5 ルナ
この理不尽でバカげた世界で生きていくのは大変なことだ。手紙を書くのが好きだったという夏目漱石が書簡集の中で「現下の如き愚なる間違った世の中には正しき人でありさえすれば必ず神経衰弱になる事と存候(こんな間違った世の中で生きていたらまともな人間はノイローゼになる)」と書いているし、
草枕では「世の中はしつこい、こせこせした、その上図々しい、いやな奴で埋まっている」と書いている。
コンサート中のトークが面白いことで知られている歌手のさだまさしさんは、テレビ放映されたコンサートで、観客席にいる小学校5,6年生と思われる男の子になんとこんな言葉を投げかけたのだ。
「おい、そこの君、人生をどう考えているの? 君、人生はバラ色で楽しいものだと思っちゃいけないよ。人生は苦しくて辛いものだと思って生きていきなさい。そうすれば案外いいこともあったりしてそんなに悪いものでもないよ」と。
モーパッサンの「女の一生」の結びも似ている。「人生って皆が思うほど良いものでも、悪いものでもないんですね」
職場では孤立気味であり、道を歩いている時や電車、ショッピング中でもスマホ人間を始め無礼な連中のために不愉快な思いをしている日常に嫌気がさしてきている彩葉は、1年ほど前から自分の居場所を探し始めていた。
小林一茶の俳句に「茨野や夜は美しき虫の声」というのがあるが、現実は茨野であっても自分の心から落ち着ける、自分の居場所が欲しいと思っているのだ。
色々試してみた。図書館に何日間か続けていてみたり、居酒屋のカウンターで一人でつまみを食べながら飲んでみたり、更にやや敷居が高かったがバーに行ってみたり。
一番お金がかからないのは図書館だが、静かに本を読んでいるだけでは気が晴れない。
そんなある日、街中を歩いていると街頭にちょっとオシャレな感じの女子が小さな看板のようなものを持って立っているのが目に入った。通りすがりにその看板のようなものに目を向けると、「ガールズバー・ルナ1時間4千円」と書いてあった。
ガールスバーというのはもちろん男性が行くところだから、自分には関係ないので先に進もうとした時、ふとガールスバーに女子は行ってはいけないのだろうかという素朴な疑問が頭に浮かんだ。
考えてみると男性がかわいこちゃんと話がしたくて行くところのはずだが、キャバレーとは全く違ってもっと健全な場所のはずだ。だとしたら女子が行ってもいいのではないかという気がしてきた。
居酒屋や普通のバーだと基本的に一人で行くと一人で飲むだけで、話し相手はいない。まあ、ドラマだとバーに女子一人で行くと知らない男性にカクテルとかをご馳走されたりしてそこから親しくなったり、意外な知り合いに会ったりして話が展開されるのだが、清楚系で慎重派の彩葉はそういうのは好まない。ひょっとしたら女性のお客さんはお断りと言われてしまうかもしれないが、それを覚悟でルナへ行ってみることにした。




