危地
この膠着した状況をいかにして切り抜けるか。先ほどから繰り返す自問の答えは、知らないですよ!の一点張りである。なぜ己と対話しているのか、その謎は緊張しきったハルにとっては些細なことで完全に意識の外にあった。ここまで緊張することなどそれこそ轟扇組の幹部クラスを相手にするときと同等ではないか。
だが彼はその考えを打ち消す。幹部と一騎打ちになったとしても、だんまりを決め込むハルではない。軽口の一つや二つは口をついて出る。そうならない現状から彼がいまだかつてないほどに精神を張り詰めているという事は火を見るより明らかだろう。
「マァァ……どうかぁしましたか?先ほどから黙りこくってしまって」
「ッ!いえ別になんということはないですよ!」
さっきからずっとこの調子である。なんとか眼前の少女に声をかけ会話をつなぎたいと思うのだが、そのカードを落とすような声を聴くとあまりの胸の高まりに今まで口に出そうとしていた言葉がするりと抜け落ちてしまう。それほどまでにどうしようもなく彼は魅了されてしまったのだ。彼女の流れるような黒髪は昼下がりの陽光を受け艶やかに光を返している。その輝きに見惚れていれば今度は目が合う。ハルを見つめるほっそりとした、ともすれば凛々しいとさえいえるであろう顔だち。整った造形の中でもひときわ目を引く藍玉を想起させる瞳は、しかしさざ波の如く揺れ、ありありと疑問を呈している。だがそんな視線を向けられればなおさら固まってしまい、言葉にもならないうめき声をあげるのみである。答えを求めてはいなくとも、その謎を呼ぶ態度に意味を見つけられるわけもなく怪訝な顔を深めていく。その繰り返しが彼らを堂々巡りに陥らせているのだが互いに気づく様子はない。
(どんな厳しい抗争でもここまでアがることなんてなかった。もしや彼女は相当な手練れ?パルリパルリラ……)
錯乱し思考にまでノイズが混じる。このような状態では彼女と会話を紡ぐことなど不可能だと理解したハル。落ち着くために深呼吸し、思わぬうちにルーティンを口にしてしまう。
「すぅぅぅはぁぁぁ、まだ慌てるような時間じゃないぞ。……トランザム」
「トランザム……?なぜあなたがそのことばを?」
しかしそれを聞いたライムはひどく驚いて、幽霊でもみたかのような表情でハルのことを見つめた。アガリきっていたハルではあるが雰囲気が変わったことに気が付き居住まいを正す。一瞬の判断が命取りともなる戦場に身を置く彼は虫の知らせとでもいうべき違和感を見逃すことをよしとしない。だがなぜライムの雰囲気が変わったのだろうか。ともすれば一触即発の状況だがピリピリとした空気と可憐な少女を結びつけることができず臨界点に達することはない。
「昔の友人が同じ言葉をよく使っテス、いたのですが。その友人のことをどうしても思い出せないんです」
つながりそうでつながらない、そんな不安感を感じるが何かを思いだすようなことはなく心にもやもやしたものが募っていく。もしかしたら彼女は己の過去を思い出す手掛かりになるかもしれない。いいしれぬ感情がよもや爆発しそうに高まってしまう。またあの時のような眩暈がしてフラッシュバックが起こるかに思えた。
「だからもしかしたらあなたとお友達になれば思いだすかもしれないと思いまして、どうでしょうか?」
「フラグキター!もちろん友達になりましょう。だがそれ以上の関係になってしまっても構わんのだろう?」
起こらなかった。焦がれる心は単純で、すぐに現実に引き戻された、脳内薔薇色のハルを現実とするならばだが。最後の方の気障な台詞は気恥ずかしさが勝りゴニョゴニョとして聞き取れなかったため、ライムは?といった顔だが。小首を傾げたしぐさの破壊力は抜群でハルはすっかり先ほどまでの考えを忘れてしまっていた。それからは先ほどよりテンパりマシンガントークとなったハルの話にライムが相槌を打つ騒々しくも楽しげな時間が流れた。
「アス!こんな時に連絡、もしや緊急事態……?」
「パル!ガネさんからか、いったいなんだってこんな時に」
日がだんだん傾いてきたころ、双方の端末に通信が入る。水を差す形にはなったものの発信元をみて表情を変えた。
「すいません、急用ができてしまったので今日はこの辺で。次の機会があれば、あっと・・・喫茶店まで来てください。ね? 」
