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預かりもの 〜拾って、磨いて、返す、辺獄の回収屋〜  作者: ウォーレン・コールドウェル
第一章 鬼は外、拍は内

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手も足も出ない

――風の便り

「北の社(やしろ)の主が拍を刻んで唸(うな)るって、塩売りが言ってたろう」

「隣の卓の客が回収屋を物騒呼ばわりしたら、婆さんが筆の先を向けてね。

店じゅう大笑いさ」

「次の日は市で、ひっくり返った大籠(おおかご)を回収屋が起こしててね」

「三日あとに楽々森彦(ささもりひこ)が日に焼けて戻ってきてさ。

回収屋と、何やら長いこと話しこんでたよ」

 社(やしろ)へは楽々森彦(ささもりひこ)に付き合うことにして、日取りは本人に任せてあった。


 こっちから急かすつもりはなかった。

その話をした晩に店の戸口から北の闇を見ると、社(やしろ)のあたりに貼りものが二枚視えた。

勢いで踏み込んでいい場所ではないことは、遠目にも分かった。


 帳面には、その晩のことを一行だけ書いてある。


 〈貼りもの、二枚。継ぎ目が軋(きし)む〉


 それ以上は書きようがなかった。


 四日目の朝、店の長卓(ちょうたく)で楽々森彦(ささもりひこ)のほうから話を切り出された。


「行こう。今日、行く」


「決まったか」


「決めたわけじゃない。

ずっと決まってたのを、今日、口にしただけさ」


 目に迷いはなかった。

ただ、湯呑みを持つ手だけが少し強張(こわば)っていた。


 身支度は軽くした。

帳面と竹筒の水を荷へ入れていると、店主が握り飯を二つ包んだ竹の皮を長卓(ちょうたく)の端へ置いた。


「山道は腹が減るからね。ひとつずつ持っておいき」


「助かる。昼が楽しみだ」


 包みを荷の口へ押しこんだ。

今日は何が唸(うな)っているのかを突き止めに行くわけじゃない。

社(やしろ)をこの目で見てくるだけだ。


  ◇


 朝のうちに町を出て、北へ半日歩いた。

町の喧騒(けんそう)が背中で薄れると、道の両脇に畑が続く。

畑が切れた先の山の麓(ふもと)に里があり、家並みの端を回ればあとは山裾(やますそ)の細い坂ばかりになった。


 楽々森彦(ささもりひこ)は迷いのない足取りで先に立った。


「詳しいな」


「一度、来たからな」


 こともなげに言う。


「頼みに行く前にさ。

自分の足で見てからでないと、格好がつかないだろう」


「見て、どうだった」


「……分からなかった。何ひとつな」


 それから道の脇を顎(あご)でしゃくった。


「前に来たときは、この辺で草鞋(わらじ)の紐が切れてな。

片足だけ裸足(はだし)で登るはめになった」


「そりゃ、難儀だったな」


「難儀なもんかい。

あの英雄様のお供で行軍したときは、三日三晩、履かずに歩いたぜ」


 ――裸足(はだし)で張り合われても困るな。


 少し歩いて、楽々森彦(ささもりひこ)がふと足を止めた。


「そういや、あの祠(ほこら)の矢な。

ありゃ、誰が供えたんだろうな」


 心当たりはなかった。

首を横に振ると、楽々森彦(ささもりひこ)も「だよなあ」とだけ言ってまた歩きだした。


 軽口はまだ出たが、坂がきつくなるにつれて途切れがちになった。

木立が濃くなり、鳥の声が減る。


 風が変わった。

土の匂いに焦げたような匂いが混じりはじめる。

坂の上のほうで、何かが低く唸(うな)っていた。

あの晩に町で聞いたときより、音がずっと太い。


 見上げると、木立の切れ間に社(やしろ)の屋根がのぞいていた。

市の通りから霞(かす)んで見えた、あの屋根だ。


 坂を上りきると、柱の苔(こけ)むした古い鳥居が傾いて立っていた。

潜(くぐ)って境内(けいだい)へ入ったところで、楽々森彦(ささもりひこ)の足が止まった。


 荒れてはいるが、社殿(しゃでん)はちゃんと建っている。

その脇に、場違いなものが積まれていた。

黒く焼けた石と、灰の山。

供物(くもつ)の棚には、金槌(かなづち)がひとつ載っている。


 ――金槌(かなづち)を供えるなんて話は、聞いたことがないな。


 隣で楽々森彦(ささもりひこ)の息が浅くなっていた。

坂を上ってきた息では、なかった。


 こっちが一歩踏み出すと、足の下でざくりと硬い音がした。

しゃがんで指で掘ると、黒い粒が出てくる。

摘(つ)まんでみると、小さいのにずしりと重い。

この山の土には、鉄が混じっているらしい。


 境内(けいだい)の奥の崩れかけた囲いの中に、黒く煤(すす)けた穴がある。

