即興劇
時刻は5時30分。自主公演に向けての練習が本格的に始まっていて、今は休憩時間の最中である。一年男子はいつものように楽しく喋っていて木戸もあの日のことがなかったようである。だけど、私は知っている。あの日の木戸の表情。あの日の言葉。あいつの顔や声を見るたび、聞くたびにあの日のことが、頭に波紋となって広がってくる。今笑っているあいつの顔はどこか不気味で、なぜか血が通っていないものに感じる。隣で笑っている大久保や山口と比較すると、例えるなら水とエタノールのような、見た目はほとんど同じだけれど、その中身は全く違う。そんな気がする。
「ねえ、愛。」
急に声をかけられ心臓が飛び上がる。振り向けば豊臣先輩がいつものふざけた顔ではなく、神妙な面持ちでこちらを見ていた。
「なんですか?先輩」
あまりにもいつもの雰囲気と違い少し怯える。少し声が震えつつも尋ねるとこちらの心を覗き込むように見つめてきた後木戸の方を向いて私だけに聞こえるように呟く。
「雄馬に何かあった?」
...ほんとにこの人は底知れない。誰からも気づかれなかったことから、少なくとも私がそこまで分かりやすい感じを出してはいないはずだ。なのにこの人は、まるで私が何を考えてるかを知っていたようだった。
「...山口の変装を手伝っていたから知ってますよね。私達が先週末遊園地に行ったこと。」
「うん、知ってる。それで途中で雄馬が帰っちゃったことも。」
「...あいつが帰るとき、私は出口であいつと会ったんです。私はあいつのことを引き止めようとしたんですけど、何かにすごい怒っていて、それでいて悲しんでいたんです。そんな姿に私は何を言えばいいかわからなくなって、結局それからもなにがあったのかを聞き出せてないんです。」
言い終わると豊臣先輩は「そっか...」と軽く呟き、その後「僕にできることは...」と独り言を放ち、一瞬目を閉じる。目を再び開けるときにはいつものような勢いが戻っていてそのまま部員に声をかける。
「休憩終わり!劇練始まるよー!」
部員達は慌ただしく劇練の用意をする。手には台本を持ち、どの場面の練習をするのか指示を待つ。
「みんなやる気充分だねー。僕も演劇部を代表して鼻が高いよ。」
「お前もやけにやる気だな。限定スイーツとやらを食べたお陰か?」
「それもあるねー。だけど今回は新しい劇練方法にインスピレーションを働かせ浮き足立っているのだよ。」
「おっ!今日は一味違うっぽいね〜!演出監督様の新たな劇練たるやいかに!!」
「ふっ、安心して。僕は防人をぼうじんって読まないタイプ。いつだって素晴らしいものを生み出すよ。それで新しい劇練習なんだけど、こういうのはどうかな?みんなが難しいと思うシーンの感情の表現を、一回別のお題でやってみる。別のお題なら感情が出しやすくなってその難しいシーンに流用できるかもだし、劇の捉え方の幅も広がる。それに一年は劇が今回初めてだから小さな即興劇で劇に慣れることもできる。いかがかなー。」
「...普通に真面目な話してびっくりした...」
「最初冗談だと思われてたの...?ショックなんだけど...」
「まあ、普通の劇練だけなのも味気ない。燐音提案なのは癪だが、やってみよう。で、誰から何をやるとか決めてあるのか?」
「オフコース!劇見てて、ちょい雄馬のことで口出したいから雄馬と...なんか視界に入ったから行け!愛!」
っ!みんなには豊臣先輩のいつものおふざけに見えたかも知れない。でも、さりげなく私に劇という建前で彼と話の場を設けてくれた。あとは重要なのは、劇のお題。あの日あいつが言っていた言葉を思い返してみる。あいつが言っていたのは、私や家族の人に対する妬み。考えられるのは家族との関係の悪化。木戸に兄弟がいないことは知っている。そしてお母さんが亡くなり片親なことも。それに最初は普通に遊園地を楽しんでいるように思えた。雰囲気が変わったのはトイレ行くと言っていたとき。その間に家族との関係が悪化することなんて...
「あっ...」
思わず声を出してしまう。あれは木戸がトイレに行ってる間のこと。山口と私が聞いていた一つのアナウンス。迷子のアナウンスがあったはず。名前は確か、
"木戸"洋輔。山口と一緒に、木戸が迷子になってるだのなんだのと冗談を言い合っていたと思う。そのときの山口が言っていたこと。
「そういやあいつの話によると、どうやらこの世界を牛耳ってるラスボスは"自分の父の隠し子"で、だから自分は勇者のポテンシャルがあるんだってさ。もしかしたら、今日が決着のときかもしれないぜ。」
よくできたストーリーね、なんて言っていたけどもしかしたら本当に...今回の即興劇は別のお題でやらなくてはいけない。自主公演の劇は全体的に家族関連メインだからそのまんまにはできない。必要なのは最悪死に設定になってもいいから家族の関係を絡ませれる話。それなら...
