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第3演目 合同発表 松尾水月 ナイトメアペイン

ジリリリリ!

2023年7月、午前6時20分。目覚ましが耳元で朝を知らせる。過剰なまでに大きなその音は、自分の目を覚醒させるには十分な音量で、朝っぱらからその音に体を叩かれたような気分がして憂鬱になる。

だが、俺にはこの気分をいつまでも抱えることなく、分かち合える人が居る。

「あー今日も今日とて朝ですよー。」

"そう言うな。どうせ今日もなんやかんやでなんとかなるはずだ。"

「ふふ、なーんも確定してないじゃん。」

そう言いつつ、朝に抱えた不満はとっくに晴れて、調子良くベットから出る。

そぞろとの仲は、かれこれ15年目である。そぞろは俺が生まれたときから一緒の存在で、その存在は俺以外誰も知らない。理由は簡単で、多重人格など信じてもらえる訳が無いというのと、誰かに教えたって、特段いいことがあるとは思えないからだ。

最初はそのことに不満を覚えていた。こんなにもいい友達が居るのに、誰にも理解されないことは、自分にとって最大の苦痛だった。それでも、辛くは無かった。誰もそれを理解しなくても、誰もそばに居なくても、絶対に離れない友人。ずっと心を通わせてられる絶対的な存在。そんな誰しも夢想するような人物を、俺は生まれながらにして手にしていたから。

もちろん全部が全員いいことには繋がらなかった。そぞろ以外の人の考えてることがまるっきり分からず怖く映ってしまったり、そんな相手と関わるくらいなら、ずっとそぞろと関わっておけばいいと甘えてしまうから。そのせいで人間関係の構築に関心が薄かったして、人付き合いが苦手だった。

いつも通り彼は俺の背中を押して、玄関のドアを開けるよう促す。学校にどんどんと近づいて行くと、色々な人が見えてくる。なんだかいい感じな男女。仲良く喋る友人同士。一人寂しく登校する人。

自分は多分、どれにも該当しない。一人なのに一人じゃない。そんな人間がそうそういる訳がないからだ。キラキラとした、まさに"青春"というものを、眼前で見せびらかされる。その感覚が学校にはあり、そのせいかあまり学校や青春という言葉が好きになれない。それは単なる僻みかも知れない。そぞろに甘えて、人間関係を構築できない哀れな人間の哀れな暴論。そう受け取られても仕方がない。

でもやはり、自分が異常というべきなのか、そういう状況もいいなと思ってしまう。

自分は演技が大好きだった。特に悲劇を演じるのが。それは己の内にある憐れんで欲しいという欲求の発露なのか、それとも押し潰した不満を爆発させれるからか。どちらにせよ、自分にとって演技とは、"嘘"とは違うということだった。自分が演じる人物に共感して、その者の言葉や心情を自分のモノにする。喜怒哀楽、そういう人の美しさに触れるモノであると認識している。だから、自分が少しでも惨めに見えれば、そこから悲劇が生まれる予感がする。そんな期待が常に渦巻いていた。

学校で授業を終えて、予鈴が鳴る。その日は部活が無かったから、さっさと帰ろうとした。しかし帰路を歩いている途中、唐突に雨が降ってきた。しかも小雨程度のもので無く、何処かに避難しないと風邪をひいてしまうくらいには大きかった。辺りを見回して、バス停に雨宿りできそうな屋根を発見した。そこに避難して、小さく安堵のため息をつく。一人でいれば、きっと雨に打たれる屋根の音が耳を支配するのだろう。雨の音は心の何処かにありもしない情景を植え付け、その美しさを元に歌でも作れそうなぐらいだった。平安貴族みたいな発想になるのも、きっと自分に酔いしれて、自分のことが、彼のことが好きだからに違いない。今思い返せば、そういう歌は恋の歌が多かった気がする。美しいものといえば自らが恋した人、みたいな感性があったに違いない。これが恋なのかと言われれば微妙なところだが、大切なものだと認識しているのは確かだ。そして、程なくしてそれは増えることになる。土砂降りの雨の中、水を身体中に浴びながら、一人の同年代の女子が避難してくる。

