痛み
「遅かったじゃねぇの。こっちはもう自己紹介済ませた。」
勢いよく扉を開ける燐音先輩に、ぶっきらぼうな口調で声をかける女子生徒が一人。
きっとこの人が、豊臣燐花なのだろう。
身長はだいたい160くらい。
燐音先輩の妹とは思えないほど、なんだかしっかりしてそうな人だ。
「おひさー燐花!いやーこうやって会うと、やっぱり嬉しいものがあるねぇ〜。なんか一緒の学校で同じ制服着てるって、ワクワクしない!?」
「アタシは、学校で浮かれすぎてダメ人間になってないかハラハラしっぱなし。妹ほったらかして、随分と満喫してたみたいだしな?」
「ったく、刺々しいなー。そんなこと言ったら、ポケモンの通信進化手伝ってあげないよ?」
「いい。カレシがしてくれっから。」
「………は?」
瞬間、燐音先輩から笑みが消える。
この人、こういう顔するんだ…。演劇部一同がそう思った直後、燐音先輩の口がパクパクと動き、しかしそこに言語は解されておらず動揺が丸わかりで、しっかりとした言葉が出たのは少し後である。
「い"や…僕がいない間に何勝手に彼氏作ってんの!?
いやいや燐花に彼氏とか…ある訳ないよね!?
私に嘘はつかないでぇぇぇぇ!!」
「んだよ。自分が彼女作れてないからってムキになってんじゃねぇよ。」
「はっ!僕はこの学校生活のバレンタインでチョコを数えきれないほど貰ってる!」
「ようはゼロってことだろ。」
「うるっさい!愛は昇華されてなくなるのさ!」
「元素記号I…ヨウ素とかけてるアレな。小学校のころ滑り散らかしてて笑ってたわ。」
凄い…ここまで燐音先輩のテンション感に呑まれない人は初めて見る。なんなら燐音先輩を言い負かしてる人なんて。
これが兄妹の力なのだろうか。紗香先輩のあしらい方やツッコミ方は、燐花先輩とはまるで月とスッポンである。
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「っくしゅん!」
「お!さゆっち!噂されてるねぇ〜」
「否定的な噂だったら締めてやる。誰かわからんがな。」
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「っはは、まあ嘘だけど、その反応見れたの久しぶりだし、わるかねぇな。
演劇部入って、感情表現豊かになったんじゃねぇの?
いい反応だったよ。リアクション芸人。」
「……ふふっ、これで僕も大橋彰と肩を並べられるかな…」
「アレ、リアクション芸なのか…?と、勝手に盛り上がって悪い。」
いきなりこちらに話を振られて、演劇部全員が少し戸惑った顔をする。
「あのお方、お兄様とは結構楽しそうにするのですわね…」
「何?花音はもう燐花さんと会ったことあるの?」
「はい。今日ここに来るまで、色々とお世話になりまして。」
「…いつもどうやって登下校してるの?」
「いつもは使用人に送っていただいているので…
それにしても、初めて会った印象と大分違うような。」
「久しぶりに会ったって言っていたし、本当に嬉しいのかもしれませんね。私もお姉ちゃんだから、もし兄妹と離れていたら辛い気持ちになるのも分かります。」
演劇部員内でも、燐花ことで話が持ちきりになるが、当の本人はまったく輪に入ろうとはしない。
そんな姿に燐音先輩がちょいちょいと肩を叩くと、それをうざったらしそうに振り払う。
「そんな邪険に扱わなくていいじゃん。
僕と仲良しだと思われるのそんなに嫌?」
「…な訳ねぇだろ。大切な家族なんだから。」
「…もう入っちゃう?お仕事モード。」
「それがアタシが来た意味だろうが。」
「…そうだねぇ。じゃ、任せたよ。」
燐音先輩が一瞬顔を曇らせた後、またにこやかに振る舞いこちら側を向く。
燐花先輩もまた、こちらに眼差しを向ける。
燐花先輩と目が合う。すぐ目を逸らされてしまったが、確かにこちらを見定めていて、また別の人を見る。
視線の方向は花音先輩で、花音先輩もずっと燐花先輩を見ていたから目が合い、今度はその目を逸さなかった。
「じゃっ、ちょぴっとお話しさせてもらいます!
