進むもの、留まるもの
「お前、俺は言ったからな。神弓・乙は諸刃の剣だからな、自己責任だぞ」
己に問いかけてくる声。少々間延びしたような気の抜けた話し方ではあるが、その眼は笑っていなかった。こちらを見据える視線はこちらを射抜き、覚悟を確かめているようでもあった。
虎は死んだ。これは起こってしまった過去でありもう変えることはできない。一年前のあの日虎は確かに死んだのだ。
だが虎はいまだに生きている、これもまた事実であり進んでいく今だ。死んだ者が生きているというこの矛盾はしかし彼が何らかの非科学的な存在になってしまったことを意味するわけではない。
不可思議な力による延命をそう表現しないのならばではあるが。そう、延命である。猶予をもらい、いつまで続くともわからぬ力に寄りかかった仮の命はもとの彼自身の生の延長線上にある。
絶命したはずの虎の命を繋いだ奇跡こそ南千住の三代名家が一つ、連判家に伝わる祭器である。神弓・乙、それは死にゆく者に猶予を与え今一度の挑戦を認めると言われている。
しかして大抵のものは代償のように与えられる試練にくじけ、本来の世界の理通りに死してゆく。伝承の中にもそれを乗り越えたものは数えるほどしか存在しておらず、その全てがその事実以外を失伝している。
そのため当代の契約者である虎も乗り越えた先に何があるのかは分からない。だが手をこまねいていても祭器は救いを差し伸べたりなどしない。
生前取りこぼしたものを掬い取り、試練を超克したものにのみ真の力を貸すのだ。
がしかし、虎は今机に突っ伏していた。おおよそ伝承の勇者に名を連ねようという者の所業ではないだろう。
「つかれたンゴね~、はぁ仕事しよ」
そうは言うものの彼は突っ伏したままである。レジスタンスの事務所であるここでぐうたらしていられるものなどなかなかいないだろう。
さらに言えば虎は轟扇組の組長である林の側近であったはずだ、ならばなぜこんな状況にあるのだろうか。答えは簡単で助かった虎を拾ったのがレジスタンスだったからである。
もとより林の横暴な態度やあまりの無能さに辟易していた虎は拾ってくれたレジスタンスへの恩返しという意味もあり、轟扇組から離反していたのだ。
以降彼はレジスタンスにおいての轟扇組に関する情報源として重用されている。もっとも虎の気の抜けたような言葉から有益なものを拾い上げるのには難儀をしているようだ。
彼の仕事はそれだけではないが、ほとんどの場合虎が出ていく必要もない。シャムとその相棒や他の部隊を失って久しいものの、現在のレジスタンスは最古参である神乃を筆頭に
最盛期に匹敵するほどの戦力を擁している。そんな状況でわざわざ情報源を危険にさらすなど、よっぽどのことでもない限りはありえない。最近はそのよっぽどのことも少なくないのだが
それでもやはりエースなどとは比べるまでもなくこうしていることが多い。彼本人としてはこの仕事や戦場よりも清掃の仕事がしたいと言っているのだが、
そのような雑務に戦力を遊ばせておくわけもなく受理されたことはない。まれに目を離すと勝手に掃除を始めていることもあるのだが、清掃された場所があまりに
整理整頓されその部署の作業効率が上がるのは事実のため止めるに止められないといったところが現状である。
「仕事はしないんですか?」
「筆箱だしたし、もう今日は休むンゴ。だから早く帚をこっちにクレメンス」
部下からの仕事の催促に適当に答えると、虎は部屋を出ていってしまう。きっとまた勝手に掃除をするのだろう。管理責任を問われることを想像して嘆息した部下は足早に虎を追った。
「まじさ、この大事な日にあいつら一人も来ないとかキてるな」
きっと芝田などがいたら、きてないんだよね、とかそんな指摘をするのだろうが。そんな独り言に答えるものはいなく、林は一人佇んでいた。
「虎の命日なんだしさ、みんなで集まって弔いしようぜ」そう呼び掛けたものの、集合場所に指定されたオム飯亭にはだれ一人来ることがなかった。
なぜと自問するも答えは出ない、もともと林は頭脳労働が苦手であった。平均より秀でた能力を得意と定義するのならば彼に得意なことは一つとしてないのだが、
其の中でも抜きんでて劣っているのが考えることであった。常軌を逸した決断をするその頭脳は芸術家としてならあるいは成功したかもしれないとまで言われる。
それほどまでに林のロジックは不可解で何人たりとも思考回路を追うことはできなかった。
「あいつが死んでからもう一年か……、こんなん追悼だろ」
やはり前後のつながらない理解不能のつぶやきを漏らして虚空を見つめる彼は一見感傷に浸る物憂げな有能組長に見えるかもしれない。
だが轟扇組には彼の真実を知らないものは存在せず、どこをどう取り繕おうともぼーっとしている無能組長としか見ることはできないだろう。
幸か不幸かこの場に他の者はいないためそう称されることはないが、つまり彼の人望のなさが際立ってしまう結果になっていることに林は気づいていない。
「八時まで待ったし帰るか、ほら撤収撤収」
誰にともなくそう叫ぶと、降り注ぐ雨から逃げるように立ち去る林。来なかったものに対する怒りか、虎を救えなかった虚しさか。
はたまた今度もまたくだらない理由なのか、いらだたし気に唇をかみ夜の街並みを走っていく。その途中端末で組員にたいして明らかに遅い招集をかける。
「なんでお前ら来なかったの?こういう大事な日はさ、責任持とうぜ」
「そういうのは余裕をもって連絡しないと無ゾ。予定確認ガバっちゃったガバ?www」
「アッヒャ!今更とか馬鹿じゃねぇ!?」
「というか、さすがに死んでない人の命日とか意味が分からないんだよね。無能にはなにをかけても無能ってことかな、あっ無能には難しい言葉でわからなかったかな?わかりやすく言うと激ヤバ注意なんだよね」
「は?そういう冗談はやめない?虎が死んだのは事実だし、そんなん冒涜だろ」
その一文を見たとき、会話していた者も見ていただけの者も固まった。そうただ一人林を除いて。
こいつは何を言っているんだ?それが全員の総意だった。虎が死んだなんてそんなことありえない、それは希望的観測などではなく度重なるレジスタンスとの衝突の中確認されたことだ。
確かに一時は死亡したものとされていた。だが虎という名を名乗り容姿や声、話し方まで酷似しているレジスタンスの幹部が行方不明になったあたりで出現している。
これはもうあの時の事故によって愛想をつかし寝返ったものだという認識は轟扇組のなかで共有されていた。はずだったのだが無能組長の中では違ったようであまりに滑稽な勘違いが
一年を経て露見してしまった。なぜこうも無能が過ぎるのかと皆、嘆息するが林は気づかない。
「もういい。それよりそろそろレジスタンスの対策をみんなで集まって話し合おうぜ!」
進むものと留まるもの、一概にどちらが正しいとはいえないのかもしれない。しかし破滅に向かって進むのは停滞と比べてもやはり……。




