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預かりもの 〜拾って、磨いて、返す、辺獄の回収屋〜  作者: ウォーレン・コールドウェル
第一章 鬼は外、拍は内

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断層

――風の便り

「町のほうから、見慣れない二人連れが来てね。北の山の社(やしろ)へ上がってったよ」

「釜番の爺さまの話じゃ、連れのほうは石垣にすがってたって。

真っ青な顔で、水を飲んでたそうな」

「もう一人は、炉の灰にまで指を入れて、平気な顔だったんだと」

「日暮れに下りてきたときは、二人ともひと言も喋らなかったねえ」

 長く語られた者の顔には、噂が一枚貼りつく。


 では、正反対の噂が同じ顔に二枚貼りついたら

――その二枚のあいだには、何が挟まっているのか。


 きのうは答えの見つからないまま、日暮れの山を降りた。


 麓(ふもと)の里で一夜を明かした朝、顔を洗いに井戸へ寄ると女たちが話し込んでいた。


「〈釜の社(やしろ)〉の主さまは、ありがたい祟(たた)り神さまだよ。

お告げをくださる。うちの娘も、あれで縁談(えんだん)がまとまったんだ」


 釜番の年寄りがいた、きのうの山の社(やしろ)のことだろう。


 あの年寄りは、里の衆はみんな唸(うな)りを風の音だと思っとる、と言っていた。

風の音に縁談(えんだん)を頼む者はいない。


 ――あれは、はぐらかしだったか。


 朝市の通りを楽々森彦(ささもりひこ)と抜けていくと、軒先でゆうべの酒の残りをやっている男たちがいた。


「〈首の社(やしろ)〉のほうも、ずいぶん人が寄るようになったな」

「あすこはよお、英雄様が悪鬼(あっき)の首を取った、その……ありゃ、どこまで話したっけか。

おう、その悪鬼(あっき)を封じた社(やしろ)だってんでよ。

前ぇは、だぁれも寄りつかんかったのによお」


 言うそばから男の茶碗の酒が袖へこぼれた。


「山の唸(うな)りが近ごろうるさいもんで、みんな怖いもの見たさよ。

語り部の鬼の話が、また上手いんだ」


 並べて聞くと、話が二つに割れていた。

どちらも、山で唸(うな)っている同じ主の話だ。

〈釜の社(やしろ)〉では祟(たた)り神さまとして拝み、〈首の社(やしろ)〉では悪鬼(あっき)として封じている。


 隣で、楽々森彦(ささもりひこ)が口の端をゆがめた。


「首、か。……行ってみようぜ。

あの鬼が、ここでどう語られてるのか、聞いておきてえ」


 歩きながら、帳面をひらいた。


 〈貼りもの、二枚。それぞれに、社(やしろ)がある〉


 町の店の戸口から視た二枚が押し合って軋(きし)んでいたのは、このせいだろう。

どちらの一枚にも、毎日それを語り継ぐ社(やしろ)がある。


  ◇


 〈首の社(やしろ)〉は、朝市の通りを抜けた先の木立の中にあった。

社(やしろ)の前に筵(むしろ)を敷いて、語り部が人を集めている。


「鬼は田を焼き、子をさらった。英雄様が、ただ一矢(いっし)で――」


 聞き手が息を呑む。

筵(むしろ)の上には、投げ込まれた銭がいくらか光っていた。


「――封じられた鬼は、今も山の底で唸(うな)っとる。

あれは、討たれた鬼の呻(うめ)きよ」


 語り部は話の切れ目ごとに、膝をとんとひとつ打つ。

ひと息おいて、また、とん。

市で釜番の年寄りが膝を打って見せた間合いに、どこか似ていた。


 楽々森彦(ささもりひこ)の耳が、その音のほうへ向いた。

聞き手の後ろに腰を下ろし、膝の上の指で同じ拍をなぞりながら、声を落とす。


「……あの戦で、俺が藪(やぶ)を教えて、討たせた相手だ。

だが、あんな里を焼く化け物じゃなかった。

攻め上がる道々、焼けた里なんぞ、ひとつも見なかったぜ」

「顔を、覚えてるのか」

「いや。討ち取った首の数は、数えた。

数える役だったからな。

……だが、あいつがどんな声で、何を話す奴だったのか。

討たせておいて、何ひとつ知らねえのさ」


 語り部の顔にも、薄い貼りものが一枚あった。

だが、端はぴたりと貼りついている。


 人の話ばかり語って、自分の話は口にしない男なのだろう。

