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一番のファン

蝉がけたたましく鳴く夏の昼。時刻は午後1時を示し、熱気は最高潮に達して、35度は軽く超えてそうな気温である。ペットボトルのスポーツドリンクが必死に冷気をこちらに伝えようとするが、当然と言わんばかりに夏はそれを根こそぎ奪い去る。

「…今日はほんっとに暑いね…。桜、フラッときたら言ってね?」

「先輩こそ…。ここからが正念場なんですから。今のうちに回復しといた方がいいですよ。」

そんなやりとりを何回か繰り返していると、いよいよ目的地の一軒家が見えてくる。その前に立つ一息深呼吸を入れると、気休め程度の風が吹き抜ける。その風の影響で水月先輩が持つクリアファイルがゆらゆら揺れる。その中には俺たちがここにきた目的の重要な一つであるプリントが入っている。そのプリントには文化祭での演劇部の劇のことが記されている。俺らのミッションはこれを星羅の親友、津田香奈恵さんに渡すこと、そして劇を見にきてもらうことだ。この時間帯には香奈恵さんのお父さんがいないことはリサーチ済み。先輩がこちらに目配せをした後、彼はインターホンを優しく押し込む。

ピンポーンと放たれた音に、何かが共鳴するように音を立てる。太陽に晒された状態での沈黙はなかなかきついものがあったが、出てくるのはどちらかといえば冷や汗で、ガチャリと応答の合図が出されたときには暑さを気にしている余裕はなかった。

「…どちら様でしょうか?」

インターホンからは少し警戒したような声色で、ただし、それを気取られないように柔らかい口調の声が放たれる。唾を飲み込んだ俺に対して、パチっとウインクをして、水月先輩が話しかける。

「急に押しかけてすみません。私達は花縁高校の演劇部員です。今日ここに来たのは、近々文化祭で劇をやるので、是非香奈恵さんにも見てもらいたく、訪問させて頂きました。」

セリフを正確に打ち込むように、スラスラとはっきりとした物言いで応答する。どうやら先輩の声は誰にとっても聞き取りやすいらしく、インターホンの向こう側から、彼女が花縁高校の名前を反芻しているのがわかった。この高校の名前は、きっと香奈恵さんにとって印象深いもののはずだ。何しろ、絶縁した友達が二人いて、そのどちらともわだかまりを残したままなのだから。

「…ここまで足を運んでいただいて悪いのですが、私は劇を見にいくつもりはありません。私の記憶違いでなければ、そちらの部員の中に山口星羅君がいるはずなので。私はもう、あの人と関わっていてはいけないんです。どうかお引き取りください。」

彼女の返答からは、相手を突き放すような冷たさと、誰も信用したくないという意地を感じた。残念だが、やはり星羅のことは、まだこの人にとっては枷なのだろう。だからこそ、やはりこの人には劇を見せなくてはいけない。今の星羅の姿も合わせて。

「今、自分達は天草さんとも一緒に練習しているんです。あの人も今回の劇に出演するので。」

「…早苗ちゃんが…?どうして…」

「…天草さんは、星羅と一緒に前に向かって走っているんです。過去から逃げるためでなく、過去と向き合うために前を走っているんです。…よければ、練習風景を撮ってありますので、見ていただけますか?」

必死に声を絞り出して、言いたいことを焦りながら話し続ける。暑さのせいか、喉は渇きを訴え始め、心臓が早く動くせいで、なんだかフラフラとしてくる。そんな生き死にをかけたような問いかけは、数十秒の沈黙の後、答えを受け取る。インターホンはガチャッと切れて、相手の返答を聞くことができなくなってしまう。体の不調が現実味を帯びてきて、視界がぐにゃりと曲がりそうになる。このときは本当に頭がパニックになっていて、どんな些細な音も聞き漏らしてしまっていたのだろう。

扉が開いて、中から女性が出てくるのを認識したのは、これが幻覚でないと確信し終えた後である。

「あっ…えっと、」

情けない声を出しつつも、ポケットから乱暴な手つきでスマホを出し、不安そうな目をした目の前の女性に一つの映像を見せる。結構編集は凝っていて、燐音先輩やふゆが一枚噛んでいることだけはあるクオリティである。でも、彼女の目を最も引いたのは、先輩や星羅達の演技でも、煌びやかな衣装でも無かった。

「二人とも…仲直りしたんだね…」

ポツリと呟いた彼女の目は、どこか羨ましがる子供のような、それでいてどこか満足してしまったような目だった。

「…私のせいで、二人とも仲が悪くなっちゃってたから。こうして一緒に劇をやれるくらいの仲良しになれてよかった。」

「…気持ちは変わりましたか?」

水月先輩がなるべく穏やかに、でもどこかこわばった声で尋ねる。彼女もその意図を汲んだようにはっきりと言い放つ。

「はい。きっとまた、前みたいな輝きを私に見せてくれる気がするので。」

水月先輩の顔は綻んで、クリアファイルの中身を手渡す。彼女はそれをしっかりと受け取ってくれて、俺達のミッションは完遂された。

…筈なのに。

どこか腑に落ちない。これで終わってしまってはいけない。さっきまでビクついていた癖に、どこからともなくそんな自信が湧いてくる。一礼をして、彼女が家に戻ってしまうそのとき、口が勝手に言葉を紡ぐ。

