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預かりもの 〜拾って、磨いて、返す、辺獄の回収屋〜  作者: ウォーレン・コールドウェル
第一章 鬼は外、拍は内

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宛名が違う

――風の便り

「ゆうべ店で、行商の獣が暴れかけたろう。あの図体で棒立ちだよ」

「隅で飲んでた新顔が、座ったまま卓を指でとん、とん、と叩いてさ。

それだけで、獣のほうが座っちまった」

「英雄様のお供の犬コロだって名乗ってた男だろ。

行商の礼も、手を振って受け取らなかったってね」

「そのくせ婆さんに名前を訊(き)かれたら、黙りこんじまったんだと」

「舟は、名無しでも乗せてくれるのか」


 次の日の昼に舟着きの端まで来て、杭(くい)のそばに立つ男の背中へそう声を掛けた。

荷持ちの流れから、男ひとりだけが外れていた。


 渡し場の列にはいつも、どこの誰とも知れない者が混じっている。

見たこともない字のお守りを首から提(さ)げた者もいたが、ここでは誰もそれを気にしない。


 捜す手間はかからなかった。

昨夜(ゆうべ)、車座の真ん中で名前ひとつ言えずに黙りこんだ男だ。

あれで次の晩も同じ店へ顔を出せる者は、そういない。

町を出るなら、昼の渡し舟だろうと見当をつけていた。


「……回収屋かい。よく見つけたね」


「商売だ」


「商売なら、店で客を待ってりゃいいだろうに」


「待っても来ないだろ、あんたは。

だから迎えに来た」


 男は杭(くい)のそばを離れかけた。

逃げ場を探すように目をぐるりと一周させてから、諦めたように笑った。


「昨夜(ゆうべ)のありゃ、ど忘れさ。

名前なんて、そのうちひょっこり戻ってくるさ」


「戻らないだろ。

あれは、ど忘れの顔じゃなかった」


「……はっきり言うねえ」


 男は杭(くい)へ戻って、腰を下ろした。


「なあ、視えるんだろう、貼りものだの、めくれた端だの。

だったら名前もついでに視て、教えてくれりゃ話が早いじゃないか」


「視えない。中身はあんたしか知らない――言っただろ」


「そこを何とかさ」


「何とかしてやりたいのは山々だがな。

名前は外から着せる物じゃない。

着せたら、それもまた貼りものになる。

あんたが今かぶってる〈犬コロ〉と、同じ借り物がもう一枚増えるだけさ」


 男は黙って、自分の左肩の上を見た。

本人には何も視えないはずの場所を。


「……で、回収屋ってのは、つまり何を売る商売なんだい」


「拾って、磨いて、返す。それだけだ」


「屑(くず)鉄の話かい」


「拾うのは昨夜(ゆうべ)済んだ。

磨くのは今夜やる。返す先は」


 杭(くい)に座った男の前に立って、その胸を指の先で軽く突いた。


「ここだ。名前ってのは、そこにしか返せない」


「……高くつきそうな商売だぜ」


 男は胸を押さえたまま憎まれ口を叩いて、それでも、来た舟には乗らなかった。


 ――口より足のほうが、よほど正直だな。


  ◇


 日暮れに、男と連れ立って舟着きから町へ戻った。

夕立の後で、低い道はどこも泥に沈んでいた。


「磨いて返すって言ったな。

これまでも、そうやって誰かに返してきたのかい」


「先月は、橋の下で三年黙りこくってた石工(いしく)だった。

いまは石垣の崩れた寺にいる」


「戻ったのかい」


「いまじゃ喋りすぎて、坊さんに困られてる。

戻したのは本人だ。こっちは隣に座ってただけだ」


 男はしばらく黙って歩いてから、また口を開いた。


「儲(もう)かるのかい、その稼業は」


「寺から大根をもらった」


「……豪商だねえ」


 男がふっと噴き出した。

昨夜(ゆうべ)からはじめて見る、作りものでない笑いだった。


 笑いの先で、道が低い近道と土手をのぼる遠回りの二手に割れていた。

近道へ一歩出たところで、踏んだ泥がぬるりと沈む。

