追憶
三枝というのはいったい何者なのだろう。
その名前を聞いた時からハルはその思考に没頭することが多くなった。
まったく聞き覚えのない、しかしどこかで聞いたようなその名前は彼の頭に鈍い痛みをもたらしている。今思い返してみれば佐原、あの男の名前にも引っかかるものがある。どこで聞いたのかは思いだせないが、アイツはいったい何者なのだろう。
「……ル!ハル!おい聞いてるのか?」
「あぁ、ぼーっとしていたみたいだ。わるいなガネさん、で何の話だったか。」
「また三枝とかいうやつについて考えていたのか?まあいい、今度の襲撃に関してだ。
ハルの前回の"SAO"奪取でひとまず牽制はできた、このまま一気呵成に攻め入って轟扇組の部隊を一つ落とす」
「まあ、役に立ったなら何よりだが。派閥じゃなくて部隊?どこのを落とすんだ?
聖-ホーリー-派閥は以前の襲撃で勢いが落ちたし……土井か?」
聖-ホーリー-派閥はハルが以前つぶした相手だ。優れた連携や独自の命令系統より来る動きの読みにくさなどで
苦戦したものの何とか撃破することができた。たしか林檎電算機とかいうものを使っていたか。
「いや今までいたやつらじゃなくて、最近出てきた勢力なんだがな。今のうちにたたいておこうと思って……福木の直属部隊で遊戯隊っていうんだが、聞いたことあるか?」
「聞いたことないな。情報管理は管轄外だし、だからガネさんがいるんだろ?」
「おまえなぁ……。じゃあ"Pgo"事変は聞いたことあるんじゃないか?
そのときのリーダーだった伊門っていうやつが前線に帰ってきたって噂なんだよ。あと今度マキブでも……っておい!ハル!しっかりしろ……」
伊門、その名前を聞いた時ハルはあの時のような猛烈な既視感に襲われた。
そして世界が色あせ、声が遠のくと同時に彼の脳裏にとある光景が映し出された。
――「伊門っち!お前"Pgo"には手を出さないって言ってただろ!なんでだよ!なんでこんなこと……」
暗い部屋、伊門は彼の言葉に耳を傾けず、手に持った端末を操作していた。そして端末を傾け部隊の戦いぶりを、
確認しているがその内容はうかがい知れない。彼は強さに貪欲であった、常に他者の戦いを観察しているのだ。
画面の中では部隊が劣勢のようであることは彼の嘆息から読み取れた。
「あーあ、おとしちゃったー。やっぱり俺が出なきゃダメかなぁ……」
彼の戦いは常に速攻、相手が展開する前に一気呵成に反抗手段のことごとくを圧殺する。
そのさまを恐れ、つけられた異名は"神速の魔術師"彼が出れば敵部隊は一瞬で制圧され"Pgo"の蔓延を止める者はいなくなってしまうだろう。
「伊門っち!俺の話を聞け!」
そういって伊門を引き付けるため彼は伊門の身に着けているフードを引っ張ろうとした。
だが彼の手が届くことはなく伊門につかまれてしまった。
「やめろ……!今日は"仕事"があるんだ。俺にかまうならお前から倒すぞ」
そういって伊門は二振りの剣を構える。銘を不来喪そして月光、伝説に語られるほどの名剣だ。
そしてそれ以上に鋭い殺気が向けられる。邪魔をすれば彼も敵対者として認識され即座に戦闘になるだろう。
しかし彼はひるまない。伊門を止められるのは今この場において彼しかいない。
ならば己が身を賭すことに一片の躊躇もあるものだろうか。
「俺がここで伊門っちを止めて"Pgo"も消滅させる。轟扇組をあるべき姿に戻すんだ!」
「三枝に俺が止められるかな?そんな古臭い戦いしかできないお前が……!手段を選ぶお前が!」
「止めて見せる!伊門っちがどれだけの手段を使おうと、"知ったことではない"からな」
先に踏み込んだのは伊門であった。右の月光が閃き三枝に襲い掛かる。迎え撃つは拳打。ぶつかり合う二人にとっての牽制は常人より見れば必殺。そんな応酬が十、二十と打ち合わされる。暴風のあおりを受けて部屋の壁には裂傷が刻まれる。
朱が飛び、骨がきしむ音がする。それでもその舞踏は止まらない。否拳速は迅く剣圧は重く、なおも激化の一途をたどる。
「流石に早いな伊門っち、その剣閃"オッドアイズ"と呼ばれる所以は身に染みた」
「三枝もそこまで腕を上げてるとは思わなかったよ。俺も本気を出すしかないみたいだな」
いったん距離をとった伊門は懐から小瓶と一枚の札を取り出す。
「ボンクラどもが作ったものだが、これは成功例だ。"狂想薬G"俺はお前みたいに恵まれていたわけじゃないからな。
つかえるものは使わせてもらおう。戦場すらも俺に味方する、哲学者もたまには役に立つものだ」
伊門が札をたたきつけた瞬間風景が変わる。翠玉の輝きに囲まれた街並み。それはかのオズの理想郷を否応なく想起させる。
小瓶の中身を飲み干した伊門に向かうは足刀。数瞬前と真逆の構図になったその激突ではあるが、迎撃は先ほどと同じ速度で放たれた。そう"同じ"であったのだ。ならばあの薬はいったいなんであったのか。その疑問を持つほどの余裕は三枝にはなかったが、しかし十合で違和感を感じ、三十合で疑問を呈し、五十合の剣戟で答えが露見する。