炉の跡らしい。

打ち捨てられて見えるのに、まわりの土だけが妙に黒々としている。

灰もまだ新しかった。


「これだ」


 楽々森彦(ささもりひこ)が炉の縁(ふち)を指さした。

指さすだけで、囲いの手前から動こうとしない。


「前に来たときも、灰は新しかった。

討たれた鬼を祀(まつ)るだけの社(やしろ)に、なんでこんな物があるのか。

……そこから先が、どうしても分からなかった」


 祀(まつ)るだけなら、供物(くもつ)と祈る場所があればいい。

炉はいらない。


 まして、火は。


 囲いをまたいで、灰へ指を入れてみた。

指の腹にまだ熱が残っている。


 鼻の奥に焦げた匂いが刺さった。

炭と、土と、もうひとつ。鉄の匂いだ。

舌の裏に血によく似た味が湧いた。


 ――誰かがいまも、ここで火を入れている。


 指の灰を払って顔を上げると、社殿(しゃでん)の脇に積まれた灰の山の陰で、年寄りがひとり鉄くずを選(よ)り分けていた。

その背中に見覚えがあった。

市の通りでひっくり返った籠(かご)を起こしてやった、あの釜番だった。


 そばの切り株に小さな子どもが座って、唸(うな)りが来るたびにぴたりと合わせて両手を打っている。

市で年寄りが話していた孫だろう。


「や、また会ったね、回収屋さん。

市の衆が、あんたをそう呼んどったでね」


「精が出るな」


「歳をとっても、仕事は減らんでねえ」


 年寄りは笑って腰を伸ばした。

楽々森彦(ささもりひこ)へちらりと目をやってから、また手もとへ向き直る。


「炉の跡だろう、あの穴は」


 年寄りの手が、止まった。


 切り株のほうでは、子どもの手だけが同じ間で鳴りつづけている。


 ほんの一拍で、鉄くずを選(よ)る手はまた動きだした。

さっきより少し速い。


「昔からあったもんさ。誰も気にしとらんよ」


「灰が、まだ熱い。

誰かが、いまも火を入れてる」


 年寄りの手は止まらない。

こっちを見ないまま、掌(てのひら)の鉄くずを籠(かご)へ落とす。

かん、と軽い音がした。


「回収屋さんは、耳がいいねえ。

里の衆はみんな、あの唸(うな)りを風の音だと思っとるよ」


 答えではなかった。

褒めてみせて、こっちの問いも籠(かご)へ落としてしまう。


「そういえば、いつぞやの荷は、助かったよ。

ああいうのはね、若い衆でも腰をやるでね」


「籠(かご)を起こしただけだ。腰、大事にな」


 そう返して、もう一度訊(き)いた。


「火を入れてるのは、あんたか」


「……さあて」


 年寄りは籠(かご)を担いで立ち上がった。

まだ半分も選(よ)り分けていない籠(かご)を、だ。

孫の腕を掴んで、切り株から下ろす。


「日のあるうちに、降りなさるこったね。

この山の夕暮れはね、足元から来る」


 孫の手を引いてこっちの脇をすり抜け、坂のほうへ歩きだす。

その背中は、早く帰れと言っているように見えた。


 こっちの問いには、なにひとつ答えないまま。


 ――言われて帰る柄(がら)でもない。


 社(やしろ)の裏手へ回ると、唸(うな)りが近くなった。


 落ちて、間があって、また落ちる。


「速い」


 楽々森彦(ささもりひこ)が唸(うな)りのほうへ耳を向けた。

顔つきが硬い。


「前に来たときより、速い。

……行軍でもな、合図の拍が速まるときは、決まってる。

急がせるときだ」


 その声に覚えがあった。

長卓(ちょうたく)で藪(やぶ)の話を語り直した夜の声に、よく似ている。

行軍の合図を数えてきた耳は、拍にだけは誰より敏(さと)いのだろう。


「合図の拍じゃない」と楽々森彦(ささもりひこ)。

「もっと重い。……何かを、鳴らしてる拍だ」


 次の一歩で楽々森彦(ささもりひこ)の足がもつれ、よろけてそばの石垣に手をついた。


 額に汗が浮いていた。暑さの汗ではない。

目の焦点が社(やしろ)の奥へ吸い込まれていく。


 この社(やしろ)の底には、何代もの人が信じてきたものが溜まっているのだろう。

何が溜まっているのかは、視えない。

視えないまま、そこにある。


 それが、楽々森彦(ささもりひこ)の足の裏から這(は)い上がっているらしかった。

膝が、本人の意思とは別のところで沈みかけている。


 誰かに引かれているのなら、まだいい。

引いている手を探せばいいだけだ。


 これには、探すべき手がどこにも見当たらない。


 目を戻すと、楽々森彦(ささもりひこ)は石垣に手をついたまま動けずにいた。

名を取り戻して、まだひと月にもならない。

その足で立つには、この社(やしろ)の底は深すぎた。


 だがこっちが立っているのも、同じ土のはずだった。


