物笑いの種
――風の便り
「竹の娘が、よそのお人を連れて、籠を配って回っとったで」
「婆さまに『六人目かい』て訊かれて、そのお人、『回収屋だ』て返したそうな」
「回収屋て、何や。聞いたことないで」
「落ちとるもんを拾うて、持ち主に返すんやと。婆さまは『落とした貝でも拾いに来なさったか』て、えらい笑うとったわ」
あくる日も、紙漉きの小屋で目を覚ました。
朝のうちから、土間へ竹を運ぶ。
爺さまはその竹を細く割って竹ひごにし、ひと抱えでは回りきらないほど大きな笊を編みはじめた。
「ずいぶん大きいな」
「団子を蒸す笊や。月見の前は、炊ぎ屋がいちばん忙しいでな」
照は表で、戸板に干してあった紙を一枚ずつはがしていた。
昼には握り飯を持ってきて、三人で上がり口に並んで食べた。
そのあいだも、爺さまの目は編みかけの笊から離れない。
三枚目のへりを、端の出ないあの結び方で締め終えたのは、日が傾きかけたころだった。
締めたへりを親指で押して、張りを確かめる。
爺さまは三枚を土間に並べて、紙を張った提灯を二つ腰に下げた。
「夕餉の支度どきに持ってったら、邪魔になるだけや。
支度が済んで、皆が椀を持ったころに着くよう、ぼちぼち出る。
わしと照と、回収屋さんとで、一人一枚や」
戸口から入ってきた照が、土間の三枚とこっちを見比べて、小さく笑った。
「おじいは、手の空いた人を見たら、すぐ何か持たせる」
「空いとる手は、猫でも借りるもんや」
爺さまは真顔のまま、いちばん大きな一枚をこっちへ寄せた。
「借り賃は、団子一つでいい」
ためしに言ってみると、爺さまは間を置かずに返した。
「団子は、月見の晩や」
照が、袖で口もとを押さえて吹き出した。
荷は小屋に置いたまま、その一枚を背に負った。
笊のふちが頭の上までかぶさる。
前を歩く二人の背中も、すっかり笊に隠れている。
坂の途中で燕が一羽、笊の上をかすめて家並みのほうへ抜けていった。
◇
坂を下りて家並みに入ると、炊ぎ屋の前は、きのうの昼とまるで様子が違っていた。
ちょうど夕餉の支度が済んだところで、戸口の奥ではまだ、湯気が大きな釜の蓋を持ち上げている。
高い棟の下へは、燕が次々に戻ってきた。
長い腰掛けにも、まわりの地べたにも、畑から戻った人たちが座りこんでいた。
各々が手に手に椀を持っている。
きのうの婆さまも、腰掛けの端で湯呑みを抱えていた。
どの顔も、腰掛けの前に立った男のほうを向いていた。
三十の半ばくらいで、日に焼けた顔によく動く眉をしている。
「巧さん、今年の月見も頼むで」
「任せとって。
今年はよそからも聞きに来るらしいけん、今日はその稽古たい」
まわりの言葉とは、訛りが少し違う。
よそから流れてきて住みついたような口ぶりだった。
婆さまが湯呑みの陰からこっちを見上げた。
「竹の娘が十五夜に帰るいう話が、よそまで回ってな」
隣で照が目を伏せた。
爺さまは笊を背から下ろすと、中から竹ひごの束を取り出して炊ぎ屋の戸口へ寄った。
「弥平、笊や」と奥へ声をかけると、きのうの襷掛けの若い衆が出てきて、三人の笊を順に受け取ってくれる。
「竹の爺さまの笊なら、団子が百でも蒸せるわ」
爺さまは小さくうなずいてから、だれかを探すように首をめぐらせた。
軒下には、きのうと同じ男が座っていた。
こっちに横顔を向けて、ほつれた笊のへりを編み直している。
爺さまは束を手に軒下へ歩み寄って、名を呼んだ。
「足」
男の手が、一度だけ止まった。
顔は上げないまま、また編みはじめる。
「……足。ひごや。使え」
男は振り向かなかった。
腰掛けのほうの人たちは、椀を手にしたまま、巧が話しだすのを今か今かと待っている。
