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約束  腸流篇



「あーウンコ漏れそ……」


岸田教団のアジト、彼らはそう呼んでるが実際は只の空き倉庫だという事はよく知られている。団員も少なく、大規模な資産を運用している訳では無い岸田教団にとってはこの空き倉庫が都合の良い家代わりになっていることもまた知られている。

だからこそ。岸田教団教祖の岸田と“例のアレ”の流れを汲む快便児腸流の住処を刺激する者など誰も居ない。轟扇組組長の林だけは異常に攻め落としたい様子ではあるが。

そんなアジトの丑三つ時。腸流はこの南千住における勢力図の整理を終わらせた。組織と金という物は簡単に形を変え、支配を変え、人を変える。特にこの数か月の内に南千住は激しい変化を見せた。今まで岸田教団が他勢力に踏み潰されなかったのはその変化に紛れていたからだ。その重要性を彼らは深く理解している。そんな彼らが数週間のペースで各勢力を調べ上げ、それらの分布図を作る事は何も不自然な事では無い。彼らの生死に関わるのだから。

長らく堪えていた便意にようやく気付き、腸流しは席を立つ。少し気が緩めばドバドバ音が出るほどに我慢の限界が近付いている。だが、彼の視線の先にはトイレではなく、何処か遠い眼をした岸田教祖がぼんやりと虚空を見つめていた。

思わず近付き、近くにあった資料で頭を小突く。


「……あくしろ」


ウンコが漏れそうなのは変わらずだったが、このままこの教祖を放っても悪戯に時間が延びるだけである。岸田は優れたリーダーだが、少しの怠け癖があるのも腸流は知っていた。


「とっとと仕事終わらせろ、教祖サマ」


岸田は驚いた様子もなく、呆然と腸流へと振り返る。その瞳は憂鬱で、いつもの覇気も感じられない。


「……腸流、今日って何日だ?」


あぁ、と腸流は合点する。岸田は腸流と出合った時から、時偶にこのような問いを投げかける。その問いの意味も本質も知っている腸流は、ただただ物悲しい気分に陥る。彼の過去に同情している訳では無い。愛しい人が離れて行ったのは、岸田だけではないのだ。

思い出すのは、あの時の記憶。


「……2月の16日」

「だよなぁ……はぁぁぁクソ過ぎるだろ16日……」


毎月16日、彼はいつもいつも悲哀を抱く。戻りたい、しかし戻れないあの日々とあの戦場。


『シャムさんの事が……!』


16日は、眠れない。










「ウィイイイイイイイイス、どうも、シャムでーす。あっ本日は、討ち入り当日ですけども。残念ながら、敵さんは、0人でした」


既にもぬけの殻になった轟扇組の支部を前に、奇怪な人物が記録用レコーダに声を吹き込んでいる。

サイズの大きいサングラスをかけてるのはまだ良いとして、何故か肛門が顔面に付着している謎の人物。彼の名を、小さく呼ぶ男が一人。


「……シャムさん、襲撃バレちゃったんじゃないの?」

「腸流くん、そういう悲観的なのはいかんと思うね」


快便児腸流とシャムさん――二人は恋仲である。轟扇組の不良に追われていたシャムさんを腸流が追い払った事から始まった交際だと言うが、謎の多い二人の真相は誰も明かせていない。例えば二人がいつからレジスタンスに所属していたかを知る者は居ないし、シャムさんが“例のアレ”にどのように触れ、どのように活用しているのか――当の本人達しか知らない、正に闇の中である。

