豊臣燐花
ブレザーに腕を通す。
花縁はリボン着用か。
夏服…買ったけど、着ることはなさそうだな。
高校生…特別に感じちまうのは、よく物語の題材にされるからか?
青春とかも、まあ縁はねぇだろうな。
アタシは、アタシにできることやるだけだ。
ドアを開ける。
暑すぎず寒すぎず、こんな日が一生続けばいいのに。
スマホを見る。
花縁までの行き方を、確かあいつが送ってくれていた。
スマホがパッと光、飛び込んでくるブルーライトに少し顔をしかめて、燐音とのトーク画面に映る文字を見る。
「東西線…だりぃな。」
「ふぇぇ…まずいですわ…このままでは…」
無機質な冷たさと、人同士が集まり蒸れるような、矛盾した空気を漂わせる地下鉄のホーム。
時刻は刻々と新しく数字を刻み、焦りを感じながらも、わたくしは忙しなく体を押し込む人々を見送ることしかできない。
何を思ったのか、わたくしは今日、送迎の車を拒否して、一人で電車に乗り継ぎ、花縁高校まで行こうとした。
途中までは順調だった。
駅のマップも見れたし、乗る電車も方向も間違えなかった。
ただ、電車のドアが開いた瞬間、まるでこの世のものとは思えない光景が、視界いっぱいに広がる。
まるでロッカーに教材を無理矢理詰め込んでいるような、というより教材が人に変わっただけの現状に、足が動かない。
教科書などを押し込んでいる時、時たま、これが人ならば、息もできずに苦しいのだろうな。なんて思ったことがあるが…。
この中に入る…?本当に…?
あまりの光景に戦慄し、立ち止まっていたら後ろにいた人が痺れを切らし、その体を群衆にねじ込んでしまう。
その時…何と言うか、諦め?覚悟?が、私の中に湧き上がった。
「そうですわ…もう3年の皆様は引退。次はわたくしが人を引っ張る立場。
ならば!いざ…尋常に…勝負ですわー!」
そりゃ!
ぐぐっ…
ピローン、ピローン。バタン。
わあ…やりましたわ!何とか乗車でき…
「ドア開けまーす。手荷物をお引きくださーい。」
…………
「ぐえっ」
ピローン、ピローン。バタン。
プシュー。
「発車しまーす。」
ブォォォン!
たった数秒、その間にわたくしの心が発車音に紛れて粉々に砕け散っていった。
発車による突風が、そんな塵によく似た心境のわたくしのを吹き飛ばす。
周りの人の困惑する視線が痛い。
ふゆさんの言っていたことを、不意に思い出す。
「人外魔境。東西線。強すぎる、体幹。みんな。」
あの死んだ魚のような目…今なら、痛いほど共感できる。
恐る恐る、ポケットからスマホを出す。
液晶画面が、パッとついて、残酷で、無機質な数字を映し出す。
「お…終わりですわ…この世の全て…理が…」
その後も、もう一度来た電車に乗ろうと挑戦するが、押し込みが足りないのか、苛立つような目で見られ、すっかり萎縮し退避を繰り返す。
空虚な気持ちに、疲労感が詰め込まれて満帆になる。
ハートの形をした心が、まるで重しのようにわたくしの体を傾かせて、足がふらふらとよろける。
バタン。
誰かにぶつかる。
相手は全くよろけもしなかったが、ぶつかって迷惑をかけたと言う事実に頭がいっぱいになり、ただでさえボロボロになっていたメンタルに追い打ちがかかる。
「はわわわっ!そ、その、申し訳ございません!」
「…別にいい。んなことより、なんで電車の前で突っ立ってんだよ。」
「あ…えっと、わたくし実は…生まれてこの方電車に乗ったことがなく…今回が初の乗車になっておりまして…」
別に弁明してる訳でもないのに、必死になって口を動かし、自分のおざなりな現状を説明する。
何故か手があたふたと上下に移動して、もはや自分で体のコントロールすらままならない。
そしてそれは、電車が来てさらに加速してしまう。
「ひっ…!来てしまいましたわ…」
「乗らなきゃ着かねぇだろ。」
「そうですけれど、心の準備が…」
ドアが開く。
秋の寒気が感じられず、だからといってポカポカとした日照りの陽気とは違う蒸し暑さが立ち込める。
これに乗らなければいよいよ遅刻…!
