↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
預かりもの 〜拾って、磨いて、返す、辺獄の回収屋〜  作者: ウォーレン・コールドウェル
第四章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/33

手の内

――風の便り

「竹の爺さまの笊(ざる)、けさ炊(かし)ぎ屋で試したら、団子が芯までふっくら蒸せたそうな」

「よその回収屋さんも、ちゃっかり一つ前払いでもろうとったで」

「稲(いね)さんとこでは、宵(よい)が爺さまの昔話を横から直しとったらしい。どっちが話し手か分からんなあ」

「竹の娘は、今年もやぶの広場の草刈りや。毎年、だれより早い」

 燕(つばめ)が抜けていった炊(かし)ぎ屋の棟(むね)を、しばらく見上げていた。


 ゆうべ巧(たくみ)が語ったのは、十五夜の前の晩のことだ。

あの棟(むね)を指さして「慌てて駆け上がって」と、その指先をするすると上へのぼらせる。

「巣に届く前に」と両手を宙で泳がせて、「どすんっと」その場に座りこんでみせた。


 炊(かし)ぎ屋の横手の壁は三角にとがって、そのてっぺんが棟(むね)になっている。

すぐ下から突き出した太い梁(はり)の端に、燕(つばめ)の巣が泥を盛り上げたように載っていた。

まわりの家の屋根より、まだずっと高い。


 ――届く前、ってのがどの辺りか。

そばまで行って、見てくるか。


 坂の上り口で、爺さまがこっちを振り返った。


「回収屋さん、戻るで」

「先に戻っててくれ。昼過ぎには戻る」


 爺さまはこっちの顔を少し見てから、ひとつうなずいた。


「竹は、逃げん」


 それだけ言うと、爺さまはひとりで坂を上っていった。


 炊(かし)ぎ屋の戸口では、襷(たすき)掛けの若い衆が釜を洗った湯を表の溝へ流していた。


「あの棟(むね)の下まで上れる梯子(はしご)は、あるか」


 相手は空になった手桶を下ろして、目を丸くした。


「あるにはある。

裏に寝かしてある古いのが一本。

……けど、なんでまた」

「あの巣を、そばで見たい」

「けったいなもんを見たがるお人やなあ」


 若い衆は首をひねりながら、戸口の奥の釜へ目をやった。


「昼の分を炊(た)き上げて、火を落とすまで待ってくれるか。

これから釜に火を入れるで、湯気が棟(むね)まで上がって、上は蒸し風呂になる」


 それから戸口の脇に伏せてある桶を二つ、あごでしゃくった。


「その代わり、水を汲(く)んでくれんか。

昼までに、大釜二つぶんいる」

「借り賃か」

「そういうことや。桶の借り賃は、まけとくで」


 若い衆はにっと笑って、奥へ引っこんだ。


  ◇


 井戸と炊(かし)ぎ屋の間を、桶を提(さ)げて何度も行き来した。

三度目に井戸へ向かうと、隣の戸口から小さな手桶を抱えた宵(よい)が出てきて、後ろからついてきた。


「わたしも汲(く)む。

かいしゅうやさんの、手伝いや」


 宵(よい)は手桶に水を半分だけ入れると、両手で抱えてそろそろと歩きだした。

それでも一歩ごとに水がはねて、炊(かし)ぎ屋に着くころには底に少し残っているきりだった。


「……ちょっと、こぼれた」

「ちょっとな」

「月見の晩はな、おっかあが団子を山ほど蒸すんよ。

そやから、水はなんぼあってもええのや」


 宵(よい)は中身の減った手桶を振ってみせると、もう一度井戸のほうへ駆けていく。


 二つめの大釜が水で満ちたころ、戸口から稲(いね)が顔を出した。


「回収屋さん、水まで汲(く)ませて、すまんなあ。

この子まで、くっついて回って」


 稲(いね)は麦湯を満たした椀(わん)を腰掛けの端に置いてくれる。


「ありがたい」


 ひと息に飲みほすと、冷ました麦湯が喉にしみた。


 昼どきには炊(かし)ぎ屋の前がひとしきりにぎわって、それも畑へ戻る人たちといっしょに引いていった。

最後の桶を戻して表へ出ると、軒下に人の背中が見える。

朝は姿の無かった男がいつのまにか戻ってきていた。

