減るもんじゃなし
――風の便り
「ゆうべの巧さんの稽古、腰掛けに座りきれんほど人が寄っとったで」
「燕の糞のくだりで、子らがまた転げまわっとった。宵の声が、いちばんよう聞こえたわ」
「竹の爺さまは、語りの前に一人で帰ってしもたらしいな」
「よその回収屋さんは、お開きのあとで、かいなしに名を訊いとったそうな。物好きなお人やなあ」
宵の家の表で、土を踏む音がした。
振り返ると、濡れた手を前掛けで拭きながら女が戸口を潜ってくる。
きのうの昼、ここから顔を出して宵を呼んでいた女だった。
「宵、また人さまの袖を引っぱってきたんか」
「おっかあ。この人な、かいしゅうや。
落ちとるもんを拾うて、持ち主に返すんやて」
宵は、聞いたばかりの言葉を得意げに並べた。
女は棚の籠をのぞいて、布の上に並んだ小物に目を細めた。
「また見せとったんか。
だれにでも見せるんや、この子は」
こっちに小さく頭を下げてから、女は提灯を持った娘に気づいて目を丸くした。
「竹の娘さんまで、うちに寄ってくれたんか。
……爺さまは」
娘が「先に帰った」と短く答えると、宵が頬をふくらませた。
「なんや。また石榴のお話、聞かしてもらおう思とったのに」
娘は提灯を少し下げて、宵の顔をのぞきこんだ。
「おじいは、あしたの朝、笊の具合を見に下りてくる。
こしらえた笊は、釜にかけてみるまで気がすまん人やからな」
「ほんま?」
娘がうなずくと、宵は両手を打ってその場で跳ねた。
その肩を、女が笑いながら押さえた。
「ほれ、もう遅うなる。
お二人とも、これから坂の上まで帰らんならんのに」
娘と目を見交わしてから、女に頭を下げた。
「遅くまで、邪魔をした」
「夜道や。気ぃつけて帰りや」
女に見送られて表へ出た。
提灯を下げた娘のあとについて坂を上る。
道ばたの草むらで、虫の声がしていた。
家並みは、もうあらかた暗くなっている。
竹やぶの手前まで来たところで、娘が立ち止まって振り返った。
見下ろすと、炊ぎ屋の戸口だけがまだ明るい。
――爺さまの明かりが止まったのも、この辺りだったな。
娘はしばらくそっちを見てから、前を向いた。
「……きょうは、いやなもん、見せた」
「あんたが謝ることじゃない」
提灯の火の向こうで、娘の口もとが少しゆるんだ。
「あしたは、わたしは下へは行かん。
十五夜にみなが寄る、やぶの広場の草を、刈っとく」
「月見の支度か」
「毎年、わたしの仕事やった。
……それも、今年で終いや」
娘は、竹の葉越しに月を見上げた。
「……あの五人は、わたしのせいで、今も笑われとる」
返す言葉を探しているうちに、娘はまた坂を上りはじめた。
揺れる明かりが、竹の影を一本ずつ道に落としていく。
◇
あくる朝、紙漉きの小屋を出ると、爺さまはもう戸口の前で竹ひごの束を縛っていた。
やぶの奥からは、草を刈る音が小さく聞こえてくる。
「あの子は毎年、だれより先に広場の草を刈る」
爺さまはそれだけ言って、縛った束をぽんとたたいた。
「回収屋さん、今日も運び手を頼めるか」
「借り賃が、二つになるな」
爺さまは束をこっちへ寄せて、口の端だけで笑った。
「試しに蒸すぶんが、一つ二つはある」
束を肩に担いで、爺さまのあとから坂を下りた。
坂の下の畑では、もう何人かが腰をかがめて豆をもいでいる。
朝の炊ぎ屋は、ゆうべの人だかりが嘘のように静かだった。
戸口の奥では、釜が二つ並んで湯気を上げている。
軒下へ目をやると、日陰に削り屑が少し散らばっているきりで、男の姿は無かった。
戸口から顔を出した襷掛けの若い衆が、こっちを見て奥へ声を張った。
「稲さん、竹の爺さまや。笊を見に来てくれたで」
奥から出てきたのは、ゆうべ宵に「おっかあ」と呼ばれていた女だった。
袖を襷でからげて、額に汗を光らせている。
「爺さま、毎年すまんなあ。
朝の分は、もう炊き上がったとこや」
爺さまはうなずいて、きのうの三枚のうち一枚を湯気の立つ釜にかぶせた。
ふちを両手でぐるりと押さえていくうちに、ある所で手が止まる。
釜のふちと笊の間に、指一本ほどの隙間があいていた。
「ここから、湯気が逃げる」
爺さまはこっちの肩の束から竹ひごを一本抜いた。
目でうながされて釜の向こうへ回り、笊がずれないよう、へりを押さえる。
爺さまは笊をかぶせたまま、隙間のあたりのへりをひと回り厚く編み直していく。
端を結び目の下へ潜らせて締めると、隙間はぴたりとふさがった。
稲が、試しに丸めておいた団子を笊に並べて蓋をする。
蓋のふちから湯気が噴きはじめたころ、戸口に小さな影が飛びこんできた。
「竹の爺さま」
宵は爺さまの袖をつかむと、そのまま引っぱった。
「お話、して」
「宵。爺さまは、仕事中や」
稲にたしなめられて、宵は袖をつかんだまま口をとがらせた。
蒸し上がった団子を一つ、爺さまが割って中をのぞく。
「芯まで、火が通っとる」