「こういうのはどう?複雑な家族関係で結婚できない愛し合う2人が支え合いながら障壁に立ち向かうラブストーリー!」たしか前家族で見ていたドラマのストーリーがそんなのだった気がする。ふふん、我ながらいい案ね!
...あれっ、なんかみんなの反応が...
「愛、大胆、とっても。」
「あいつもかよぉぉ。」
「一番お前がモテるはずなのにな、星羅」
その反応で私は自分が何を言ったかやっと気づく。その瞬間顔がゆでだこのように赤くなったのを自分でも理解した。
「ちがっ...そういうんじゃなくて!」
そうだ!豊臣先輩ならわかってくれるはず!考えてみればこの計画は私しか知らないし、あの先輩なら私の意図を汲んで...
「いいぞー!!見せつけてやれー!!」
「うおおおおおおおああああああー!!」
さいっあく...2年の先輩もそういう感じの目で見てるしこんな雰囲気じゃ...
「これ、切ないやつをやりたいんだよな。俺も今やってるドラマでこんな感じの見たことあるから。あくまでもそういう劇練。だろ?」
その声に驚いて、パッと顔を向ける。木戸の表情は真剣で、私をまっすぐ見据えている。
「木戸...話してくれるの...?」
「わかんない。話したいのか、話したくないのか。こうなったらもう雰囲気に全てを委ねたい。参考にさせてよ、次期主役の演技。」
「...ええ。やりましょう。」
2人は横並びになった椅子の前に立つ。少しくれかかった夕日は優しく二人を照らす。宇宙からの二人のためだけのスポットライト。力強い光に比例して二人の想いは固まっていく。
「貴方...今日はどうして私に会ってくれたの?」
「会ってほしいと言ったのは君のほうだろう?それに会おうと思った理由も、そこまで大したものじゃない。僕は君にお別れを言わなきゃ前に進めない。それだけだよ。」
「そう...」
空気全体が沈み込み、鎖をつけられたように縛り上がる。その空気は愛し合う二人のものではない。それでも二人にとって、この一瞬の空気で潰れる思い出を重ねてきたつもりは微塵もない。だからこそ、お互いの秘めたるものに触れ、それを一緒に守りたいと感じるのである。この会話はそれに触れ、一緒に守ることを誓う儀式。ここで止まるわけにはいかない。
「貴方のお父さん。隠し子がいるでしょう?」
弾かれるように彼は顔を上げる。一切の偽りのない顔で「どうして...」と小さく呟く。
「私がこの前買い物に行ったとき、偶然見つけて...貴方、兄弟はいないでしょう?それにとても従兄弟やそういう関係の距離感とは思えなかったから。...ねえ、貴方。私に話してほしいの。たとえ貴方ともう結婚できない間柄だとしても、私は貴方が苦しんでる姿を指を咥えて見ていることはできない。」
彼は少し困ったように顔を背けて、小さくため息をつく。
「...ここに来た理由。僕が前に進めないからって言ったよね。あれは君のことを忘れるために来たってわけでも、しっかり別れないと筋が通らないって思っていたわけでもないんだ。ただ、言わなきゃことがあったからなんだ。」
少し離れていた二人の距離が数ミリ近づく。
「僕は一度、君が手を差し伸ばしてくれたとき酷いことを言って君を拒絶した。その後に思い出したんだ。自分が信じてきたもの。自分が心に決めていたこと。僕のことを愛してくれた人を、僕のために何かしてくれた人を愛する。そして感謝を伝えること。」
深く息を吸って目を見据える。彼は前に進むため、自分が信じてきたものを再び貫こうと彼女の前に立つ。
「"ありがとう"...そして...さようなら。」
彼が歩み寄った距離は一瞬にして離され、元の距離よりも離れていく。彼は後少しで夕日が照らす光の外へ出てしまう。
「待って!」
彼は足を止める。だが振り向かない。その体制のまま次の言葉を待つ。
「私、貴方のことが大好きよ。貴方といると楽しくて、貴方から貰えるありがとうは、もっと貴方のためになりたいと思えて...だから、貴方がありがとうを言えなくなって、誰も愛せなくなるのが、私は嫌。貴方が、親から愛されなくて悲しんでいることはわかってる。そして私がその代わりになれないことも...だけど!」
愛は雄馬に駆け寄りその背中を抱きしめる。
「雄馬...私は貴方を愛してるわ...」
「愛...俺も愛してる。」
二人は向き合ってお互いを抱きしめる。振り向けば、やはり光はもっと大きく、そして暖かく二人を迎えていた。振り向いて視認した彼女の顔は涙でぐしゃぐしゃで、とても美しかった。
二人の火照った顔は夕日で強調され、赤く染まった太陽も相まって、二人には赤いバラが似合ってる。