持ち手の割れた柄杓(ひしゃく)を膝に載せて、細い竹を添えては紐を巻きつけている。


 若い衆が炊(かし)ぎ屋の裏から長い梯子(はしご)を引きずってきた。

太い竹を二本並べて段を渡しただけのもので、どの段も雨風にさらされて灰色に乾いている。


「助かる」


 梯子(はしご)の脇にしゃがんで、手近な段を押してみる。

乾いた竹が、みしりと音を立てた。

段に手を掛けたまま、若い衆を見上げた。


「傷んだ段は」

「十年前に一つ折れて、継いだ、いう話や。

どの段やったかまでは、知らん」


 若い衆は梯子(はしご)の脚を土に立てながら、軒下のほうへ目をやった。


「折れたんは、かいなしが落ちたときや。

よっぽど慌てとったんやろな。

それからずっと、寝かせたきりや。

燕(つばめ)が巣をかける家は、ご飯がよう炊(た)ける、いうてな。

巣のある棟(むね)へ上ろういう者は、もとからおらんでな」


 軒下の男は紐を巻く手を止めなかった。

巻き終えた端を小刀で切って、脇へ置く。

右の手は、置いたあとも握ったままだった。


 二人で梯子(はしご)を起こして、炊(かし)ぎ屋の横手の壁に立てかける。

梯子(はしご)のてっぺんは、巣の載った梁(はり)の端より下で止まった。

上のほうの段に立てば、梁(はり)の端に手が届く。

根もとの土は、釜を洗った湯が流れてきてまだ黒く湿っている。


 奥から「弥平(やへい)」と呼ぶ声がした。

相手は戸口へ向きかけて、こっちへ顔だけ戻した。


「巣には、手ぇ出さんといてや。

燕(つばめ)が来んようになったら、炊(かし)ぎ屋の名折れや」

「ああ。見るだけにしておく」


 若い衆が戸口へ駆けこむのと入れ違いに、隣の家から宵(よい)が飛び出してきた。


「梯子(はしご)や。かいしゅうやさん、上るん?」

「巣を見てくる」

「巣にはな、燕(つばめ)の子がまだおるんよ。

二度めの子や。

もうじき、親といっしょに飛んでいってしまうけど」


 宵(よい)は少し離れた所にしゃがみこむと、両手で頬を挟んで見上げた。


「落ちたらあかんよ。落ちたら、かいなしやで」


 言い終わると、ゆうべの語りの「どすんっ」を思い出したのか、宵(よい)は頬を挟んだまま、くくっと肩を揺らした。


 その語りのどこまでが本当か、巣のそばまで行って確かめたい。

目の高さの段に手を掛けて、片脚をいちばん下の段に載せ、体を預けた。

そのとたん、梯子(はしご)の根もとが湿った土の上でずるりと滑る。


 とっさに、地面についたままの足で踏んばる。

そのとき横から手が伸びて、滑った側の太い竹をつかんで止めた。

目をやると、すぐそばに男がいる。

いつ軒下を立ったのか、まるで気づかなかった。

右の脚を引きずって、ここまで来たらしい。

男のほうへ、小さく頭を下げた。


「すまん」


 男は片手で梯子(はしご)を押さえたまま、こっちの顔ではなく段の並びを見上げる。


「上から三つ目は、踏むな」


 ――どの段か、覚えてるのか。


 段を一つずつ上っていく。

男はもう一方の手も梯子(はしご)に掛けて、両手で支えた。

削り仕事で荒れた指が、竹の梯子(はしご)にしっかりと食いこんでいる。

竹がきしむたびに、下で梯子(はしご)がぐっと押さえこまれた。

上るにつれて、湯気の名残りのような生ぬるい風が顔に当たる。

見下ろすと、しゃがんだ宵(よい)の頭がもうずいぶん小さかった。


 半分ほど上ったところで、二羽の燕(つばめ)が鋭い声を上げて耳もとをかすめていった。

巣の親鳥らしい。

首をすくめた拍子に、肩に何かがぺたりと落ちてくる。

見ると、白いものが袖まで筋を引いていた。


「当たった。かいしゅうやさん、糞(ふん)もろうた」


 下で宵(よい)が手を打った。


「落とし物なら、持ち主に返すところだがな」


 言い返すと、宵(よい)は腹を抱えて後ろへひっくり返り、土の上を笑い転げた。

戸口の奥からも、若い衆の吹き出す声が聞こえてくる。


 男だけは笑わずに、下で支えつづけていた。


 やがて、上から三つ目の段がすねの前まで来た。

