Series2 381クレープ
「スイーツは万人を幸せに導く。」
これは亡くなった祖父の教えだ。
祖父は泡立て器が持てなくなるその瞬間までパティシエとして生き、亡くなった。
母は、パティスリーで働きながら、僕を高校卒業まで送り出してくれた。
僕はこれ以上負担になりたくないという思いから、奨学金制度を利用し、学校のない深夜バイトで381クレープ屋を選んだ。
最初にこのアルバイトを選んだきっかけは先輩からの推薦だった。
先輩は朝番で働いていて、僕の家系がパティシエだと聞くと紹介してくれたのだ。
とある雑貨ビルの2階にあるキッチンスタジオで毎日せっせとクレープを作ってはデリバリースタッフへと渡している。
このクレープが誰を幸せにしているのかは、僕には分からない。
それでも、この一つ一つがきっと誰かの活力になっているんだ。
381クレープの繫忙時間は21時から23時の間。
今日は僕と、フィリピンと日本のハーフである小花さんと2人体制だ。
クレープ生地を焼く鉄板は二つ用意されている。各々が声を掛け合い、注文をさばいていく。
手が空いた方が、器具の清掃やフルーツの在庫状況を確認していく。
「たっつん、オーダーお願い。」
小花さんの言葉に僕は振り返った。
オーダー表を見ると、一番人気の苺Wクリームのクレープにカスタードクリームとホイップクリームを増量、チョコソース追加のオーダーで、金額は2000円を超えている。
僕はすぐ、クレープ生地を焼き、ケーキ台に優しく乗せた。クレープ生地は薄いから破れないように丁寧に行わなければならない。
次にカスタードを増量させて乗せ、次にホイップクリームを絞る。
隙間に苺を敷き詰め、破れないようにそっと巻いていく。
クレープを店名の入った用紙に巻き入れ、さらにホイップクリームを追加して、チョコソースをかける。
プラスチックの専用ケースに入れ、さらに専用のビニール袋に入れる。
次にビニールに印字したレシートを張り付けて出荷コーナーへ並べる。
配送手続きを終え、新しいオーダーを確認する。
「小花さんB-1206準備済みです。次B-1210進めます。」
「OK」
この仕事は仲間との連携が大事になる。
僕は現状パティシエではないが、スイーツづくりに携わっているという点では、母や祖父と同じことが出来ているのではないかと考えている。
繫忙時間が過ぎ、僕は小花さんに声をかけて休憩室に入る。
そこには簡易ベッドが並んでいて仮眠することが可能になっている。
朝から夕方まで大学に通う僕の睡眠時間は、この1時間とバイトまでの2時間だけだ。
スマホのアラームをかけ、エプロンを外し、簡易ベッドに横になった。
貴重な睡眠時間だ、しっかりと取らなくてはならない。返さなくて良い奨学金をもらうために、高校生時代から睡眠時間は基本あまりとっていない。
国立大学に受かった今もそれは変わらず、理工学部を専攻し、日々勉強と生活費用の夜勤バイトに明け暮れている。
次に目が覚めた時、アラームの鳴る1分前だった。
僕は傍にかけていたエプロンを取って再度職場に戻る。
まずは手洗いと消毒、そして小花さんに声をかけて、職場に戻り休憩時間を交代する。
今の時刻は午前1時、丁度凪となる時間だ。
僕は今のうちに食洗器で洗い終わった器具の片付けや、必要な材料の在庫確認を進めていく。
お隣の韓国料理屋さんはなんだか忙しそうで、ピークタイムのようだ。
邪魔にならないように、調理場の清掃、消毒を進める。
時間はあっという間に過ぎ、気が付くと窓の外はすっかりと明るくなっていた。
時刻は午前3時55分、僕が売上日報の入力と発注書を入力し、小花さんが最後の片付けを行う。