「いやー、参っちゃいますね〜。こんな急に雨が降るなんて。」

そう言った彼女の顔は晴れやかで、雲で固まった空とは対照的だった。

彼女の名前は和泉美咲。人生で初めて、そぞろ以外に関心を持った人だ。

─────

「あっ!水月君!一緒に帰ろ!」

それからというもの、何故だか美咲は俺に構うようになった。別にバス停の中で何か話をした訳でもない。

ただ軽く挨拶を交わしたら、丁度雨が上がったので、お互いそこで終わったものだと思っていた。廊下ですれ違った時にも、最大で軽く会釈するくらいだと思っていたから、いきなり下の名前で呼ばれて横に着いてこられたときには面食らった。

「ん。おっけ。一緒に帰ろ。」

そんなこんなで毎回それを容認して、帰路を歩く影は決まって二つになった。男女二人が並んで帰る姿は、さながら青春というものであった。生憎、青春という言葉は好きになれず、今一度、その理由を考えてみる。何かを考える時、俺は決まってそぞろの方を見る。そうすると彼は考えるように顎に手を当てて、一緒に悩んでくれる。

"恐らく、安っぽく聞こえるのだろう。私達の関係はそんな普遍的なものに収まり切るものではないからな"

じゃあ、俺と美咲はどういう関係だ?

"まあ、友達とかそこいらだろうが、どう変化するかは水月次第だな。"

そう言うと、彼は悪戯っぽく笑う。彼にこんな風にからかわれるのは初めてで、美咲と関わると初めてを沢山貰えた。そうして俺の中にも、なにか形容し難い感情が生まれていた。

「あっ!そういえば、水月君、料理得意だったよね!実はちょっと作って欲しいものがあって…、お金は出すからスーパー寄ってかない?」

「いいよ、お金は折檻しよ。俺も美咲に振る舞うなら本望だし。」

「やめてよ…勘違いしちゃうじゃん…。」

「ええと‥ごめん…?」

"水月、そこは謝るな。"

経験無いんだって!と心の中で抗議をして、スーパーで買い出しを済ませる。それからだと思う。誰かに料理を振る舞う喜びを感じるようになったのは。料理自体は好きだったし、会心の出来の料理は、誰かに食べてもらいたいとずっと思っていた。大体の初めてはそぞろだったが、ご飯を作ったり、触れ合ったりすることは叶わなかったから、そういう意味での人との繋がりは美咲が全て請け負っていた。そうしている内に、どんどん美咲に対する感情は大きくなっていき、それはそぞろに並ぶレベルに達しそうになった。毎日お弁当を作って、遊びに誘ったりして、自分でも驚くくらい積極的だった。

離したくない。そんな独占欲が芽生えるのも、初めての経験だった。そぞろは常に俺のもので、他を欲さなかった俺にとって、これはとんでもない感情の変化だった。

大体9月くらいだろうか、美咲が演劇部に入ると言ったのは。それは聞いた時は衝撃的で、それと同時に嬉しかった。部活がある日は一緒に帰れないし、特に入部理由が俺にあるということだったから。

ようやく、誰かに認められた。そんな気がした。そぞろは俺の分身みたいなものだから、どうしても自分で自分を慰めている感覚だったから、何を考えてるか全てを把握できない相手から、本当の信頼を受け取るということが、俺にとってはすごく嬉しかった。

彼女は部に入って、さすがというべきかそのコミュ力で多くの友達を作ったが、それでも俺を優先してくれた。そぞろに依存していたように、今度は美咲に依存しそうになっていた。

そうして満たされた心の中は、前のように悲劇を身に宿すようなことが難しくなっていて、11月の大会の劇が悲劇の主人公だったから、少し焦っていた。

あの時のような言い知れない不安、漠然とした恐怖。そんなものが心から無くなっていた。そんなとき、そぞろが話しかけてくる。

"水月、この劇、私がやってみてもいいか?"