爺さまはひごを持ったまま、黙って立っていた。
戸口の奥で、釜の湯気が何度か噴き上がる。
戸口の弥平が、ひょいと首を伸ばした。
「かいなし、竹の爺さまや」
男はすぐに顔を上げた。
爺さまが軒下の柱のそばに束を置くと、男は右の脚を引きずって寄ってきて、それを取り上げる。
小さく頭を下げたが、目はひごから上がらないままだった。
爺さまは男の伏せた頭をしばらく見つめて、少しだけ顔を曇らせてから、照のほうへ向き直った。
腰の提灯を一つ外して、その手に持たせる。
「帰りに使え。わしは、先に戻る」
語りを待つ人たちに背を向けて、爺さまは戸口で提灯に火をもらい、ひとりで坂を上りはじめた。
坂の途中で、その明かりが一度だけ止まる。
それからまた揺れながら上っていき、竹やぶの陰に入って見えなくなった。
巧が一つ咳払いをすると、若い衆の一人が声を上げた。
「巧さん、自分の枝のくだりから、やってくれ」
どっと笑いが起きた。巧も笑って手を振る。
「あれは、みんなもう聞き飽きとるけん」
――実のなる枝を持ってきたのは、この男か。
「そんなら、いつもの五人の話たい。
まずは鉢の男。
ひとりでに光る石の鉢ば言いつけられて、どこぞの古か鉢ば持ってきた。
光らん、て竹の娘に返されたげな。
そしたら鉢ば竹やぶへ放り捨てて、あくる日、けろっとまた来よった」
あちこちで笑いがこぼれた。
巧は指を二本立ててみせる。
「皮衣の男は、火にくべても燃えん皮衣たい。
畑ば売って、行商から買うてきた。
くべてみて、と竹の娘が言うたげな。
くべたら……」
巧が両手を、ぱっと上へ開いた。
「あえのう燃えた」
「あえない、あえない」と、手をたたいて笑う者もいる。
その声が軒下まで届いても、男の頬の一枚は、そのままだった。
照は、笑っていなかった。
「さて。ここからが、いちばんの出し物たい」
まわりのざわめきが、すっと引いた。
「竹の娘が、燕の子安の貝を取ってこい、と言うたそうたい。
言いつけられた男は、十五夜の前の晩まで、あの棟を見上げるばっかりで……」
腰掛けの端で、婆さまの口が、語りといっしょに動いていた。
巧は炊ぎ屋の高い棟を指さしてから、両手を宙で泳がせた。
「とうとう最後の晩に慌てて駆け上がって、巣に届く前に、どすんっと」
「かいなし」
前に座った子らが、声をそろえた。
腰掛けのほうから笑い声が上がる。
軒下の男は、背を丸めて笊を編みつづけている。
こっちに向いた右の頬へ薄い一枚がふわりと降りてきて、前からの一枚の上に載るのが視えた。
「まあ、届いとったとしても、つかんだのは燕の糞たい」
今度の笑いが、いちばん大きかった。
子らが転げまわった。中でも宵の声がひときわ高い。
婆さまも、湯呑みを揺らして笑っている。
軒下で、男の右の手が竹ひごを握りこんだ。
笑いが起きるたびに、また一枚、また一枚と頬に載っていく。
載るたびに、上のふちが目のほうへせり上がった。
語りに竹の娘が出てきても、隣の照の顔には何も載らない。
巧は杖をつくまねをして、片脚を引きずりながら腰掛けの前を三歩ほど歩いてみせた。
「脚を折っても、はじを捨てて、十五夜の席へ出てきよった。
で、言うたことが『持ってこなんだ』」
巧は、まわりをぐるりと見回して間をとった。
「そりゃそうたい。取れとらんもんは、持ってこれんけん」
また笑いが起きた。
照の肩が、小さくこわばる。
――いつのまにか、「取れとらん」になってるな。
「今日はここまで。続きは、十五夜の晩たい」
人が腰を上げて、椀を返しに炊ぎ屋へ入っていく。