語られる顔と本人とが重なったままなら、布は擦(す)れず、綻(ほころ)びもしない。


「あの語り部は、罪かい」

と楽々森彦(ささもりひこ)。

「さあな。

たぶん、あの男も、自分の話を誰かに聞いてもらったことがないんだろう」


  ◇


 里で昼をすませて、〈釜の社(やしろ)〉への山道を登り直した。

祟(たた)り神さまのお告げも、この耳で確かめておきたい。


 町からは半日がかりの道も、麓(ふもと)の里からならひと登りだ。


 きのう石垣に手をついた楽々森彦(ささもりひこ)は、今日は深く息を吐いただけで登りきった。

日は、まだ高い。


 境内(けいだい)では釜番の年寄りが鉄くずを選(よ)り分けていて、孫はきのうの切り株で手を打っている。


 こっちに気づいた年寄りが「おや、また来なすったか」と笑った。


 きのう早く降りろと追い立てた顔とは違う。

社(やしろ)の前に参詣(さんけい)の列ができているからだろう。


「主さまは、お告げをくださるとか」

「そうともよ。作柄(さくがら)も、嫁取りも、みんな聞きに来なさる」


 ちょうど、参詣(さんけい)の女が社(やしろ)の奥へ問うていた。


「今年の麦は、どうでしょう」


 唸(うな)りは、同じところを同じ間合いで繰り返すだけだった。

それを釜番が「豊作のお告げだ」と訳してやる。


 次の男が「倅(せがれ)の病は」と問うても唸(うな)りは同じで、釜番がまた訳した。


 その次は、年かさの女だった。


「うちの嫁様のへそ曲がりは、いつ直るかね」


 唸(うな)りはやはり同じだったが、釜番はすまし顔で訳した。


「明日の朝には、けろりと直るそうな」


 並んだ者たちから小さな笑いが起きた。

釜番の読みは、そこだけやけに滑らかだった。


 楽々森彦(ささもりひこ)が耳もとでささやく。


「俺もひとつ、行く末を訊(き)いてみるか」

「豊作だと言われるぞ」


 楽々森彦(ささもりひこ)は噴き出しかけて口を押さえた。


 列がはけてから、年寄りに訊(き)いた。


「さっきの唸(うな)りは、どれも、おんなじだったが」

「あれを、わしが読んでやるのさ。

長年やっとると、分かるようになる」


 ――読んでやる(・・・・・)。


 答えているのは唸(うな)りではなく、この年寄りのほうだ。


 供物(くもつ)の棚には団子でも銭でもなく、きのうから気になっていた金槌(かなづち)が載っている。


「妙なものを供えるんだな」

「代々のならわしでね。柄(え)が古びると、取り替える」

「柄(え)だけ、か」

「頭は、そのまんまよ。ずっと、そのまんま」


 柄(え)の手で握るあたりだけが、黒く艶(つや)を帯びていた。

何度も、何度も握られた跡だ。

供えておくだけの物なら、握りはしない。


 棚の隣の平石も、おもてが凹(へこ)んでいた。

同じ所を数え切れないほど打った跡だ。


 封じた鬼の話にも、拝む祟(たた)り神さまの話にも、金槌(かなづち)を握って打つ者は出てこない。

それなのに、金槌(かなづち)はこの棚に載っている。


 二つの話は食い違ったまま、ここでぶつかっている。


 渡し場からの帰り道で、楽々森彦(ささもりひこ)が崩れかけた土手を指して教えてくれた語がある。

土の筋が途中で食い違った所を、そう呼ぶのだと。


 ――断層(・・)だ。


 年寄りが鉄くずの山へ戻ってから、社殿(しゃでん)の正面へ回った。

閉じた扉の向こうに、きのうの二枚の貼りものが視える。

間近で見ても、中身は読めない。


 貼りものに宛てた言葉は、貼りものが受け取る。

長卓(ちょうたく)で帳面に書きつけた理屈だ。


 ――なら、二枚のどちらも言っていないことを聞かせたらどうなる。


 試しに、扉の奥へ声をかけてみた。


「あんたは、鬼じゃないだろう」


 片方の一枚が、拝まれたときのようにわずかにこっちへ寄った。

祟(たた)り神さまの一枚だろう。

鬼ではないという言葉を、祈りとして受け取ったらしい。


 次は、どちらの話にも出てこない金槌(かなづち)のほうから呼んでみる。


「ここで、鉄を打ってた人だろう」


 今度はもう片方が、ぴしりと揺れて撥(は)ねつけた。

悪鬼(あっき)の一枚が「世迷(よま)い言を」と言っている気配だった。