という訳で、レジスタンスとして轟扇組の支部に襲撃を仕掛けたのは良いものの中身は空、資材や資金も持ち出された後のようである。

シャムは首を傾げる。


「おかしーなー、此処を襲撃すれば轟扇組に大打撃なのは間違いないって若い女性ファンがコメントしてくれたんやけどなー」

「シャムさんそれって――ッ!?」


罠なのでは、と言い掛けたところで腸流の耳元を何かが掠める。咄嗟に姿勢を低くして辺りを見渡す。物陰の方に僅かな人影。


「えぇっ!?やべぇ全然当たんねえ。やっぱ養生テープにした方が良かったかな……」


見ればその男はガムテープでぐるぐる巻きにしたお手製の銃を両手で構えていた。飛ばされた弾丸は輪ゴムのようだが、当たれば痛そうだった。


「おかpeople!?轟扇組戦闘員じゃないか!アッアッアッ」

「シャムさん、これ割とマズくね?」


腸流はその男を知っていた。轟扇組内では最も年長で次期轟扇組組長も噂されている林拳打その人だった。敵だけでなく仲間からも恐れられている強敵の出現に腸流の額に汗が流れ落ちる。


「しゃあねえ……虎!お前も働け!」


二人目の気配。腸流はシャムの手を引いて、“ソレ”の一撃から逃させた。一瞬見えたその姿は、人影というよりも一種の残像のようであった。


「はぁぁぁキレそ~」


虎、そう呼ばれた男が此方を見てニコリと微笑む。人の良さそうな好青年だったが、手には小さな樽の爆弾が抱えられている。


「虎!今度は当てろよ!」

「お前が言うんじゃねえよ」

「……マズい事になってますねー、大ピンチですねぇ」


再び虎が動き出す。狙いは反応も動きも鈍いシャムさん。


「死んでクレメンス!」

「ないね」


弾丸の様な速度の虎は目前まで迫った拳を避ける事は出来なかった。虎の体は宙を舞い、気が付くと数メートル離れた床に転がっていた。


「グエ…………意味分かんね、死にそー……林、回復してクレメンス!」

「はぁ!?お前弱すぎるだろ!?!?もっかい突っ込めよ」


シャムは決して反応が鈍い訳では無い。寧ろ、常人を逸脱した反応速度を持っているのだが、腸流は知っている。その技が殺し合いに於いて長く通用するものでは無い事を。


「シャムさん、動きを読まれた。ここは撤退しよう」

「まあ轟扇組は逃がしてくれないんですけどね、快便さん」


腸流も薄々気づいていた。林と虎以外の戦闘員――それも大群が此処に潜んでいると。恐らく林が罠に掛かった得物を暗殺、虎がそれの尻ぬぐいだろうとも想像がついた。

そして虎にも手の負えない相手だった場合の増援が、間違いなく潜んでいる。出てこないのは疲労を誘う為?まさかシャムさんが此処に来ることまでバレていたのか――腸流の中でピタリとパズルが揃った。


「シャムさん、只の罠じゃない。狙いはシャムさんだ!」

「気付くのが遅すぎるンゴねぇ!」


虎が姿を消し、腸流の足元に小タル爆弾が現れる。導火線の火花は爆裂を生み出そうと足を急がしている。


「――ッ!!」


長年の訓練で磨かれた強烈なシュートで爆弾がはるか遠くに蹴り飛ばされる。しかしその一瞬、訓練の副次効果でガバガバになってしまった尻穴に一撃が入る。


「そこのシャムさん、目が見えてないンゴねぇぇぇ!!」


やはり気付かれた……込みあがった便意と共に腸流は焦燥感を抱いた。シャムは自身に向かってくる攻撃に対してなら反撃できる。だが、それ以上のことが出来ないのだ。それを敵に知られた以上、最早此方の勝機は消え失せた。

林はともかくとして、最初の一撃からその事を見抜いた虎に対しても腸流は危機感を感じていた。爆弾で隙を作り、強烈な一撃を食らわす――猫の狩人の様である。あれを相手にするのは勝てるか分からない五分五分の勝負である。林だけなら瞬殺されていただろう。


「……腸流くん、一発逆転の目に掛けてみないか?」


震える空気の中、シャムさんが静かに口を開く。


「あんまり巻き込みたくなかったけど、君ならきっと使いこなせる」

「……やろうぜ。」


腸流は力強く頷いた。愛する人を守るために、何を迷う事があるのだろうか。


「心の底の欲望に身を任せて……爆発をイメージするんだで。それを格闘術に練り込むんだけど、これがなかなか難しい」

「欲望に身を――」

「チェックメイト、ンゴねぇ」


腸流の重力が横を向いたかと思えば今度は上に向かう。虎が首を掴んで宙に投げ飛ばすだけの動作だったが、腸流にはそうとは思えない感覚であった。良いように体で遊ばれている。