そこへ男の腕が横から伸びた。


「そっちは駄目だぜ」


 男は土手下の崩れかけた斜面を顎(あご)でしゃくった。


「上の草、あそこだけ色が濃いだろ。

中に水を溜めてる証拠(しょうこ)さ。

それに、ほら。

土の筋が途中で食い違ってる。

ああいうのを断層って言うんだ。

雨のあとは、あの下から崩れる」


 足元を選ぶあいだだけは、男の目から迷いが消えていた。

声にも張りがあって、指の先が土の筋をなぞっていく。


「助かった。詳しいな」


「行軍じゃ、道読みが一番の命綱(いのちづな)……」


 言いかけて、男は口をつぐんだ。

土の筋をなぞっていた指が、宙で止まっている。

自分の声を今はじめて聞いたような顔をしている。


 斜面のどこかで、水を吸った土がひとかけ、ぼとりと落ちた。

その音で、男はようやく指を下ろした。


「……なんてね。道草の知恵さ。

犬は道を覚えるんだ」


 そういうことにしておいて、土手をのぼる遠回りの道へ足を向け直した。


 土手の道にも、ところどころ水が浮いている。

先に立った男は足もとを見もしないで、乾いた所ばかりを踏んでいった。


  ◇


 夜更けの長卓(ちょうたく)は昼間とは別の顔になる。


 表の戸が閉まって一見(いちげん)の客が引けると、酒が退い(ひい)て白湯(さゆ)が回りはじめる。

車座の真ん中にはひとつきりの灯がともり、双子の樽職人、川漁師――昨夜(ゆうべ)の顔ぶれがそれを囲んで膝を寄せている。

上座では婆さんが筆を舐(な)めていた。


 こっちが男と並んで車座の端に腰を下ろすと、まず樽職人の片割れが口を切った。


「水ってのはね、髪の毛ひと筋の隙間でも見つけて出てくるんだ」


 片割れは両手で宙に樽の丸みを描いて、板の削り方がどうの、輪の締め方がどうのと語っていく。

何度組んでも、どこかの合わせ目から水が滲(にじ)んだらしい。

車座は相づちを打ちながら、続きを待っていた。


「滲(にじ)むたびに、ばらして一から削り直しさ。

それが、ある晩だ。

水を張ってひと晩おいて、朝、おそるおそる土間をのぞいたら――」


 片割れはそこで一拍おいて、胸を張った。


「土間は乾いたまんまさ。

三年がかりで、漏(も)らない樽ができた」


「四年だ」と、もう片割れ。


「誰の話だと思ってるんだい」


「樽の話だろう。組んだのは俺の手だ」


 車座がどっと笑った。

婆さんが筆の尻で長卓(ちょうたく)を二度叩く。


「はいはい、ふたりまとめてだよ。聞いたよ」


「聞いた、聞いた」


 車座が声を揃えて、樽の話はそれでお開きになった。


 たかが樽ひとつの話で、それも四年か三年かさえ定まらない。

それでも語った当人の顔は灯を近づけたみたいに明るくなって、双子は肩まで並べて白湯(さゆ)を干した。


 男が隣で小さく訊(き)いた。


「……今のは、何かの儀式かい?」


「儀式じゃない。ただの語りの席さ」


 婆さんが筆を置いて、男に向き直った。


「夜の席で、自分の話をひとつ語って、聞いた者が証人(しょうにん)に立つ。

それだけの席だよ。

ここじゃ、自分の話は自分で語っとかないと、薄れるんでね。

さ、新顔さん、あんたの番だ」


 川漁師が横から言い添えた。


「湯呑みに名前を書くのは、その支度だよ」


 男は律儀(りちぎ)に立ち上がりかけて、婆さんに袖を引かれた。


「座って語るんだよ。見世物じゃないんだから」


「……勝手が違うな、どうも」


 座り直して、男は語り出した。


「じゃあ、とっておきだ。鬼退治の――」


 言い終わる前に、婆さんが割って入った。


「あんたの話だよ」


「だからさ。鬼退治のときの話よ。

まずは砦(とりで)の門だ。鬼の砦(とりで)ってのは、山ひとつが丸ごと壁なんだぜ」


 男の口はそこから勢いづいた。

その門を英雄様がどう破ったか、握り飯がどれほど旨かったか、立て板に水で語っていく。

車座も半分は乗せられて笑っていた。