でも何だか人が増えてる気が…。
「成功した試しもないのに、よくやろうとしたな。
無謀と勇気履き違えてる時点で、何も成長できてねぇんだよ。」
「そ…そんなひど…ひゃっ!」
突然きつい言葉を吐きかけられると同時に、優しく包み込むようにわたくしを抱きしめて、彼女が電車に体を捩じ込む。
彼女の胸に体を預けて初めて気づく。
赤のリボンにこの制服、花縁の人…?
だが、こんな人は見たことがない。
自分は人の名前と顔を覚えることだけが特技だ。
生徒会に入って、まずは全校生徒の顔と名前を叩き込んで、その時だけは紗香お姉様に感心された。
それがよほど嬉しかったのだろう、人の名前と顔は決して忘れないように、何度も覚え直してきた。
淡いピンク色の髪に、緑のメッシュ。
ウルフカットに荒涼とした白銀の眼。
キリッとした目鼻立ちに少し荒っぽい口調。
記憶の底をほじくり出しても、誰にも当てはまらない。
「大丈夫か?」
急に声をかけられてビクッとすると、彼女は顔を少し歪ませてギュッと力を強める。
きっと、わたくしの不安げな表情を憂いてくれたのだろう。
その暖かさが、ゆっくりと体に溶け込んでくる。
何駅か通り過ぎると、すぐに目的地に着く。
「着いたな。」
「でも、どういたしましょう…こんなに沢山の人達が…あちら側のドアになど…」
「目的地で降りれなきゃ、乗った意味あるか?
いつまでも人が察して勝手に退いてくれるなんて甘えんな。」
毎度言葉が刺々しい…
そう思うまもなく、わたくしを抱き抱えながら人の体と体の間をずかずかと押し除けていく。
ぶつかった人は嫌そうに体をのけぞり、わたくしは小さく申し訳ございませんと呟くことしかできずに、下車したら、その人の顔色を伺うこともできずに電車は行ってしまった。
押し除けた人たちに心を痛めつつ、降り立った駅のホームが、いよいよここまで来たのだと実感する。
「ようやく…ようやく着きましたわー!長かった…ここまで…!」
「んで?こっから学校までどう行くんだ?」
冷淡に吐き捨てられた彼女の声が、わたくしを現実に引き戻す。
そうだった。まだ学校に着いた訳ではない。
けれども、その道順はちゃーんと頭に叩き込んできた!
さて…まずは…
「………南でぐ…いえ、東…?確か駅を出たらスーパーがあって…いや…それは行きの駅の話で…はわわわわ…!」
「…疑問なんだけどさ、何でメモとかしねぇ訳?」
「ええと…学校は結構駅から近場ですし…なんとかなるかなと…、それに皆さん、駅からスムーズに出ていく人ばかりですし…わたくしもそうなりたくて…」
「はっ。それで失敗してちゃ世話ねぇな。できないくせに変な見栄張るからそうなるんだよ。」
「うう…さっきからお言葉が強い…」
「ま、頑張れよ。アタシは先に行ってっから。」
そう言うと、彼女はスマホをパッと取り出してさっさと進んでしまう。
どうやら、あの方は進むべき道を知っている様子だ。
知っているなら教えてくれても…
"人が察して勝手に退いてくれるなんて甘えんな"
…いえ!やはりここはわたくし一人で…!
"できないくせに変な見栄張るからそうなるんだよ"
………
「…あの!」
気づけば、わたくしの足は動いていて、あの方を呼び止めていた。
その声に、あの人は何も言わずに振り返り、わたくしの次の言葉をじっと待つ。
何故だか…それだけで、わたくしは蛇に睨まれた気分になる。
口…こんなに開かなかったっけ?