「僕も同じく。絶対また来ます」
互いに別れの挨拶を済ませ店を後にする。後ろ髪を引かれる思いではあったが、またの機会という言葉でハルは上機嫌であった。しばらく歩きライムの姿が見えなくなったあたりでハルは端末を耳に当てる。橋の上ではあるが車通りもなく静かなものだ。
「今日はオフだったのに、呼び出されるとはな。いったい何があったんだい?ガネさん」
「お前なぁ……。どこから漏れたのかわからんがハルを狙って轟扇組のやつらが集まってきてるみたいだ。早く帰ってこい」
「せっかくのライムさんとのティータイムが中断されちゃってねぇ、糞ゲ―だよ。って噂をすればもう来たみたいだ」
「うるさくて聞こえないぞ。クソっ、お前の近くにいるやつってことは……遊戯隊の縁田か。救援を出すからさっさと逃げろよ!」
のんきに話していたハルの前に現れた男。金髪にボーダーシャツ、そして腰に携えたハチの巣といった奇妙なたたずまいであった。ビンビンビンビンと騒音をまき散らしながら、己の心臓あたりをまさぐっている様は警戒心を抱かせるに十分だ。
「まさかまさかこんなに轟扇組の支配が行き届いた地域でエースに出会えるとは、慢心には気を付けよう!」
「知らないですよ!僕は喫茶店でお茶を飲んでいただけなのになんで邪魔されなきゃいけないんだ、パルパル」
にらみ合う二人、ハルは平静を装っているもののどうやって離脱するかを計算していた。呆けていれば畳みかけられそうなれば勝ち目は非常に薄くなってしまうからだ。だが縁田が待つわけもなく、すでにハルに向けて突進していた。
「蜂さえ屠る俺の一撃、受けて見ろ!」
突き出された右手は手刀、それをハルは難なく避ける。使い手も少なく刺突という点で見れば恐怖感もある攻撃、だが訓練されたハルにとっては珍しいという以上の感情を抱かせない。もしいでたちが特殊というだけならばここまでの噂になることもなかっただろう。遊戯隊副長、縁田正明の名は実際にはそれほどまでに浸透しているわけではない。だが鬼鳳流の唯一の正統後継者、縁田と聞けば南千住を縄張りとする不良の半数は震えあがるだろう。ハルはその中には含まれないが、遊戯隊を潰しにかかろうとしていたのだから多少なりとも縁田についての情報には目を通していた。だからこそ初撃をかわしても追撃があることがわかる。後ろ手に構えたハチの巣を繰り出す縁田、予測していなければかわすことのできない攻撃をハルは紙一重で受け流す。
「初見殺しだねぇ!もし知らなきゃ直撃してた、おぉ危ない危ない」
「なんだって!?どうすれば……。どうすれば……」
慌てたふりをしているものの、にやけた笑いは消えることなく余裕を見せつけている。今までも少ないとはいえ初撃を躱したものは存在した。見切りや勘、初撃を打たせないなど対処の仕方は様々だったが今のは知っていたからこその動きだと確信をもっていた。だからこそハルを与し易しと考え焦りを見せることがなかったのだ。第一これで決着がつくならば今頃、縁田が南千住のトップになっていたことだろう。
「ンフーフフー、まあ俺は勝たなくてもいいんだよねぇ。俺は他の奴らが集まればリーサル、お前は逃げなきゃいけない。でも逃がすわけないんだよなぁ」
そういって次々に攻撃を繰り出す縁田、そのすべてを避けきるもののそれでおしまい。縁田のいう通りハルにとって非常に厳しい状況だ。実際一騎打ちになれば五分、いやハルの方が上だろう。しかし今は限られた時間での撤退が要求される。致命傷を与えづらい徒手空拳を武器にするハルでは短期決着は難しい。さらに橋の上というある種の閉鎖空間、この場所で縁田に捕捉された時点で詰んでしまっている。
「ピンチだね、先ほど喫茶店にいたときは随分と楽しそうだったのに。まあお前には、ここで死んでいただきます!」
「逆境かもしれないピンチかもしれない、でも俺は約束したんだ。もういちど会うって……!」
「お前はこの時点でリーサル、まだmeet meでもしてたほうが楽しかったよ。さっさと終わらせて帰るとするよ」
「だから有象無象の困難なんて、絶体絶命の危機なんてそんなものは、知らないですよ!」