 二枚が重なっていると、どう呼びかけてもどちらかが先に受け取ってしまう。

奥の本人には、届かない。


 日が傾くと、釜番が鉄くずの籠(かご)を下ろしてこっちを見た。


「今日は、降りなさらんのかね。

じきに足元が見えんようになるよ」

「遅くまで、すまないな。その金槌(かなづち)を使うところを、見ておきたい」


 年寄りはしばらく黙って、ため息をついた。


「……見るだけなら、好きにしなされ。

帰れと言うて帰るお人らでもなさそうだ。

わしは、今夜も打たにゃならんでね」


 社殿(しゃでん)の軒下に荷を下ろして、暗くなるのを待った。


  ◇


 あたりが暗くなると、釜番は炉の灰をかき起こして火を入れた。

きのう「……さあて」とはぐらかした火は、やはりこの年寄りが入れていた。


 炎が立つと、供物(くもつ)の棚から金槌(かなづち)を取って平石の前に座る。


 石のくぼみへ、こつんと打ちつけた。


 ――おうん。


 社(やしろ)の奥から、唸(うな)りが返ってきた。


 こつん、おうん。

そのあとに何も鳴らない一拍がある。


 こつん、おうん。

また、何も鳴らない一拍。


「返事を、してるように見えるが」

「まさか」


 釜番は手を止めない。


「主さまに、返事なんぞ。

ただ、火を絶(た)やさぬよう、拍を欠かさぬよう。

詫(わ)びを、欠かさぬよう。そう教わってきた。代々な。

絶(た)やせば、止まる。

それだけでさ」


 楽々森彦(ささもりひこ)の耳が動いた。

行軍の合図を、数えていた耳だ。


「回収屋。

この拍……昼間の、〈首の社(やしろ)〉の語り部の膝と、同じだ。

俺には分かる。数えてきたからな」


 〈首の社(やしろ)〉で封じ、〈釜の社(やしろ)〉で拝む。

その両方で同じ拍が打たれているなら、二つの話ははじめから別々のものではないらしい。


「それにな」と楽々森彦(ささもりひこ)。

「打って、唸(うな)りが返って、そのあとに一つ空いてるだろう。

合図なら、あんな間はいらねえ。

わざわざ一つ空けるのは、向こうの返しを待つときだけだ」


 言われてみれば、空いている。

そこへ、誰かの返事が入るはずだったみたいに。


 釜番は、その一拍を空けたまま打ち続けている。


 昼に扉の奥へかけた言葉は、二枚のどちらかが先に受け取ってしまった。

だがこの間へ打つ音なら、どちらの一枚にも宛てずに済むかもしれない。


 奥まで届く道があるとしたら、ここだけだ。


「一度、貸してくれ」


 年寄りは手を止めて、手の中の金槌(かなづち)へ一度だけ目を落とした。

それから渋々、平石の上へ置いて膝ひとつぶん退(さ)がる。


「……一つだけだで。

打ってみりゃ、返事なんぞ無いと分かりなさる。

分かったら、この山のことは忘れてくだされ。

拍は、乱さんでな」

「返事が無いと分かったら、忘れる。

拍も、乱さないようにする」


 一礼してから、柄(え)を取った。

艶(つや)びたへこみが手のひらにぴたりと吸いつく。

年寄りの手のぬくもりが、まだ残っている。


 ずしりと重い。

何代もの手が、この鉄の頭を振り下ろしてきたのだろう。

いまはそこに、釜番の頼みまで載っている。


 平石の前に膝をついて、構えた。


 耳だけでは、拍は数えられない。

だが、唸(うな)りが途切れるのは分かる。


 はじめのおうんは、打たずに見送った。

伸びて、細って、ふっと切れる。

何も鳴らない一拍は、思ったより短い。


 次のおうんが来た。

今度は、打つ。息を止めて、柄(え)を握り直す。


 おうんが細って、切れた。


 そこへ、振り下ろした。


 こつん、と石が鳴る。

その音が、社(やしろ)の奥の闇へ細く尾を引いていく。


 手首から肘まで、じんとしびれた。

しびれが引くより先に、音のほうが消えた。


 唸(うな)りが、止んだ。


 虫の声も炉の火の爆(は)ぜる音も、いっぺんに遠のく。

山じゅうが、耳を澄ませたようだった。


 釜番は膝に手を置いたまま、息を詰めている。

こっちも金槌(かなづち)を石に当てたまま、息を吐けずにいた。


 長い長い間のあとで、唸(うな)りが戻ってきた。

釜番の肩が、少しだけ下りる。


 だが、さっきまでの唸(うな)りとは違った。