朝番スタッフさんが出勤してきた。
「おはようございます。発注書入力済みです。よろしくお願いします。」
簡単な引継ぎを行い、タイムカードを押して退勤、更衣室へ向かう。
エプロンを洗濯の為にトートバッグに入れ、洗ったばかりのエプロンと交換する。
始発はそろそろ動き出す頃だ。僕はトートバッグを肩にかけ持ち、一旦自宅に戻る。僕の家は目白駅から徒歩5分の位置にあり、ここ高田馬場からだと徒歩28分で帰宅できる。
大通りを横断し、学習院大学近くの血洗いの池を眺めながら歩く。
この池が見えるとちょうど家まで半分の距離を歩いたということになる。もう少しだ。そう気合を入れて歩き進める。
小道に入るとすぐ住宅街になり、様々な家が並んでいる。
その一角に僕の暮らすシェアハウスがある。そこは2階建ての大きな家で、ワンルームの部屋と共用部にシャワールームやキッチンが完備されており、各部屋には冷蔵庫とエアコンも完備されている。
入口ドアは鍵をかざすと入れるオートロック式で、僕はポケットから鍵を取り出し、ドアにかざして開けた。
僕の部屋は2階の角部屋209号室だ。
時刻は4時30分頃、まだ早朝の為迷惑にならないように足音を忍ばせて階段を上る。
部屋の鍵を開け、鞄を置いてすぐにシャワールームへと向かう。
目覚めるために冷水を浴び、部屋へと戻り、ドライヤーで髪を乾かす。
今日は三限からの授業の為、タイムバイトアプリで配達のバイトを入れ、大学が始まるギリギリまで、鞄に商品を入れて配達を続けた。
私は私の顔が嫌い。
フィリピンと日本の血が混ざった私は、日本人より彫りが深く少し褐色気味の肌が目立つ。
小さなころから外見で決めつけられ、仲間外れにされることもあった。
そんな幼少期を過ごしたから、より自分の外見が嫌いになったし、人に見られる仕事が億劫になった。
そんな私の夢は、パティシエとして製菓の仕事に就くこと。
それなら人に見られないけど、人に幸せを授けることが出来る。そう思い製菓の専門学校に通いながら、夜勤のアルバイトに就いた。
アルバイトは24時間稼働しているクレープ屋の仕事で、製菓の勉強に役立つのではないかと考え、アルバイトを決めた。
夜勤で働くのは私と同じく学生の足立くんで私は「たっつん」と呼んでいる。非常に明るく優しく、仕事熱心な学生さんだ。
彼はいつもシフトを入れていて、週5回はテスト期間でも入っているという。また隙間時間に配達側の仕事をしていると聞いたこともあり、とても勤勉な学生さんであることが分かり、とても好感が持てた。
私はまだ実家から自立出来ずにいる。
夜勤が終わり、明るい日の元を歩きながら駅に向かう。
始発が始まるのは4時30分過ぎなので、それまでは駅近くの自販機でコーヒーを買い始発を待つ30分の間は、製菓の教本を読みながらコーヒーを飲んで優雅に過ごす。
東京は眠らない街だが朝も早く、高田馬場駅で乗り込んだ始発列車には既に数人の人が乗り合わせていた。
「次は、駒込…、駒込」
車掌のアナウンスではっと目が冴える。
寝過ごしかねないほどの疲労度に驚きながら、座席から立ち上がる。
駒込駅で降り、いつもの道をしばし歩く。最寄りのコンビニが見えてきたので、エナジードリンクを1本買って店を出た。
そのまま通り沿いを歩いていくと住宅街になり、自宅に辿り着く。
二階有の一戸建てが私の実家で、二階の西日が差し込むこの部屋が生まれて今まで育ってきた部屋だった。
父は公務員で母はベリーダンサーそして製菓学科を専攻する一人娘の私。そんな少しだけ変わった私達家族。
2人を起こさないようにそっと階段を上り、突き当りの部屋へそっと入る。