みんな一月には都大会があるじゃろ?その台本を、燐花が考えてきてくれまして、それをみんなに共有すると共に、一つ特別な稽古を実施します。
んじゃ、あとヨロー。」
「今回持ってきた奴、結構、殺陣が重要っていうか、それをしっかりやんないと良さがでねぇ。
だから、そのシーンを任す人は、アタシと小体育館で殺陣の練習をする。候補はいるけど、無理強いはしない。
ちゃんと考えてもらいてぇことは、それをやる奴は、徹底的に追い込む、そんだけだ。」
「誰?候補の人。殺陣の。」
ふゆが質問すると、燐音先輩と少しアイコンタクトを取り、二人の名前が言い渡される。
「大久保桜と足利花音。やれるんなら、アタシに着いてきてもらう。」
そう言って、ドアに軽く手をかけて半開きにする。
どうやら練習場所は、この部室ではないらしい。
それが意味するのは俺と花音先輩と燐花先輩、たった三人だけの練習になる、ということだ。
花音先輩と、目を合わせる。
俺と花音先輩、どちらも自分が一から何かを完結できるタイプの人間ではなく、大抵いつも周りの助けありきの人間だ。
燐花先輩は…恐らく、直接的な助けはしてくれない。
やり方を教えて、後はできるまで自分でやらせるタイプの人。
それと燐音先輩の言葉。
挫けないで、それはきっと、この練習のことを指してる。
「「やりましょう。」」
その言葉は、俺と花音先輩の口から同時に出た。
それを聞き入れた燐花先輩は、半開きにしてたドアを開けて、頭をクイッとあげて手招きをする。
「頑張ってね!花音ちゃん、桜君!」
「言ってね。何かあったら。」
「こっちはいつでも助けになっからな!」
後を追って、部室を出ようとする俺たちに、みんなが口々に応援の言葉をかけてくれる。
温かい言葉に包まれると、固く締めたはずの心に隙間が生まれる。
そんな空洞に、みんなが入ってくるまでに、花音先輩がキッパリと言い切る。
「皆さん、ありがとうございます。ですが、心配には及びません。」
その鋭い目が、今度は俺の方に向く。いつもと違う雰囲気に気圧されながら、その瞳孔を見ると、そこには決意の灯が宿っている。
「わたくしたちは、わたくしたちで。」
行きましょう、と言葉が続いて、俺は部室を出るのを余儀なくされる。
廊下がやけに冷たい。
いつもの天真爛漫と言った様子の花音先輩が、一言も喋らずにサクサクと歩いて行く。
その足取りは、まっすぐ小体育館の方角へ。
うちの学校の体育館は二階建てで、一階は授業で柔道などをする場所で、2階が大体育館。文化祭公演のときにそこで演技をしたのを今でも覚えている。
小体育館の床は、柔道場特有の畳になっていて、一番目につく中央上に、祭壇のようなものがある。
正直自分はよく分かってないが、いつもアレに礼をしてるから、何かしら重要なものなのか、伝統があるのだろう。
そんな祭壇の下に立つ燐花先輩は、手に持っている竹刀のせいか、やけに威圧的に感じる。
「よし。じゃ、そこに置いてある竹刀持て。剣道部やら先生やらには、あいつが許可取ってくれてるらしい。」
畳の上には、二つだけ竹刀が放り捨てられており、花音先輩は迷わずそれを手に取る。
釣られて俺もそれを手に取り、取り敢えず燐花先輩にそれを向けると、燐花先輩は手に持った竹刀を肩に当てて、今回の稽古を説明し始める。
「殺陣…分かってると思うけど、それはリアルかつ演者同士を傷つけずにやるもんだ。チャンバラとかも、戦いには迫力あるけど、マジに切ってるわけじゃねぇ。
意図的に怪我をさせねぇように気をつけはする。
そんな建前を一応言わせてもらって…
寸止めなんてちゃちな真似はしねぇ。全力で来い。」
瞬間、燐花先輩が竹刀を持って切り込んでくる。
もう始まってる!?そんな戸惑いをしているうちにあっという間にその竹刀が俺の顔目掛けて降りかかる。
間一髪、ギリギリで回避したのも束の間、よろよろと体制を崩している間に燐花先輩が回し蹴りで俺の手を蹴り飛ばして、竹刀が吹っ飛ばされる。
くそっ!武器飛んだ!どうすりゃ…てかこれはもう負け判定じゃ…
重なる展開に脳がめまぐるしく活動し、そのせいで体の方が止まってしまう。
「動きが雑。武器潰されても。」
ポイっと竹刀を投げ捨て、ジャージの首あたりと脇の裾を掴まれる。燐花先輩の引っ張る力は尋常でなく、一瞬にして体は宙に浮き、世界が回る。
「ちょっ…やばっ…」
「必死に足掻け。」
バン!と背負い投げで床に叩きつけられ、背骨が軋むような嫌な感覚と、全身や脳に衝撃が上って動けない。
「殺陣っつうのは、動きが実際に生きてる人間っぽくしなくちゃなれねぇ。それが劇のリアルさに繋がるし、それ一つでとんでもなく幼稚なもんに見えたりするからだ。だから武器を潰されたら動こうとしないお前も、不意打ちでもなんでも決めないお前も論外だ。」
白銀の目が、花音先輩を捉える。その目に映る先輩の姿は、ひどく怯えて、竹刀を持つ手は汗ばんでいる。
ぎらつく視線が心臓までも刺して、縫い合わせたように足を固定する感覚。
そんな様子に呆れたようにため息を吐きながら、転がっていた竹刀を手に取りどんどんと近づく。
「早くしろよ。それともやっぱ、自分からじゃ出来ねぇか?」
「……!くっ…!」
力がこもる。それに応じて手が震え、胸の中から何かが込み上げる。
わたくしだって…わたくしだって…!