その一本だけ竹に縦のひびが走っていて、古い紐がぐるぐると巻きつけて締めてある。

継いだのは、この段らしい。


 その段をまたいで、すぐ上の段へ両の脚を移した。

梯子(はしご)が大きくしなったが、下の手がすぐに揺れを止めてくれる。


 この段に立つと、梯子(はしご)のてっぺんの段はもう膝より下で、手で握れる所が無い。

頼りになるのは、胸の高さに突き出た梁(はり)の端だけだ。

そこへ両手を掛けると、顔のすぐ前に巣があった。

泥と枯れ草で固めた巣で、ふちから黄色い口が四つそろってのぞいている。

肩ごしに振り返ると家並みの屋根が低く並んで、その向こうに坂と竹やぶが見えた。


 巣のすぐ脇では、梁(はり)に古い綱(つな)が二度巻きつけて結んであった。

竹の皮をよった綱(つな)で、黒ずんであちこちがささくれ立っている。

結び目の先は大きな輪になって、梁(はり)の上に置かれていた。

人の胴が一つ通るくらいの輪で、腰に回して体を預けるためのものらしい。


 巣に触れないよう、左の手だけを梁(はり)の角に残して、結び目に顔を寄せた。


 結び目のどこからも、端が出ていない。

爺さまの、あの結び方だった。


 指を掛けて引いてみると、かえって固く締まる。

ここまで上ってきて、落ち着いて結ばなければ、こうはならない。


 ――慌てて駆け上がって、届く前に落ちた、か。

語りとは、合わないな。


 そのとき、親鳥が正面から突っこんできた。

思わず顔をそむけた拍子に、左の手が梁(はり)の角から滑る。

背中が宙へ傾く。

かかとが段から浮いた。

とっさに右の手で輪をつかんだ。


 ささくれた竹の皮が掌(てのひら)に食いこむ。

焼けるような痛みが走ったが、輪はこっちの体を受け止めてびくともしなかった。


「かいしゅ――」


 下から宵(よい)の声が跳ね上がってきた。

梯子(はしご)の脚が土の上でいっそう強く押さえつけられる。


 もう片方の手で梁(はり)の角をつかみ直し、体を引き寄せる。

浮いていたかかとが、ようやく段の竹をとらえた。


 それでも、右の手はすぐには輪を放せなかった。

止めていた息を吐いて、こわばった指を一本ずつ輪からはがす。

開いた掌(てのひら)に、赤い筋が一本、斜めに深く走っている。

巣のふちでは、燕(つばめ)の子が何ごともなかったように口を開けていた。


 下りるときも、上から三つ目の段はまたいだ。

切れた手では、段が握れない。

手首を竹に引っかけて、左の手だけで一段ずつ下りていく。

竹に触れるたびに、傷口が引きつれた。

土に降り立って見上げると、綱(つな)は梁(はり)の陰に隠れて、下からはまるで見えない。


 宵(よい)が駆け寄ってきて、こっちの手をのぞきこんだ。


「血ぃ出とる」


 言うが早いか、宵(よい)は炊(かし)ぎ屋の戸口へ駆けだした。


「おっかあ、布。

かいしゅうやさんが、手ぇ切った」


 腰の手ぬぐいを掌(てのひら)に巻きつけながら、振り返った。

男はまだ梯子(はしご)の脚に両手を掛けたままでいる。


「押さえててくれて、助かった」


 男は答えなかった。

目は、こっちの手もとに向いている。

巻きつけたそばから、血がしみ出してくる。

戸口の奥で、稲(いね)が布を探して棚をかき回す音がした。


 手ぬぐいの下で、切れた掌(てのひら)がずきずきと脈を打っている。

あの高さで体を支えていたのは、この手一つだった。


 男が梯子(はしご)から手を放した。

肩が下がって、長い息がひとつ漏れる。

その右の手へ、目を移す。

小刀を置いたあとも握ったままだった手が、いまは開いている。


「十年前、あんたが上ったとき。

……その手の中に、何があった」


 答えは返ってこなかった。

男はこっちを見ないまま、右の手をだらりと下げる。


 その指が、ゆっくりと閉じていった。

――手の内、と言ってね。見せんのが、勝負の心得だそうな。

けど、勝負でもないのに、ずっと握ったままの手もある。

……握っとるのが、物とはかぎらんのさ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。