笑い声の残りに混じって、あちこちで「かいなし」が聞こえた。
ひときわ高い声で笑っていた女の子が、こっちを珍しそうに見ている。
人の間を抜けて軒下まで行っても、男は膝の上の笊から目を上げなかった。
横にしゃがんで、男と目の高さをそろえた。
「回収屋の、……ナギだ」
返事は無い。
指だけが、竹ひごを編み目に潜らせていく。
「あんたの名も、聞かせてくれ」
男の指が止まった。
しばらくして、低い声が返ってきた。
「……かいなしで、ええ」
――あんたまで、そう呼ぶのか。
土を踏む音に振り返ると、照がすぐそこまで来ていた。
「そんなふうに、言わんといて」
声は小さかったが、軒下にはよく通った。
男の指が、編み目の途中で止まる。
男は顔を上げなかった。
笊を膝から下ろして脇へ置き、柱に手をかけて、ゆっくり立ち上がる。
声のしたほうへは一度も顔を向けないまま背を返し、右の脚を引きずって炊ぎ屋の奥へ入っていく。
照が一歩、前へ出た。
その足が、軒下の笊の手前で止まる。
その背中に何か言いかけたが、声にならなかった。
腰掛けの端では婆さまが空の湯呑みを両手で包んだまま、炊ぎ屋の奥へ目をやっていた。
「名で呼ばれても振り向かんようになって、もう何年になるかなあ」
それから、こっちを見上げる。
「さっきの、はじを捨てる、いう言い方もな。
もとは十年前の、鉢の男や」
「どこの男だったんだ」
「さあなあ。よそから来て、すぐおらんようになったでな。
言葉だけ残って、だれやったか、もう、だれも言えん」
婆さまはそう言って、湯呑みの底をのぞきこんだ。
照の手が、袖口をきつく握っていた。
家並みの屋根の上に、月が明るく出ていた。
竹やぶの上に見た晩より、だいぶ太っている。
――十五夜まで、もう幾晩もないな。
「お兄さん」
袖を引かれて見下ろすと、宵と呼ばれていた女の子が立っていた。
「竹の娘のお客さん?」
「客とは、ちょっと違うな。回収屋だ」
「かいしゅうや?」
「落ちてるものを拾って、持ち主に返す」
宵は目を丸くしてから、こっちの袖をつかみ直した。
「うちにもな、ええもんがある。見せたげる。こっち来て」
返事も待たずに、宵は炊ぎ屋の隣の戸口へ駆けだした。
照が炊ぎ屋の戸口で提灯に火をもらって、あとからついてくる。
小さな背中を追って戸口を潜ると、上がり口の脇の棚に、古い籠が一つ載っていた。
赤んぼが一人、すっぽり収まるくらいの大きさがある。
宵が、その籠を指さした。
「わたしが赤んぼのとき、寝とった籠や」
後ろから提灯の明かりが差して、籠の中が明るくなった。
たたんだ布の上に、竹を削った小さなものが並んでいる。
竹とんぼ、掌に載るほどの馬、歯のそろった櫛。
どれも角がきれいに丸めてあった。
「九つある。毎年、一つずつふえるんや」
宵は指で一つずつ数えてから、竹とんぼをつまみ上げた。
羽の先まで薄く削ってあって、明かりが透けて見える。
「これがいちばん、よう飛ぶ。
屋根より高う上がったこともある。
馬は去年の。しっぽまで、ちゃんとある。
櫛は、まだ使わん。もっと髪がのびてからや」
照は何も言わずに、籠の中を見つめていた。
「よくできてるな。だれのだ」
「わたしの」
「……大事にしてるんだな」
宵は胸を張ってから、竹とんぼを両手で包むようにして、布の上へそっと戻した。
羽の向きを、指先でそろえる。
「落とし物とちがうよ。毎年な、だれかが置いてってくれるんや」
――物笑いの種はね、蒔いた覚えのない者の口からでも、毎年ちゃんと芽を出す。
けど、種というのは、笑いの種ばかりでもない。
……黙って蒔かれとる種も、どこかにあるもんさ。