「その薬はねぇ、体力の底上げ、いや強制的に体のリミッターを外しているのか!」
これほどの戦闘。いかに伊門といえども疲労がたまり、鋭さが損なわれていくはずだ。
だが刃の軌跡は衰えず、いなす滑らかさに一点のくもりもない。なればこそ、その手品のしくみは先刻の薬であろう。
そのような無茶をすれば体に負担はかかるだろうが、その負債が支払われるときには彼は地に伏しているだろう。
極限の戦いにおいては小さな差でも勝敗を大きく分ける因子になる。ゆえに彼が勝利を手にするためにはここで仕掛けるしかない。
その僅差が顕在化する前のこの瞬間でしか彼は勝ちえないだろう。
「ここで終わらせる……。トランザム!」
「なっ!?ここからさらに加速するのか。でもそれってまずくないか?俺以上の負担だろう、それは」
伊門が言っていることは真実である。しかしガタがきてしまう前に決着をつければいいだけだ。
そして、それは互いに同じである。加速し続ける舞踏はなおも傷を増やし最後の時を近づける。
己が渾身の一撃がぶつかり合うときそのとき、それはやってくる。
奇しくも初撃と重なり刃と拳が拮抗する……かに見えた、その瞬間伊門の体がわずかに沈む。
切り裂かれるはずの衝撃は揺らぎを見逃さず、一直線に伊門の体を打ち抜いた。吹き飛ばされる体躯は壁で止まり、鈍い音とともに頽れる。
「俺の勝ちだな、伊門っち。"Pgo"は回収させてもらおう」
「…………」
勝者のはずの彼ではあるが今は立っているのも不思議なくらい疲弊している。それだけギリギリの戦いであったのだ。
伊門が負けたのに、薬の副作用、剣のガタ、覚悟の差、様々なそして無意味な憶測をつける必要はない。
最後に立っていたのが彼だという事実、それで十分なのだから。
倒れた伊門から"Pgo"を回収し、立ち去ろうとしたその時、かわいた銃声が鳴り響く。
「管轄外だけどさ………されると困るん……。福木にも釘を刺して…………」
現れた男は何かをしゃべっているようだが、彼の耳には届かない。生命が流れ出していくのがわかる。だがここであきらめるわけにはいかない。
「まて……。それは処分しなくてはいけないんだ……」
「まだしゃべれるの?こいつはもう少しよわいって聞いてたんだけど、激ヤバ注意だね。まあこいつは先に研究所におくっておいてよ。
この負けちゃった役立たずもとりあえず記憶を改ざんしておかないとね。ちょうどいいや、実験体に困ってたんだよね」
先ほどよりは痛みによって明瞭になった意識が"覚えて"いるのはその言葉と運ばれる浮遊感が最後であった。
「うわぁっ!今の光景、どういう……ことだ?」
「また考え事か?今度はずいぶん短いようだけど、とりあえず次の作戦までに医者にいっておけよ」
ひどい頭痛だが、ガネさんの言い分からすれば実時間で言えばそれほど立っていないようだ。
しかしあの色濃い記憶、根拠はないがあの彼は自分であると確信できる。だがなぜ?当然その問いにこたえるものはいない。
この頭痛さえ収まれば、また何か思いだすかもしれない。仕方ないが治療を受けに行くとしよう。
「とりま、医者に掛かってくるよ。すまんなガネさんマキブは今度だ、作戦に支障をきたしちゃいけないからな」
「そういう意味ではないんだけど……。まあいいか、それじゃいってこい」
彼の向かった先は南千住の唯一の医療施設、林檎医院である。轟扇組もレジスタンスも医療行為にたける者はいない。
ここだけはお互いのことを詮索しない、中立の停戦領域である。
「このね、自由落下運動しっかり見える?見えるなら問題なしだ」
やたらラフな格好をしたこの男がこの医院の院長のジョブズ先生だ。実際名は知られていないが、よく似た人物の名をとってそう呼ばれている。
問題なしとされ、試験も近いからなどと訳の分からないことをいわれ早々に診療は終わりおいだされた。
そして診療室を出たハルは今まで感じたこともない衝撃に打たれていた、感動といってもいいだろう。
ぶつかってしまった、なぜかメイド服を着こんだ少女を見た瞬間、心臓をわしづかみにされたようであったのだ。
「マァァァァ!ごめんなさい、ぶつかってしまって……」
「パルパルパルパル似合いすぎている……ハっ!?いいいいえ、こちらこそすすすいません」
完璧に動転している。もしたとえ目の前の少女が好みド直球の子で。いかに薬をキめているかのように心がぴょんぴょんしていても
ここまでどもることはないだろう普通。ハルは内心とても落ち込んでいて、みんな死ぬしかと言い出しかねない有様であった。
しかしかけられた鈴を転がすような声に一気に現実に引き戻された。夢心地でもあったが。
「私の名前は紅葉ライムです。お詫びにこの後お茶でもいかがですか?」
それは運命の出会いであり、宿命の再会であり、ハル17歳男の初恋であった。ひとめぼれだった。