半分を口へ放りこむと、爺さまはもう一つを竹の皮に載せて、こっちの前の台に置いた。
「借り賃の、前払いや」
こっちも、竹の皮から団子をつまみ上げた。
「いただく」
熱いのをひと口かじると、ほんのり甘かった。
宵が、こっちの手もとをじっと見ている。
稲が笑って、宵にも一つ持たせた。
「爺さま、それが済んだら、うちで麦湯でも飲んでいって。
この子、ゆうべからずっと待っとったんや」
「先に行っとってくれ。もう一枚、かけてみる」
稲は襷をほどいて隣の家へ向かった。
宵が団子をくわえたまま、袖を引っぱってくる。
隣の家の戸口を潜ろうとしたとき、頭の上で何かがかすかに揺れた。
見上げると、柱の上のほうに小さな貝が一つ、細い紐で吊るしてある。
親指の先ほどの卵のような形で、表がつやつやしていた。
中では稲が上がり口に腰を下ろして、土瓶の麦湯を椀に注いでいる。
椀を板の上に置いて、こっちへ寄せてくれる。
小さく頭を下げて、こっちも上がり口の端に腰を下ろした。
「戸口の上の貝は」
「宵のお守りや。
この子が生まれた晩に、戸の下から入ってきてな」
「わたしの貝や」
宵が、団子をのみこんで胸を張った。
「お腹の子が、逆さになっとってな。
お産が重うなる、て、前から言われとった。
産気づいたんは、十五夜の前の晩や。
赤んぼを取り上げてくれるおばばが、奥の間で、子安の貝でもあればなあ、て」
稲は、柱の上の貝へ目をやった。
「夜が更けたころ、おばばが、あれを見つけて、うちの手に握らせてくれた。
握っとったら、なんや知らん、力が出てな。
この子が生まれたんは、その晩のうちや」
宵が、横からこっちの顔をのぞきこんだ。
「そやから、わたしは宵なんや。
十五夜を待っとる晩に生まれたから」
「いい名だ」
宵は、得意げにうなずいた。
柱の上の貝へ、もう一度目を戻す。
「置いていったのは」
「分からん。暗うて、だれも顔を見とらん。
通りがかりの行商の人やろ、てみな言う」
稲は椀を両手で包んだ。
「……礼が言えんままや」
――名乗っていけば、済んだろうに。
宵が、稲の膝に手をついて顔を上げた。
「毎年、竹とんぼや馬を置いてってくれる人も、その人やろか」
「さあなあ」
稲の目が、一度だけ表の道の先へ動いた。
それから、宵の頭に手を置く。
「名乗らんのは、名乗れんわけがあるんやろ。
そやから、待ち伏せするようなことはせん」
それから、戸口の柱を見上げる。
「その代わり、表の道から見えるとこに吊るしとる。
置いてってくれた人が通ったら、大事にしとるのが分かるようにな」
戸口に影が差して、爺さまが入ってきた。
宵が跳ねるように立ち上がる。
「竹の爺さま、お話。石榴のお話して」
稲が、もう一つの椀に麦湯を注いで寄せる。
爺さまは上がり口に腰を下ろして、ひと口すすった。
椀を置いて、両手を組む。
宵が、その前にぺたんと座りこんだ。
「……ええか。これは、土産の話や」
宵は口をきゅっと結んで、うなずいた。
「むかしな、三人の兄弟が、旅の土産を一つずつ持って帰ってきた。
一人は遠くの見える鏡、一人は空を渡る敷物、一人は石榴や。
三人は敷物に乗って……」
「ちがう。先に鏡や」
宵が、爺さまの膝をたたいた。
「鏡をのぞいたら、遠くの里で病人が寝とるのが見えた。
そやから、飛んでいくんやろ」
「……そうやった」
爺さまは首の後ろをかいて、話を戻した。
「三人は敷物に乗って、その里まで飛んでいった。
石榴を食べさせたら、病人は起き上がった」
「それで」
「あとで見たら、鏡も敷物も、元のまんまや。
石榴だけが、食べたぶん減っとった」
「石榴の兄さんだけ、損したんや」
「損は、しとらん。減ったぶんだけ、渡っとる」
宵は、爺さまの顔をまじまじと見上げた。
「竹の爺さま、いっつもそれで終わるやん」
「終わりやさかい、終わるんや」
稲が、こらえきれずに肩を揺らした。
宵は戸口のほうへ向き直って、柱の上を指さした。
「あの貝くれた人も、損したんやろか」
爺さまは目を細めて、柱の上を見上げた。
「この辺りじゃ取れん貝や。
遠くから渡ってくる燕が持ちこむ、いう貝や」
「燕が持ってくるんは、糞だけや」
宵がけらけらと笑う。
稲が、その頭を小突いた。
「これ。どこで覚えてきたんや」
「巧さんの語りからや」
爺さまは何も言わずに、麦湯の残りを飲みほした。
「馳走になった。さて。戻って、竹を割らんと」
爺さまが腰を上げた。
こっちも稲に麦湯の礼を言って、あとについて表へ出た。
戸口の上で、貝が朝の光を返している。
その光から目を上げると、隣の炊ぎ屋の高い棟から燕が一羽、低く抜けていった。
――十五夜の前の晩。
……ゆうべの巧の語りでも、聞いたな。
――減るもんじゃなし、と言ってね。見せびらかすとき、人はよう言う。
けど、見せただけのもんは、ちゃんと手もとに残っとる。
……ほんとに減ったぶんは、だれも数えとらんもんさ。




