖かな何かが流れ込んでくるのを感じた。
『ほれ、できた。お前のスキルは、『長さ』じゃ!』
「長さ、でございますか? はあ。あの、それは一体どのような……」
『おお、もう時間じゃ! 再見!』
神様がよくわからないことを言ったと思ったら――蘭はまた元の神殿に戻っていた。
「あ……神様……? 戻ってきた……?」
蘭の呟きに、周りで祈っていた人々がざわつく。
「おお、言葉が……わかるのですか」
言われて蘭も気がつく。
神様が言っていた通りだ。
「わかります。神様のおっしゃっていた通りに」
その言葉に、さまざまな反応が返ってくる。
「やはり、神に……!」
「御使様だ、御使の聖女様だ!」
「やったぞ、我々はやったのだ!」
口々にそんなことを言い、中には泣き出す者もいた。しかし、押し並べて皆、嬉しそうであった。
「よくわかりませんが、私も言葉が通じるのは大変嬉しゅうございます。それで、喜介様はどちらに……?」
「失礼しました。儀式はオラン様お一人で行う必要があったため、引き剥がすようなことをしてしまいました。すぐにでも会えるよう取り計らいましょう」
*
「お蘭!」
「喜介様! ……そのお顔は……!」
喜介の右目の上は腫れ、目が半分しか開いていない。見れば他のところも傷だらけであった。
「ああ、見た目が悪くてすまぬな。蘭に会わせろと暴れたら大立ち回りになってな。そうしていたら急に言葉が通じるようになって、話し合いをしていたところだ」
神様の言っていた通りだ。
「神様が言葉を授けてくださったのです。お江戸に戻せはせぬそうですが……」
「そうか……やはり神とは気まぐれなものよ。祟られぬよう俺も手を合わせておくか」
「それがよいかと。人の良さそうなお爺さんでしたけれど」
「なに、直に会ったのか? 夢枕にでも立ったか」
「そんな、ご先祖様じゃないのですから。これは捨てる神あれば拾う神あり、ということではないでしょうか」
これで、せめて喜介様とは暮らしていけそうだ。
帰れないと言われはしたものの、蘭は思いの外嬉しく思っていた。
「お二人とも、こちらへ。我らが主が話をしたいと」
案内してくれた女性が声をかけてくる。
「ああ、わかった。……蘭、良い神ならまた会えると良いな。俺も会ってみたいぞ」
「そうですわね、私もまた、是非にも」
この世界に来て、初めてだろうか。蘭は持ち前のたおやかな笑顔を喜介へ差し向けた。
しかし、今生の中において蘭と喜介のその願いは叶わぬことを、二人は知る由もなかった。




