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ミルグラム実験

ミルグラム実験。それはアルバイトと銘打った大学の心理実験で、その実験内容は権力者の命令ならどの程度まで人は良心を捨てるのかというもの。2人の被験者は1組のペアとなり、片方が先生役、片方が生徒役になる。先生役の人は生徒役の人と別室に行かされ、生徒役の人に四択クイズを出す。ここまででは実験とはいかない。本命は、生徒が一問間違えるごとに生徒と繋がってる電極パッドの出力を"先生"があげることにある。間違えるごとに出力はどんどん上がっていき、最後には死に至るほどの電気ショックが与えられる。たとえ相手がどれだけ悲鳴をあげようと。

もちろんそんな人権を無視したことはできないので、生徒役は大学側の人間。悲鳴は全てあらかじめ録音されていたものである。先生にはそのことを伝えず、博士の命令、つまり悲鳴が聞こえてようと出力をあげることに従うのか?という実験である。最後まで出力をあげ続けた割合は65%という過半数を超えた結果が出た。

俺はどうしてか、自分は押さない側の人間だと思い込んでいた。きっとアイドルをやって自惚れていたのだろう。自分は特別な人間なのだと。だが、価値基準を他人に置いた人間にとって、自分の意思など介在しない。ただ人にどう見られるか。たったそれだけ。そもそもアイドルになった理由さえ…。

そんなことを考えてる間に目的地に着く。手には有名なメーカーのお菓子を持って、ある一軒家のインターホンを押す。ピンポーンと言う音が鳴り響く。だが中からは何か動いてる様子は感じれず、ただただ虚空に音は吸い込まれていく。3秒ほどの沈黙の後、誰も応答してくれないのを確認して、こちらから口火をきる。

「すみません。津田香奈恵さんはいらっしゃいますか?」

先ほどのように虚空に声を投げかける。だが今回は、その闇を揺らし、何かが波紋となって広がる手応えを感じた。インターホンが小さくガチャッと音を鳴らす。誰かが対応してくれたサインを受け取ると、自然と手に汗が滲んでくる。相手の言葉を待つその姿はまるで判決が言い渡されるのを待つ罪人で、そんな言い換えをしている自分に我ながらよく言ったものだなと自嘲する。

「…話すことはありません。お引き取り下さい。」

インターホンから繰り出された男性の声は生気がこもっておらず、むしろそこに引きずり落とすためにあえて自らを殺した。そんなものを感じた。だが、今日はここで引き下げる訳にはいかない。今日しかないのだ。あの忌まわしい過去を清算するには。

「今日、香奈恵さんがライブに来てくれて。もう一度、謝らせて欲しいんです。お願いします。」

「香奈恵が…」

深々と頭を下げ、相手の応答を待つ。相手…香奈恵の父は、どうやら香奈恵がライブに来てくれたことを把握していない様子で、インターホン越しからでもその困惑した雰囲気を感じとることができた。蝉の鳴き声は、えもしれぬこのグチャッとした粘っこい感情に苛立ちを付け加え、太陽の熱気は脳を溶かし、確実に腐らせていった。そんなことに焦燥感を覚え、急かそうとする気持ちをグッと抑えると、再び相手は言葉を紡ぐ。

「何度来ても同じです。香奈恵があなたに会おうとしない。インターホンに出なかったのが全ての答えです。もう二度と娘に関わらないで下さい。」

「待ってください!お願いします!あと一度だけでいいんです!今度こそ、ちゃんと…」

そこまで言うと、インターホンはガチャッと切れる。だがその代わり、家の中から足跡が聞こえ、着々とその音は玄関に…こちら側に近づいて来ていた。その音はどんなものより希望に満ちたものに聞こえ、どんな照明に照らされた時よりも、世界が輝いて見えた。扉は重苦しい音を上げ、ゆっくりと開き出す。中からは香奈恵の父が出てきて、その顔にはやはり生気がなく、だが不思議なことに死んでいるとも思えなかった。その顔が見えた瞬間慌てて言葉を出そうとする。


バチン!

皮膚から鈍い破裂音のようなものが鳴り、叩かれた部分が赤く染まる。暑さで麻痺していた脳では瞬時に状況が理解できず、やれることと言えば"相手の顔色を伺うことだけ"。彼の顔からは怒髪衝天だとかじゃ安っぽく感じるような、生き地獄を知る人間にしか出せない表情をしていた。彼の心の中は闇一色なはずなのに、確かに俺はその人の中から炎を感じた。闇と同居することが可能で、絶対に消えることのない強い炎を。

「お前が…お前のせいで娘はこうなった!お前がくだらない見栄を守るために娘を殺した!本当ならお前のアイドル人生…ひいてはお前の人生すらぐちゃぐちゃに壊れていたはずだ!何故そうならないのか分からないのか!?」

ウジが背筋を伝いどんどん繁殖する。時間は凍りついたままなのに、体はお構い無しに腐食する。そう、生かされ続けているのだ。腐り切って使い物にならないように、死んでしまってそれで終わりにならないように。言い換えるなら…

「お前は守られてるんだよ!自分が守ろうとせず、傷つけた人にな!もうこれ以上関わらないでくれ!

…いつまでも、あの子の人生に居座るな…!」

扉は勢いよく閉じ、その風圧からは生暖かい風を感じた。

太陽はギラギラと必死に輝いている。闇に覆われないように…

次回 照明OK!ナイトメアペイン 

山口星羅ナイトメアペイン

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