「…お覚悟!はあああ!」
人に向ける、初めての敵意。
何度も何度も竹刀を振り回して、しかし彼女はそれをいともたやすく回避する。
けれど…もう先ほどのようにはいかないはず!
「…!壁際。」
もう少し踏み込む…!狙うは胴!避けられないような最大限の一閃で!
「貰った!」
渾身の振りが空気を切り裂く。あまりの呆気なさに体がよろけて2歩ほど右にふらつく。
消えた…一体どこに…横に逃げても当たるように振ったはず、後ろにももういけない。なら…
後ろを振り向く。竹刀はすでに頭を目掛けて飛んできており、空中で舞う燐花さんに、一切の容赦は無かった。
「あがっ…!くっぅ…」
バシン!剣道の防具もなく、まともに顔で竹刀を受け止め、顔のみならず、体まで吹き飛ばされる。
あの体勢からのバク宙。まるでヒーローショーの主人公のようにアクロバティックで、惹きつけられるようなパフォーマンス。
戦いの展開も、最初、わたくしに攻めをさせた後、最後に迫力のある技を繰り出して一撃で仕留める。
それに対して、オーディエンスがどういう反応を示すかは、驚きと羨望の眼差しを向けた桜さんを見れば明らかだった。
明らかに違う。身体能力、技術力や、動きの魅せ方、到底付け焼き刃で真似できるものじゃない。
再び、拳に力が入る。
それにリンクして、叩かれた顔の場所に熱がこもって、全身にまわって行く。
「…ま、はなから期待してねぇし、こんなもんだろ。
今日はこれで終わりにしとく。次もやるかはよく考えたとけ。」
燐花先輩が小体育館を出る。
部屋の中は沈黙で満たされて、後味の悪い空気が骨にまで染みる。
傷んだ体を必死に起こして、先輩に声をかけた。
内容的には、大丈夫ですか、とか、ちょっとやりすぎですよね、みたいなもの。
こういう愚痴っぽいのには、いつも同調して難色を示しながら、大変ですわーなどと言うのがいつもの彼女。
しかし今日は、ただただ眉間に皺を寄せ、竹刀を振るった。
「選んだことですから。他ならぬわたくし自身が。」
「えっ…あの、今日は一旦、終わりにしませんか?
きっと次は、ただ戦うだけじゃなくて、本格的に観客への魅せ方を教えてもらえると思うんです。だから…」
「けれど、あの動きから学ぶことはあります。バク宙ばかり目立つけれども、そこまでの過程なら、わたくしもできるはず。」
どんどんと声の力が強まっていく。歯を食いしばったその姿は、涙を堪えてるように見えて、どうにもいたたまれない気持ちになる。
「あっ…先輩!血…口から出てます…」
「…ありがとうございます。」
血を拭って、竹刀を振るう。
息を切らして、それでも竹刀を振るう。
どうして…そこまで。
「あの!今日はもう十分ですよ!これ以上やっても意味…ないですよ。」
ついつい、語彙が強まってしまう。
劇の時はいつも腹から声を出すように意識してるせいか、久しぶりに喉から声を張り上げた気がする。
少しの沈黙の後、ゆらりと視線が向く。
その疲れ切った顔のキャンパスには、なぜだか淡い笑みの色が付いていて、黒一色の中、それはキラキラと輝いて、
「…わたくし、ずっとずっと、甘やかされて生きてきました。誰かに頼ったり、愛嬌を振り撒くのが得意だったのでしょうね。
でも…もう3年、3年生になるのですのよ?
このままじゃわたくし、なんだかいけない気がして。」
ホコリかぶって、
「だから、初めてなんです。あんなに厳しくされて、こんなにボコボコにされて。
けれど、きっと世間にでたら、これが普通。」
黒ずんで、
「いつかなんとかしよう、そんなことを思っていたら、あっという間です。
だけれど、今回はもう逃げられない。燐花さんのせいにしながら、やっとわたくしは、逆境に立ち向かえる。
皆さんと、肩を並べて、苦しみを分かち合える。」
切れ目が入って、
「先程の言葉、訂正致します。
わたくし達、ではなく、わたくしは、わたくしで。
この痛みを、どうか奪わないでくださいまし。」
引き裂かれた。




