ファンサービス
「ん…あれ?どこだここ?」
目を覚ますと、誰かの家の一室で寝ていた。頭がすごく痛くて、なんだかポワポワとした感覚に襲われる。体の内臓が浮くような感覚がして、どうしたって落ち着かないはずなのに、それよりも懐かしさに心を沈められる。それより、俺はどうしてここに…
「星羅君?どうしたの?」
「……かな…え?どうして…」
「どうしてって、ここ私の家だよ?星羅君が遊びに来てくれたんだよ?」
目の前にいる香奈恵が目を丸くしてこちらを見つめる。その目を見た瞬間、自分が何を考えていたのかわからなくなる。比喩でもなんでもなく、本当にすっぽりと、まるでその事実がなかったかのような気がする。
そうだ。俺はいつも香奈恵、そして早苗とアイドル鑑賞をしていて、今日は俺の初舞台をもう一回見ようって話になってたんだ。
「あれ、早苗まだ来てねえの?」
「うん、早苗ちゃんは"先に行ってる"らしいから。」
「…?先にって…」
その言葉に引っかかりを覚える暇を与えず、香奈恵はスマホから俺のライブ映像を再生する。まだまだ小規模で、今まで鑑賞してきた人達に比べると、まさに天と地程の差があるのだが、何故だか自分の姿が眩しく見える。見てられないほどに。ふと、隣の香奈恵を見ると、いつものようにはしゃいだ感じではなく、微笑みを浮かべて、画面の中の俺に目を奪われていた。
「ふふっ、すごいね。星羅君が舞台に立ってるなんて。」
「つってもアイドルらしいことはできてないけどな。あと少し、なーんかもう一工夫欲しいんだよなぁ。」
「そう?じゃ、次はこれを見てみよ。」
再び画面を持ち上げて、動画のフォルダを下にスクロールする。そして再生された動画の年は2022年、俺が小学6年生の頃で、だんだんと売れてきた頃だ。
画面の中、必死に踊る俺はなんだか楽しそうで、最後にバチっと決めたウインクなんかは見てるこっちまでその楽しさが伝わってきた。
「いっぱいやったよね。ファンサの練習。観客一人一人に気持ちを込めて、絶対に楽しませて帰らせようとしたこの頃は、間違いなくみんなの理想だったよ。」
そう言われると照れ臭くなると同時に、雲に隠れていた感情が、どんどん姿を表してきたような気がした。
成長するに連れて、どんどん目線が高くなっていって、雲の中が見えそうになる。観客一人一人を見つめていた視線は、どんどんと全体を見るような視線に変わり、全てが空回るような空虚な心が這い出てくる。
…怖い。どんどん自分が間違った選択をしているみたいで、それを正そうと周りの顔色を伺うと、それがもっと加速していく。有名になるたびに見る人が多くなっていって、舞台で踊っている俺の笑顔が、行くあてを探して散り散りになっていく。
「…なぁ、香奈恵…」
「どうしたの。星羅君。」
「もう見るのやめにしねぇか?これ以上見ても、多分いい結果にはならねぇから。」
ゾクゾクと背中をつたって、自己嫌悪と罪悪感がよじ登ってくる。何かこの先には確信めいた破滅が待ってる気がしてならない。そう思うと、これ以上前に進みたいと思えない。懐かしさを感じていたこの部屋もすっかり寂しさを覚える空間になっていて、光っていた照明もただ影を作るための装置に成り下がる。暗がりの中、香奈恵はただずっと画面を見ている。
「やめることはできないよ。」
「な、なんでだよ。」
「この世に生まれ落ちたなら、死ぬまで生きなきゃならない。当たり前だけどね。中には、生きることに疲れて自ら幕引きをする人もいる。こんな風に挫折した人とかね。」
そう言いながら、香奈恵はスマホをさらにスクロールする。時期は2024年の冬。会場は最初とは比べ物にならない規模の舞台なはずなのに、過剰なまでのファンサ、やたらめったらに飛ばす歌声、一貫性のない目線。全てが惨めで馬鹿馬鹿しい。勝手に生き急いで、人生の時を早く次に進めたがってる。
そんな目も当てられない姿が、だんだん今の自分と重なってくる。そう思うと目を逸らしたくなる。
そんな時、それを許さないようにきっぱりとした声が部屋を揺らす。
「…星羅君。私は、人生って大雑把に二つに分かれると思うんだ。"あっという間に過ぎる楽しい喜劇"と
"長くて苦しい悪夢のような悲劇"。分けれるとは言ったけど、多分どの人生にもこの二つは複雑に絡み合って、極端なことにはならないと思う。だから最終的にどっちだったかを決めるのは人生の最期。幕引きが終わった後の舞台の感想のように。
…でもね、最悪な時期のときに人生から逃げたら、それをずっと抱えることになる。そんな状態で迎えた最期がどんな感想になるかなんて、言わなくても分かるよね。」
そう言うと、香奈恵は一息ついて言葉を切る。分かってる。ちゃんと自覚してるよ。自分が生きることから逃げてるなんて、誰とも向き合おうとしないことなんて、だとしても…
「じゃどうすりゃいいんだ?俺は、あのときの俺なりに喜劇にしようとした。でもしくった。取り返しがつかない程に。なあ、そんなにダメなのかよ。逃げるって。これから先、こんな風にミスをして、さらに落ちぶれて。これ以上生きるのが怖いんだよ。だからって死にたいとも思わない。だったら、ここで逃げて、被害を抑えた人生にする。それでいいだろ。」