「極めつけが弓さ。伏兵の潜んだ藪(やぶ)だけ、必ず先に射抜(いぬ)く。

あればっかりは種も仕掛けも分からない」


 こっちは、笑いそこねた。


 語りの中で矢を放っているのは英雄様なのに、藪(やぶ)のくだりにかかった一瞬、男の首が風を探すようにすっと傾いた。


 ――獣を座らせた夜と、おなじ横顔だ。


 そして男の左肩の上。

貼りものの端が、風もないのに、ふわりと浮いた。


 婆さんが筆の尻でこつんと長卓(ちょうたく)を叩いた。


「面白かったよ。でもね新顔さん、それは英雄様の話だ。

ここで語るのは、あんたの話。

鬼退治の中の、あんたの話でもいいんだよ」


 男の口が、開いたまま止まった。


 昨夜(ゆうべ)と同じ止まり方だった。

砦(とりで)の門ならあんなに滑らかに転がり出る口から何ひとつ出てこないまま、視線が白湯(さゆ)の中へ落ちていく。


 車座は誰ひとり急かさず、湯呑みを膝もとへ置いた。

責める沈黙じゃなく、待つ沈黙だ。

樽ひとつの話を待てる連中は、いくらでも待つ。


 なのに待たれるほど、男の肩は縮んでいく。

灯の油だけが静かに減っていった。


 沈黙が長卓(ちょうたく)に積もっていく。

だから、口を挟んだ。


「立派な家来じゃないか、あんたは」


 偽りのない一言のつもりで言った。

吠(ほ)える係で、獣をなだめて、道を読む。

英雄譚(たん)の端にだって、この男の居場所はちゃんとある。

それを本人の手に載せてやれば、そこから自分の話を語り出せるだろうと踏んでいた。


 だが届かなかった。


 一言は、男の貼りものの上をするりと滑っていく。

油紙に水を垂らしたときと同じで、弾かれたあとには染みひとつ残らない。


「……ありがとうよ」


 男は礼まで言った。

声だけは笑っていて、貼りものはぴくりとも動かなかった。


 礼を言われると、かえって堪(こた)える。


 車座の話は、もうほかへ移っていた。

男も皆と声を合わせて笑っている。

その横顔を、もう一拍見た。


 藪(やぶ)のくだりではすっと傾いた首が、笑い声の切れ目ごとに、少しずつ前へ落ちていく。

目が手もとの湯呑みへ下りて、白湯(さゆ)の面で止まった。

笑い声がまた上がっても、その顔は上がってこなかった。


 それから、懐から商売道具の帳面を出した。

拾った人のどこが欠けてどこが綻(ほころ)んでいるかを、ここに書き留めておく。


 開くのは、いつも前からだ。


 後ろの数枚だけは、別に取ってある。

墨の濃さのまちまちな、一行きりの書きつけが並んでいる。

人の名も土地の名も、そこには書いていない。

書けなかったのか、書かずに済ませたのか、それも思い出せない。


 ここしばらく、後ろの頁(ページ)は増えていない。


 前のほうに、こう書いた。


 〈本人が本人を語らない。どの話も、真ん中にいるのは他人〉


 〈動いたのは、伏兵の藪(やぶ)の一箇所きり〉


 〈宛名が違うのか。貼りものに宛てた言葉は、貼りものが受け取る〉


 書きながら、嫌な符合に気づいていた。

英雄譚(たん)がいちばん綺麗に流れる一箇所で、貼りものの端が浮く。

帰り道で男が教えた言葉を借りるなら――そこで筋が食い違ってる。

その下から、崩れる。


 断層(・・)、と書き足しておく。


 顔を上げると、婆さんが男の湯呑みに白湯(さゆ)を注ぎ足そうとして、首をかしげていた。

中身は注がれたときの高さのまま、減っていなかった。


 宛名の違う言葉は、落とし物になる。


 立派な家来じゃないか――あの一言は、まだ誰にも拾われないまま、床のどこかに落ちている。


 藪(やぶ)の話だけは、まだ床へ落ちていない。

【今日の一物 帳面】

 回収屋の帳面は、いつも前のページから開く。

後ろの数枚だけは別に取ってあり、そこには人の名も土地の名も書かれていない。

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