「あの!…香奈恵さんは、また二人と仲直りするつもりはないんですか?」

「…どうしてそんなことを?」

「いや、その…なんだか、香奈恵さんの目はあくまで観客で、もちろん観客として招待をしてるんですけど。その後、劇の感想を話す相手はいるのかなって。」

「………」

「俺の勝手な意見ですけど、香奈恵さんは、二人のことを自分では手の届かないスターのように見てる気がして、対等な関係であると思ってない気がするんです。」

言い終わった後、さっきまでよりも深く、そして重みのある沈黙が流れる。多少の彩りを見せた彼女の顔はまた曇り顔になってしまい、暑いのに冷たい、そんな矛盾した心に嫌気がさす。

「私は…いいんです。二人のように立派じゃないし、未来の不安に耐え切れない。一度捨てられた程度で、仲直りしても、また捨てられることに神経質になって、結局元通りになれない。分かってるんです。二人と一緒なら楽しいって。でも、やっぱり二人といるのは怖いんです。

…なんて、変なこと言っちゃいましたね…」

二つの感情がぐちゃぐちゃに溶け合って、複雑に絡み合う。どちらとも本音であり、どちらとも真実である。だからこそ、これ以上下手に触りたくなくなってしまう。これ以上辛い思いをすれば、今までのものが本当に壊れてしまうから。でも、知って欲しい。星羅達の本当の姿を。演技をしてない本当の彼らを。きっとあいつだって…

「怖がってるんです。あいつだって。」

「…そんなこと…」

「あいつは…演技が得意だから、ああやって強く振る舞ってるけど、結局は不安を抱えながら劇をやってる。いくら完璧なパフォーマンスをしようと、受け手に伝わらなきゃ失敗だし、予想だにしないハプニングで台無しになるかもしれない。筋書きが決まっていても、探そうと思えばいくらでも失敗の芽は探せるんです。だから、あいつは一緒に劇をやってくれる仲間と一緒に居るんです。抱え切れない不安を、他の人と分かち合って、小さくなった不安を背負いながら前を進むんです。決して、一人で強いわけじゃない。」

「…それでも、私にはできないよ。自分の心を曝け出すのも、人の心を取り持ってあげることも…」

「なら、ここは俺にその不安を持たせてください。

星羅が、人生を変えるくらいのとびきりのファンサービスをしてくれることを。最高のスターであり、最高の友達であってくれることを。星羅の一番のファンの俺が、絶対に保証します…!」

「…ッ!」

俺が与えてあげれるのは、きっと小さなきっかけ程度、この人の人生を丸々変えるのは俺じゃない。でも、小さな勇気を与えてあげれば、それが大きなものになると信じている限り、俺は迷わずそれを与える。

彼女は顔を少し俯かせ、小さく息を震わせる。その後しっかりとした声で話し始める。

「二つ、訂正させてください。

まず一つは、見せてくれる…なんて受け身じゃなく、本当の意味であの人の劇を見ます。そして、私の在り方をそこでしっかりと決めます。」

その答えを聞いて、ようやく肩の力が抜ける。自分の納得できる答えが聞けるまで帰らないなんて、もしかして俺は頑固なのか?歳を取ったら大変だな…。

ちなみに二つ目は?

「二つ目は…」

……………

「…星羅君の一番のファンは私です!!」

………………………………………………………

「はあっ!?」

「桜、ステイ。ちょっと今は…」

「上等じゃオラァ!もし俺に勝てたなら秘蔵コレクションを渡してやるよ!ただし!負けたときは…」

「そこまで言うのは野暮…ですよね。でも、私だって譲れないものがあるんです。いきますよ!!」

「「デュエル!!」」

あたりは灼熱の業火に包まれたが如く燃え盛り、ヒートアップした二人には、太陽すらも音を立てて溶けるほどの熱量がまたわっていた。

「フフッ。先行どうぞ。」

「後悔するなよ…!俺のターン!」

「これターン制なんだね…」

「最初から最後までクライマックスで行くぜ!俺はスマホから、星羅の生着替え映像を発動!!」

「な、生着替え!?!?」

「どうだ!これは同性かつ、同じ学年、クラスでないと手に入らない代物だ!」

「…コストは倫理観…かな。」

凄まじい音が鳴り、稲妻のようなものが香奈恵を貫く。すでに満身創痍。一瞬にして勝負はついた。

…はずだった。

「なっ…今の攻撃を受け、立ち上がるだと…」

「私は、負けるわけにはいかないんです。星羅ファンのプライドを賭けて…!

…そういえば、自己紹介がまだでしたね。

はじめまして。私の名前は津田香奈恵。星羅ネームは

"山口香奈恵"!会員No.1を持つ女です!!」

突如、圧倒的な光が辺りを制する。自分の苗字に推しの苗字をくっつける図々しさと、古参ファンを真っ向から粉砕するその威力は、どんなものよりも…

「ば…ばかなぁぁぁ!!」

勝者!津田…いや、山口香奈恵!



帰り道、すっかり辺りは暗くなっていて、昼ごろに比べて、気温もマシになっていた。

「大丈夫?桜。」

「だいじょばないですよ…俺だけの秘蔵コレクションが‥.!」

「そうじゃなくて、あれでちゃんときてくれるのかなって。」

「…大丈夫ですよ。」

今日はなんだかよく口が動く。しかも勝手に。空を見上げると、星はキラキラと光っていて、それはきっと、同じものを見ている人に繋がりを与えている。星羅にも伝えてあげたい。お前のお陰で、新しい友達ができたって、それと…

「一番のファンの称号は、そう簡単には手に入らないんです。」

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