「…いいの?悲劇になって。」
「おあつらえ向きだろ…悪役にとって。」
空気が淀む。ここは隔離された部屋で、換気も何もされていない。薄暗くて閉鎖的。いつか、息の仕方を忘れるんじゃないか。そんなことを思えるくらいには、生きてる実感がなかった。胸がどんどん苦しくなって、目がチカチカする。フラフラと倒れそうになって、浅瀬でゆっくりと身が滅びるのを待つ。
そんなとき、右手に暖かいものが触れる。小さくて、振り払おうとすればすぐできるようなもの。見ると、香奈恵が俺の手を握っていた。初めての握手の…ファンサービスの練習のときみたいに。
「私はね。人生を喜劇にするには繋がりが必要だと思ってるの。」
「…繋がり?」
小さく「うん」と頷くと、彼女は手をさっきより少し強く握り、再び話し始める。
「一人でもがいて、苦しんで、結局ダメで。かくいう自分は助けてもらえない立場だから。あの人に何か返せないから。あの人に助けてもらってばっかだから。あの人に迷惑をかけるから。そんな考えばっかりが頭を回って、最終的に一人で潰れちゃう。だから、そんな考えにならないように。私達は色んな人と繋がらなくちゃいけない。色んな人を助けて、自分も助けてもらう。それが、人生の生き方。」
「…俺は、いいのか?助けてもらって。あんなに酷いことをしたのに。」
「ふふっ、言ったでしょ。色んな人を助けて、自分も助けてもらうって。これはタダじゃない。」
手を握る力が弱まると木製の扉がキィと音を立てて開き出す。そこからは小さく光が漏れていて、息苦しいこの部屋には、何よりも尊い存在だった。
その瞬間に理解する。俺が何をすべきか。誰と繋がり、誰を助けるべきか。
「…私はまだここから出れないから。だから…」
「分かってる」
扉に手をかけて、一度深呼吸する。入ってきた新鮮なこの空気は、香奈恵からの貰い物。
だったら返さなきゃいけない。俺があげれるもの。俺の与えられる最大の…
「必ずここから出してやる。そんでもって、俺の熱いファンサービスをぶつけてやる!」
「…うん!また私と、握手してね!」
「おいふゆ!お前星羅に何飲ませてんだよ!」
演劇部の部室。吹奏楽部の私にとっては見慣れない光景であったのは確かだが、まさか見るからに怪しいフラスコとぶっ倒れてる星羅を見ることになるとは思わなかったので、かなり面食らって動けずにいる。ふゆと呼ばれた子は誇らしげに話し始める。
「ふふっ、作った、薬。暴露しちゃう、飲むと、心の内を。今は、整理中、心の中。」
「まーーた暴く系?視聴者数に味を占めたTVディレクターみたいなことをしよって…」
「…で、これどうやったら起きるの?このままぶっ倒れたままは不味いんだけど。」
「演劇部だよ?私達。決まってる。目覚めには、必要。王子のキス。」
キ…キス?衝撃的な言葉を反芻してるうちに、扉の脇の2年の空海先輩が「またバカなことを…」と言ってることから、これが平常運転なことに戦慄する。
「いいじゃん。すれば。好きなんでしょ。星羅が。私より。」
「前の好感度測定のこと、まだ根に持ってらっしゃいますのね…」
「そもそも、応援だよ?これは。やりやすい。素直になれば。星羅チャレンジ。」
クスクスとふゆが笑って煽り出す。なんだか空気が悪い…そう思うや否や、煽られてプルプルと震えていた桜が意を決した顔で言い放つ。
「いいよ!?じゃあやってやる!同性とは言え推しは推し!こんなとこで引いたら俺の負け…!俺は勝利をリスペクトする!!」
「えっ…ちょっと待っ…」
「落ち着け桜!相手は男の同級生だぞ!?」
「知るかぁ!」
口を近づけて、後数センチで地獄が形成されるところで、星羅の口からうめき声が聞こえ、瞼を震わす。
「ん…あ、あれ?俺は…」
「星羅!良かっ…」
「うおっ!?顔近けぇ!?」
「ぶへっ!」
倒れていた星羅は起き上がって、鼻がぶつかりそうな距離の桜を押し飛ばす。額に汗を浮かべて
「お前…何をされてる方なの?」
と謎の丁寧口調で困惑を表現している。だけど、これで役者は揃った。言わなくちゃいけない。香奈恵のことについて、そう思って星羅の前に立ち、何を話そうか、事前に決めてきたことを言おうとすると。
「早苗!その、今までごめん。俺、ずっと逃げてきてた。あのときのことを解決する姿勢だけ見せて、本気で解決しようとしてなかった。一人じゃ何もできないくせに、自分勝手に特攻して、それで玉砕したらもう終わりだなんて…早苗。今更何をって思うかもしれないけど、俺と一緒に…香奈恵を助けて欲しい。お願いします。」
「…それは私も。星羅。私だって、あなたが必要なはずなのに、勝手に追い払って、自分だけで抱え込んでた。私からもお願い。一緒に香奈恵を助けてほしい。」
他の部員達はザワザワとどういうことかと話し始める。そんなとき、とびっきりのドヤ顔で部員の前に出た人がいた。
「さぁて、文化祭の劇の配役発表及び、目標を説明させてもらいましょう!」