ゆるく深く、ためらうように伸びて、途中で一度切れてはまた伸びる。


 切れるたびに、こっちの次の一打を待っているように聞こえた。


 なぜ変わったのかは、分からない。

変わったのは、こっちが一つ打ってからだ。


 ――もう一つ打てば、何かが返ってくるのだろうか。


 だが今度の唸(うな)りは切れる所がまちまちで、こっちの耳では次に打つ間が拾えない。


 それでも、金槌(かなづち)を持ち上げた。

釜番が腰を浮かせる。


 唸(うな)りが細っていく。

ここだ、と振り上げたとたん、また伸びた。

振り下ろしかけた手を、宙で止める。


 次は待ちすぎた。

切れ目は、息を吸ううちに過ぎていた。


 構え直しても、もう耳がついていかない。

握ったままの金槌(かなづち)が、さっきより重かった。


「俺なら、数えられる」


 楽々森彦(ささもりひこ)が、金槌(かなづち)へ手を伸ばした。


 その手が、柄(え)に届く手前で止まった。


「が……この手は、あいつを討たせた手だ」


 伸ばした指を、握り込んだ。


 こっちも金槌(かなづち)を平石の上へ戻して、退(さ)がった。

釜番は黙ってそれを取り、もとの間合いで打ちはじめる。


 唸(うな)りもしばらくは途切れ途切れに伸びていたが、やがていつもの間合いに戻っていった。


 その晩は、社殿(しゃでん)の軒下で眠った。


  ◇


 明くる朝、軒下で荷をまとめていると、切り株のほうでとん、とんと手を打つ音がした。

釜番が、もう孫を連れて登ってきていた。

打っているのは孫で、その手は唸(うな)りに少しもずれない。


 籠(かご)を提(さ)げた年寄りに、訊(き)いてみた。


「その子は、いつから、それを」

「生まれつきでさ。

この土地の子は、みんな」


 年寄りは籠(かご)を提(さ)げ直して、炉のほうへ歩いていった。


 楽々森彦(ささもりひこ)は孫の手を見ていたが、やがて自分の膝を打ちはじめた。

とん、とひとつ。

ひと息おいて、また、とん。

きのう筵(むしろ)の上で見た、語り部の打ち方だ。


 孫の手とその膝が、同じところで鳴る。

目で見れば、こっちにも分かる。


 手を止めずに、楽々森彦(ささもりひこ)が言う。


「生まれつき、か。……あの語り部も、この里の生まれだろうな。

あいつの膝だって、誰に習ったもんでもねえ」

「悪鬼(あっき)を封じた話を、〈釜の社(やしろ)〉と同じ拍で語ってるわけか」


 こっちがそう返すと、膝を打つ手が止まった。


「本人は、知らねえだろうけどな」


 この土地では鉄を打ち、拍を打つ。


 釜番は、主さまに返事なんぞしないと言った。

だがここの手は代々、唸(うな)りに合わせて打ち続けてきた。


 ――それは、返事とどこが違うのか。


 帳面をひらいた。

書く手が、少し遅れた。


 封じられた鬼の呻(うめ)きなら、聞き流せばいい。

ありがたいお告げなら、ありがたく聞けばいい。

どちらの話も、唸(うな)りに返事をしろとは言わない。


 〈貼りもの、二枚。二枚とも、同じことを言っているように見える

――返事は、いらない、と〉


 帳面を閉じたとき、朝からいつもの間合いだった唸(うな)りが、ふいに変わった。

ためらうように伸びて、途中で一度切れる。


 孫の手がその切れ目でとんと鳴った。

唸(うな)りの無い所で、手の音だけが浮く。


「ずれた」と楽々森彦(ささもりひこ)。

「あの子の手だ。唸(うな)りから、半拍」


 孫は自分の両手を見下ろして、それきり打たなくなった。

きのうも今朝も、少しもずれなかった手だ。


 背後の炉のほうで、鉄くずの籠(かご)が音を立てて落ちた。


 振り返ると、釜番の年寄りがこっちを見ている。

会ってから一度も見せなかった、笑っていない顔だった。


「……あんた。ゆうべ、主さまに、何をしなすった」

――この里はね、鬼ひとつで、二通りに賑(にぎ)わっとる。

麓(ふもと)じゃ、鬼がおっかないほど投げ銭が飛ぶ。山じゃ、主さまがありがたいほど、お告げを乞(こ)う列が延びるそうな。

……この先は、言えない。決まりでね。

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