学校の登校時間まで4時間あり、用意して出かけるまでは3時間あるため、今日出かける用の服に着替えて、そのままベッドにダイブした。
「こはなー、おきるよー。はやくー」
母が私を呼ぶ声が聞こえ、私はむくりとベッドから上半身を離した。
時刻は8時を少し過ぎた頃、私は少し駆け足で1階にある洗面所で顔を洗った。
学校ではメイクは推奨されていない。薄付き程度が良いとされている為、メイクの時間は15分ほどで事足りるのだ。
その代わりと洗顔や歯磨きはしっかり念を入れて行う。
「小花、なんで夜勤の仕事したい? こんな疲れるなら昼しなさい。」
母のいつもの片言な小言をスルーして、私はタオルで顔に残った水滴を拭っていく。
その場で化粧水や乳液などのスキンケアを済ませ、前髪をピンで留めて、食卓へと向かう。
いつも通り父のはす向かいに座り、朝食の目玉焼きトーストを口に運ぶ。
「あなたからも言って。夜勤やめろを」
今日の母は何やら機嫌が悪く、いつもならスルーして終わる話を父に振った。
父は私が外見で嫌な目に遭ったことを知っている為、言葉を濁す。
それは私の心に刺さる棘を晒すだけでなく、母を否定するように感じる言葉だから。
私も父も何も語らない。母は何も知らずに、娘の夜勤を責め立てる。
だが、それでいい。私以上の批判や偏見を持たれても尚、この国を愛し、生きてきた母にこれ以上の傷を付けるわけにはいかないのだ。
製菓専門学校はバイト先と同じ、高田馬場にある。退勤時と同じ道を歩くが時間の違いからか、やはり行き交う人は多く感じる。
いつも通り、駒込から高田馬場へ向かうこの山手線は、池袋や新宿を目指す人たちでぎゅうぎゅう詰めになる。
最寄り駅に着き、人の間を縫って出口に到達し、扉が開くと同時に押し出されるようにホームへと出た。
いつもの道を通り、製菓専門学校のビルへと入り、4階にある更衣室へと向かった。
4階フロアは、座学や更衣室が並んでおり、本日は飴細工の実務授業から始まるため、さっと更衣室に入り自分のロッカー前で作業服に着替える。
19時に一通りの授業が終わり、作業服から着替える。
「光ヶ丘さん、この後暇?」
製菓の同級生が私に声をかけてきた。
驚きながら相手を見ると、
「この後みんなで飲みに行くんだけど、人数が一人足りなくて…」
と様子を伺うように聞いてきた。
嗚呼、いつもの合コン、異性間交流会への参加の言い回しかと落ち込み、
「ごめんなさい。私この後深夜バイトだから。」
と断り、鞄と座学の教科書セットを持って自習室に逃げ込む。
異性間交流会へのお誘いはよくあり、入学したばかりの頃は何も分からず着いていったこともあった。
でも、その場で自分が客寄せパンダだと知ってから、断ることを覚え、それ以来は普通の飲み会ですら参加していない。
バイト時間まで自習室で座学の復習をし、19時45分になると
教科書を鞄に入れて製菓専門学校を出る。
バイト先までは徒歩10分で外に出ると雨が降っていた。
鞄が塗れないように抱え小走りでバイト先まで向かう。
バイト先の入っている雑居ビルへと走り込み、2階までの階段を歩く。小雨に降られ、服の表面が少し濡れてしまった。
少々の気持ち悪さを感じながらも、更衣室でエプロン姿に着替える。
「花ちゃんおはよう」
「おはようございます」
隣の韓国料理店のスタッフさんに更衣室で会い、挨拶を交わす。
ここのバイト先は色んな人が色々な感情や理由から人と接しなくていい仕事を選んで働いている。
私だけじゃない。その気持ちだけで随分と救われる。
また、今日も見ず知らずの人へ、クレープを届ける時間が始まるのだった。