「巨人小笠原、空中で引き裂かれ死亡ッ!」

「腸流くん!」





腸流は静かに眼を閉じた。己の欲望に声を傾ける為に。


――ここはドイツを目指す難民キャンプ……違う、俺の心の中


欲望のイメージをつかみ取る。


――俺は今何がしたい?何を堪えてる?


身体の奥底の欲望に、彼は静かに耳を傾ける。


――……あー


彼の視界が茶に染まる。


――ウンコしたい




「ちーん(笑)」


虎の一撃は宙で虚空を貫き、驚異的な破壊力を持った腸流の糞だらけの拳が虎を地面に叩きつけた。


「お、おいぃぃぃ!?虎ぁ!お前何やってんの!?!?」

「ぐぇぇぇ……死んだンゴ……阪神万歳」


腸流は地面にブリッと着地し、全身の違和感を体に馴染ませる。特に臀部の違和感は尋常ではなく、少し力を抜くと中身が漏れてしまう様な、そんな錯覚に襲われた。


「シャムさん、これは……?」

「まあ秘儀なんですけどね。“例のアレ”が遺した土方武闘術 糞魔御霊っていうんだで」


もりもりと体に力が沸き上がる。初めて触れる“例のアレ”の強大な力に腸流自身が圧倒されていた。こんな強大な力を知っているシャムさんは……


「時間が無いだで。直ぐに脱出し、ましょう!」


見ると何人かの轟扇組の構成員が姿を現している。腸流が相手をするのは簡単だが、戦ってもメリットはない。腸流は同意の返事を口にした。


「――ぁ?」


しかし、その返事が出る前に、シャムさんの胸に血飛沫が上がる。そして後ろを確認しながらばたりと地面に倒れ込む。


「あ、あれぇぇ……丘people……?」

「やった!当たった!!やった超うれしい!!」


林がガムテ銃を手に大はしゃぎしていた。そう、真の力を手に入れた腸流の目の前で、彼の愛する者を撃ち抜いたのだ。


「え、めっちゃすごくね!?あの状態で当てれるって神ってね?てか神でしょ」

「――あぁ」


腸流は血まみれで倒れるシャムを前に、再び欲望の渦へと身体を投げた。


「アァァァアアァァアァァァアブチブチブチブリュブリュリュリュブチチブリュリュルブチブチチチブリュリュブブチチチ」




気が付くと、もう其処には誰も残ってなかった。

広がる異臭と暴威に耐え兼ね、林はソサクサと撤退した。その際も撤退の号令がかみ合わなかった為に何人も轟扇組の構成員が無駄にやられたのだ。

無論、シャムを抱き締める腸流の姿もそこにあったが。


「俺は……シャムさんの事が!」


既にシャムの瞳もお口アナルも空いていなかったが、それでも腸流は叫び続けた。ひょっとしたら、彼だけは何かを聞いていたのかもしれない。


「シャムさんの事が好きだったんだよ……!」









「…………はぁ」


あの後、彼は岸田教団へと入団した。あれから長い時間が経った今、腸流が元レジスタンスだという事を知る者は殆ど消えた。この数年での荒れ具合は無限に続くかと思われる抗争をより過激にしていった。

ただ腸流にとってはどうでもよかった。愛する人を消したこの果てしない闘争に疲れた、というのが正しいのかもしれない。


「……腸流」


ならせめて、と腸流は思う。


「……なに?」


新しい、かけがえのない友の力となれれば、と。


「糞塗れで殺ってやろうや。」

「ウィイイイイス……」






小さな不良グループ、岸田教団。



今日も彼らは“教え”を貫く。








約束  教団篇に続く

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