 爪先で足元の土を蹴ってみると、土くれがころりと転がって、坂道で踏んできたのと同じ手ごたえが返ってきた。


 踏みしめても、掴まれない。

息も、乱れない。膝も、沈まない。


 いつもそうだ。

この身には、何も起きない。

だから、隣で見ているしかない。


 いや。

何も起きないのではなく、起きても気づかずにいるだけなのかもしれない。

この身に触れているものを、起きていることを、こっちだけが、知らずにいるのだとしたら。


「大丈夫か」


「……いや。すまん」


 楽々森彦(ささもりひこ)は自分の手を見ていた。

細かく震える指先をもう片方の手で押さえたが、震えは止まらない。


 こっちの荷から竹筒を出して、石垣の上の手の届くところへ置いた。

楽々森彦(ささもりひこ)はしばらくそれを見てから、栓を抜いてひと口飲んだ。


「平気だ。行こう。……ちょっと、脅(おど)かされただけさ」


「三日三晩、裸足(はだし)で歩いた男がか」


「……それとこれとは、別口さ」


 竹筒を石垣へ置いて、無理に笑ってみせる。

その笑い方は、名前の書かれた湯呑みを受け取った晩とは少しだけ違っていた。


  ◇


 社殿(しゃでん)の壁に沿って正面へ回り、閉じた扉の前に立った。


 その奥に、何かがいる。


 視えるのは、顔だ。

世間が語ってきた分の、もう一枚の顔。

それが扉の板を透かして、こっちへ浮き上がって視える。


 二枚、重なっている。

板の向こうで、二枚は見ているあいだじゅう押し合っていた。


 目を凝(こ)らしても、そこに何が描かれているのかまでは視えない。


 ――おかしい。


 本人と食い違った顔には、どこかに綻(ほころ)びが出る。

端が浮いて、めくれかける。

これまで拾ってきた顔は、みんなそうだった。

そこから先は本人の仕事だが、こっちはその端を見つけてやれた。


 どちらも本人と食い違っているなら、綻(ほころ)びは二枚ぶんあるはずだ。


 だが、この二枚には、めくる端がない。

どちらも、もう片方に押さえつけられている。


 端を探すのをやめて、もう一度二枚を見た。


 押さえつけ合う分だけ、二枚とも落ちずに済んでいる。

押し返された端が、また相手を押さえる。

取り合っているように見えて、そのじつ、互いを立たせている。


 待っていても、端は浮きそうになかった。


 ただ、押さえ合う二枚のあいだには、どちらのものでもない継ぎ目が一本通っていた。

あの晩に町から視えた軋(きし)みは、たぶんここから来ている。


 端は無い。あいだ(・・・)は、ある。


 手が入るとすれば、そこだけだ。


  ◇


 日が山の端(やまのは)にかかるころ、年寄りの言ったとおり木立の足元から暗くなりはじめた。

鳥居を潜(くぐ)って坂へ出たところで、下から声がかかった。


「火はね」


 見ると、年寄りが坂の少し下に立っていた。

籠(かご)を担いだまま、こっちを見てはいない。


「絶(た)やしちゃいかんのさ。理由は、聞かされとらん。

ただ――絶(た)やせば、止まる(・・・)。

それだけは、代々、言い伝わっとる」


「止まる。何が」


「さあねえ」


 同じ「さあ」でも、さっきの「……さあて」とは響きが違っていた。


「荷の礼だよ。わしが知っとるのは、そこまでさ」


 年寄りはそれだけ言うと、くるりと背を向けた。


 籠(かご)ひとつ起こした礼にしては、重たいものを置いていかれた。


  ◇


 里へ向かって坂を下りながら、楽々森彦(ささもりひこ)は長いこと黙っていた。


 半分ほど下りたところで、前を向いたまま口を開いた。


「俺は、あの英雄様に藪(やぶ)を教えた。

合図も送った。あの勝ち戦に、俺も手を貸した」


「知ってる。あの晩、ちゃんと聞いた」


 楽々森彦(ささもりひこ)は足を止めて、坂の上の社(やしろ)のほうを振り返った。


「知らないだろ。……俺たちが何を討ったのか、俺は、いまだに知らない」


 声は震えていなかった。

震えていたのは、さっきの手のほうだ。


「次は、もっと近くまで行く。

今度は、知らんままじゃ帰らない」


「転ぶなよ」


「……ああ」


 それきり、ふたりとも前だけを見て坂を下りた。


 あの継ぎ目の軋(きし)む音だけが、ずっと背中についてきた。


 あの二枚で、まだ塞(ふさ)がっていないのは、その音のする一本きりだ。

【今日の一物 金槌】 

金槌は、打つための道具である。

打たれる物と、打つ者がいて、はじめて意味を持つ。

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