体…こんなに重かったっけ?
足…こんなに震えてたっけ?
さっきまでの口調から、ついついお願いするのさえ萎縮して出来ない。
何か…何か言って欲しい。
言ってくれれば、わたくしもまた、声を出せるのに。
「あっ、えっと…」
時間が1秒、また1秒と過ぎていく。
筋肉のこわばりとともに、手に滲んだ嫌な汗を誤魔化そうと固く拳を握りしめる。
「えっ…」
拳の力がゆっくりと抜けていく。
そっと握ってくれた手に、何故ここまで安らぎを覚えるのだろう。
何も言ってはくれてないのに、朗らかに笑ってはくれていないのに。
なんでここまで、胸が熱くなるのだろう。
「…その!一緒に、着いていってもよろしいでしょうか…!」
そう思った途端、口が動いた。
握ってくれた手を、離さないようにと、勝手に手の力が強まる。
そのまま、彼女はわたくしの手を引っ張り、改札の東口を通っていった。
目の前のスーパーを左に曲がると、他にも花縁の制服が見えて、すっかりいつもの通学路だ。
「ギリセーフか。んじゃ、あとは流石にいけるだろ。」
「あっ、お待ちくださいませ!」
校門をくぐって、すぐに階段を上がってしまいそうになる彼女を呼び止める。
さっきとは違い、すんなり言葉が出てくる。
言いたいこと、聞きたいことが溢れて止まらないが、時間がないため、今、一番言いたいことと、聞きたいことを言う。
「ここまで!本当にありがとうございました!!
いつかお礼をさせて欲しいです!なので…お名前、教えてくださいますか?」
「…アタシの名前は、」
「豊臣燐花。今日から編入する僕の妹だ。高校2年生で君の一個上。ぜひ仲良くしてやって欲しい。」
放課後の空き教室。
ポツンと誰にも知られない部屋は、何だかいるだけでいけない気がしてならない。
そんな場所に俺を呼んで何事かと思ったが、燐音先輩はあっさりと要件を話し終えてしまった。
「苗字おんなじだし、やっぱり兄妹だったんですね。
燐花…一応先輩か。その人は、演劇部入ってくれるんですか?」
「うん。なんならそのために来てくれたみたいなとこあるし。」
「わざわざウチの部活入るために?別にここ、強豪校だのと言う訳じゃないですよね?」
「まあ僕の頼みを断れない、可愛い妹だからねー。
最近は反抗期なのか、ちょいと口調が荒いけど。
あっ、星羅の話通じるよ!あの子も実はファンだから!」
ふふっ、と笑ってみせる先輩の姿は、男のくせにちょっと可愛らしい。
そんな笑顔に自分も最大限朗らかに笑って、空虚な教室にあかりが灯される。
ふと、カチッカチッと鳴った時計に耳が動く。
もうすぐ部活が始まってしまうな。
そう思った俺の表情を見逃さなかったのか、燐音先輩がドアの方に向かっていく。
「時間取らせてごめんね。根はいい子だから、嫌なことはちゃんと嫌って言っちゃっていいよ?」
「ははっ、何だか保護者みたいですね。」
「桜がパパやってみてもいいんだよ?素直になれる相手、あの子いないし。」
「いきなり父を名乗る不審者でたらやばすぎですよ。
しかも年下だし。」
その後、空き教室から出て、部室に向かう。
燐音先輩は、燐花に挨拶したいからと着いてきて、やけに早足だから、俺を抜かして先に扉に手をかける。
「桜。一ついい?」
扉の前で、先輩が呟くように話しかけてくる。
その横顔は、なんだか儚げに、不安げに、しかし希望を携えた、そんな不思議な顔に、思わず気を取られ返事が出来ない。
「桜のためにも、燐花のためにも、そして花音のためにも…どうか、挫けないで。」
ガチャッ。
勢いよくドアを開ければ、彼はいつものテンションで部室に入る。
見慣れた教室に、見慣れた部員達。
ただ今日は一つ、何か違ったものがある。
「待たせたね!真打登場だよ!」