だが記憶を失おうとも心に刻まれた言葉が風化することはない。壁にぶつかるたび何度でもその一言で不条理を打ち破ってきた、その事実が消えることはない。どんなに絶望的な状況にあったとしても、”知ったことではない”。それこそハルが持つ絶対にずれない芯であり、魂の形だ。そしてかつての誓いを口にするとき、断片的ながら歴戦の追憶がなされた。この苦境を打破するために己にできることを想起する。
「思い……出した!俺のルーティーンの真の意味。行くぞ、トランザム!」
それはハルがいつも集中するときにする言葉、しかし意志を持って紡がれた音は意味を成しかつての力を呼び覚ます。
三枝がそうであったように己の限界を超えた力は破滅を呼ぶだろう、断片的なハルならなおさらだ。もって数合、その間に眼前の敵をどうにかしなければならない。ここで終わるわけにはいかないと吠えた疾風は縁田に肉薄する。さきほどまでとは攻守が反転しその怒涛の拳打に押され始める、加速する打突は音を置き去りにしなおも縁田をとらえ続ける。このままいけば縁田はぼろきれのように吹き飛ばされるだろう。しかしそれも一時のこと、酷使された四肢が悲鳴を上げ急減速する。その隙を見逃す縁田ではなく一息に距離をとる、独特の構えからは鬼鳳流の後継者たる覇気が滔々と発せられている。
「ここまでやるとはね、meet meのほうがおもしろいといったのは撤回しよう。往くぞ!鬼鳳流奥義……」
「この瞬間を待っていたんだ!お前が距離をとるこの一瞬をな」
失速したかに思えたハルはあろうことか全力で橋から身を投げた。あまりのことに欄干に近づき下を見る縁田、だがそこにハルの姿はなく船の残した軌跡があるだけである。
「じゃあねー、後継者さん!自分の時をさかのぼって反省するといいよ、パルパル」
船に回収されて走り去る目標の豹変ぶりに毒気を抜かれてしまった縁田は、追いかけるそぶりを見せずにその場で見送っていた。ハルの船が見えなくなったころ、遅れた増援がやってくる。なぜ遅れたのかと問いたいのはやまやまであるのだが、逃がしたのは明らかに自分の落ち度なためいろいろ追及されないように危険を避ける。
君子危うきに近寄らずとはよく言ったものだ。
「マァァ 、遅れちゃったー。それでどこにレジスタンスのエースとやらがいるんでしょうか?」
「やっぱり慢心には気を付けようってことだよ。というかお前が来たのか。なんで遅れたのかな」
「一身上の都合です。今回の件は許してください何でもしますから。オナシャス!」
「ん?いまなんでもするって……って馬鹿やんなくていいから。でもなかなかの強敵だったよ」
「はぁ、せっかく喫茶店でおしゃべりしていたのに台無しです。必要ないならやめてよ~」
一人の増援ではあったが縁田が逃がしていなければそれで十分なはずだった。遊戯隊隊長、伊門がいればたいていの相手は片付くからだ。いつもなら逃がしたことに対して憤るだろうに今日は違った。明らかにいつもより態度が丸く、楽しげな様子であった。喫茶店の一件で随分とご立腹のようではあるが常に比べればなんてことはない程度である。これほどの喜びようとは、きっとかつての友人にでも再会したのではないだろうか。
「はぁ……危ないところだった、限界だったのは本当だったから追撃されてたら死んでましたよ!」
「本当に間に合っていなかったらどうしてたんだ?」
「そのときはそのとき、ガネさんを信じていたからねぇ」
船に回収されたハルは一時昏睡していたが、ハッと起きたかと思えば「ウッ」とか言いながらゲロゲロと内容物を吐き出してしまった。負荷がかかった後の船旅は相当こらえたようで今はおとなしく相棒と連絡していた。
「どうだった?遊戯隊の奴らとはしばらくぶつかることになると思うが。勝てそうか?」
「縁田とかいうの以外は知らないですよ、でもまあ結局みんな倒すしかないじゃない?あの力が何だったのかわからないけど」
「ん、なにかいったか?あとなんであんなとこにいたんだ?いつもなら寄り付かないだろう、リア充爆発しろ!とか言ってさ」
ハルのことばは最後が小声で聞き取れなかった。それにガネにはハルの様子が随分と楽しげに見えた、これから出会う強敵に武者震いしているのかそれとも今日いた喫茶店で何かがあったのか。そのどちらなのかははわからないが、まるで旧友との再会を喜ぶように幸せオーラを振りまいていた。