その言葉に数秒思考がフリーズする。基本的にそぞろは人前に出ず、俺たちしか居ないときでさえ、交代したのは数えるくらいだ。

大丈夫?あんま人前に出たことないし…。

"問題無い。今の私にはそんなこと…。"

その言葉はどこか熱を帯びていて、しかもなんだか粘っこい。思考がぽわっとした感覚に包まれる。宇宙空間に放り出されたみたく身体が浮つくこの感覚は、自分が身体を動かしてない時、そぞろと交代してるときの感覚だ。久しぶりの感覚にちょっとドキドキしていると、時間にして20分くらい立ち、再び戻ってくる。

"ありがとう。久しぶりに前に出れて楽しかった。"

遠慮しなくてもいいんだそ。いつでも変わりたい時は言ってな。

そんな労いの言葉をかけた後、顧問の先生からお褒めの言葉を預かる。最近はスランプ気味だったけど、今の演技は感情が乗っていた。要約するとこんな感じだ。劇の練習は見返して修正できるように録画してある。パソコンの演劇部共有ファイルを開き、その動画をクリックする。そこに映っていたのは、まるで昔の自分のようで、確実に上手いと言えるほどの演技力を発揮していた。

───そして、心が揺らいだ。

そぞろの姿は、不安でいっぱいで、その唯一の捌け口に劇をやっていた。俺は勝手に、そぞろにももうそんなものは無いと思っていた。俺が美咲から得ていた満足感は、当然そぞろにも共有されているものだと。

違った。俺はただ、彼を置いてけぼりにしただけで、そんなことをしたことは一度も無かったから、そんな風に変わった自分が恐ろしくて、この満足感を恨めしく感じた。

彼は何も言わずにいる。彼が消えてしまったと錯覚する。

…違う。そぞろは俺の前から消えることはない。もしそんな時があるのだとしたら、それは俺が…

「うっ…おえっ…」

「水月君!?大丈夫!?」

誰かが、そう声をかけた気がする。言葉を出力しようとも、形となる前に昇華され、嗚咽と混じって消えてしまう。目元から涙が止まらなくなり、あの感覚が戻ってきたような気がする。言語化不可能のモヤがかかった不安。その頃からまた、俺は演技を上手く出来るように戻った。

それからというもの、分からなくなった。誰が自分にとってどう大切で、何が優先されるものなのか。

もういっそ、どちらからも嫌われたいと思ったが、そんなことになれば、結局俺は生きていけない。どちらも決めることができない俺は、変化を恐れた。このままの状態で、時が止まればいいと思った。

11月。無慈悲にもその日はやってきた。

まだ6時だというのに辺りは闇と同化して、月明かりももはや役に立たない。そんな闇の中、彼女は俺に話しかける。

「私ね…引っ越すんだ。あと3日ぐらいで。」

「えっ…」

息ができなかった。いきなりの話すぎて頭の理解が追いつかず、ただ決して、脳はそれに対する答えを考えることを放棄しなかった。ただ結論を出す前に、彼女は畳み掛けてきた。

「聞きたいことがあったの。水月君、私、あなたのことが好きだった。」

そこで一度、言葉を区切る。暗闇のせいだからか、彼女の表情は見えなくて、ただ声色から、どんな感情かは推測できた。

「でも、水月君は他に、好きな人がいるでしょ。」

「…そんなこと。」

「ごまかさないで、教えて、どっちの方が好きなのか。」

脳がまた回転して、必死に解を求めようとする。ただ考えれば考える程、自分が二人から貰ってきたものを思い出し、心が霧となって分散する。

考えずにどちらが大切かを言えたなら、そんな諦めに近いものが出てきたとき、もう手遅れだったようで、彼女が最後に俺に言葉を投げかける。

「もういい…さよなら。」

彼女がそう言うと、俺の前から姿を消した。

ぽっかりと、何か穴が空いた気がする。そして、何かがその穴にハマった気がする。

俺は手に入れたのだ。失うという感覚を。それがこんなに空虚なもので、苦しいものだと知った今、自分の演技力も大したことないのだと痛感した。

消える気がした。今までの気持ちが。初めての感情が。そんな時、彼が話しかけてくれた。

"大丈夫だ。私だけは君から絶対に離れない。君がどんな選択をしようとも。無くなりそうなら演じればいい、君は一度経験したのだから。君なら、私達なら出来る。二人だけの青春劇も。"

彼が言ってくれた言葉は俺にとっての救いで、どこまでも深く、そして甘い呪いだった。

二人だけの共依存。お互いがいなければ生きていけない俺たちは、もう戻れない。

こんな悲劇を、どこか望んでいたのかも知れない。

そして、俺達だけの劇が構築されていった。

ぐつぐつ。煮込んで、煮えたぎる。

ザクザク。切って、切り離す。

そして出来る。俺達二人で作った生き方が。

誰ももう、入る余地は無い。

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