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預かりもの 〜拾って、磨いて、返す、辺獄の回収屋〜  作者: ウォーレン・コールドウェル
第三章 音は災いの元

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並べ直した者

――風の便り

「じょうの爺さまの家、ゆうべは夜通し灯が点(つ)いてたよ。何を話してたんだかねえ」

「昼にね、きのう音を鳴らしてたお人が、自分の足で石の前まで来て、あの日のことを話しだしたんだ」

「まりさんなんか、布に針を刺したまんま、縫うのを忘れちまってさ」

「ゆうごさんが『あの日』の話をするたび、みんなで笑ってたろう。……あれ、ほんとの話だったんだってさ」

「いま聞いたとおりだ。

この男は、子らを連れて行ったんじゃねえ」


 じょうの爺さまはそう言いながら石の前まで来ると、胸に抱えていた束を石の上へ置いた。

昼過ぎの広場で、市の台に品を並べる手も、銭を受け取る手も、どれも止まっている。


「……あの刻(とき)に口を閉じとかなかったのは、わしらのほうだ。

それを報いだと語って、この男ひとりに背負わせてきた」


 青菜の者が持ち上げていた一束を筵(むしろ)へ下ろした。

誰も口を開かない。


 まりさんが、針を刺したままの布を膝に置いて訊(き)いた。


「……爺さま。

それは幾代(いくよ)も前の話だろう。

その当人が、なんで二人とも、いまここに居るんだい」


 じょうの爺さまは答えずにゆうごのほうを見た。


 ゆうごは石の縁(ふち)に手を置いたまま、しばらく黙っていた。


「……町が、町があの話を語ってきたからだ」


 ゆうごは石の上の束へ目を落とした。


「町の者は、生まれて、年をとって、代わっていく。

俺は、いつからか、この顔のままだ」


 広場の誰も、もう笑わなかった。


「……あの話が語られとるうちは、話に出てくる者は居なくなりゃせん」


 ゆうごは石の前に立つ男へ目をやった。


「この人は、子らを連れて行った男として、ずっと語られてきた。

子らは、連れて行かれたと語られとる。

……だから、子らはこの町へ帰ってこれんのかもしれん」


 石の縁(ふち)から手を離して、ゆうごはその掌(てのひら)を見た。


「俺のほうは、町の言い伝えにゃ出てこん。

それでも、ここに居る。

どこかで、まだ誰かが俺のことを語っとるんだろう」


 ゆうごは、引きずるほうの膝を一度さすった。


「……けど、名も呼ばれんで、自分のじゃねえ話ばかり語られとると、だんだん中身が抜けていく。

……きのう受け止めたこの人には、ほとんど重さが無かった」


 まりさんはそれ以上は訊(き)かなかった。


 ――楽々森彦(ささもりひこ)もそうだったな。


 鬼退治の昔語りに出てくる家来で、いまもどこかで荷を背負って歩いている。

山で担いだときも、肩の上で重さばかりが逃げていった。


 男の顔の上の一枚を、もう一度視た。

町が幾代(いくよ)も語ってきた、子らを連れて行った者の顔だ。


 じょうの爺さまは持ってきた白い紙を一枚、石の上に広げて書きはじめた。

いま聞いた二人の話を、聞いたとおりに書いていく。

唇が、声にならないまま字をなぞっていた。

手は、途中で一度も休まない。


 書き終えると、束のいちばん上から字の褪(あ)せた一枚を取った。

潰(つぶ)された書き出しの脇へ、きのう広場で当人が名乗った名を書き入れる。

その一枚は、束のいちばん下へ戻した。


 それから何も書いていない紙を一枚、束の中ほどへ差し入れた。

きのう石の上に並べ直したとき、一枚ぶんの隙が空いた所だ。

手は、そこを迷わずに探り当てた。


「この何も書いとらん一枚は、子らの分だ。

どこへ行ったか分かる日まで、何も書かずに挟んどく」


 ゆうごの手が伸びて、白い紙の端を指でそろえた。


「……最後に見たのは、音のほうへ走ってく背中だった」


 それだけ言って、紙がずれないよう指で押さえている。


 ゆうごの手が離れるのを待って、じょうの爺さまは書いたばかりの紙を束のいちばん上に載せた。

紐を掛け直し、結び目を固く締める。

ばらけていた紙が、石の上でひとつにまとまった。


 じょうの爺さまは束から手を離すと、男のほうへ向き直った。


「……長いこと、すまんかった」


 深く頭を下げて、顔を上げないまま続ける。


「あの刻(とき)の決まりは、やめん。

黙っとるだけじゃ、物音一つで寄ってくる。

今年みてえにな。

……来年から、また外れで鳴らしてくれるか。

わしらは、約束を知って、黙っとく」


 広場のあちこちで交わされていたひそひそ声が、端から一つずつ消えていった。

誰に言われたのでもない。


 男はしばらく石の彫りを見ていたが、やがて石を囲む顔をひとつずつ見回した。


「……きのうは、町が黙ってた。

だから、俺の音が届いた。

……届いたのは、あの日から初めてだ」


 年に一度の決まりの日でもないのに「戸を閉めときな」と言ったのも、じょうの爺さまだった。

きのうの夕方、屋根の向こうのあの一枚は、この男の音のあとについていった。


 ――音が届いて、それで名乗ったのか。


 男が、じょうの爺さまに小さく頷(うなず)いた。


 まりさんが台の端から蒸かした芋を一つ取って、石のそばまで来た。


「あの男――」


 言いかけて、まりさんは口をつぐんだ。

町ではずっと、そう呼んできたのだ。


「……アルノ。

冷めないうちに、お食べ」


 まりさんは、男の、笛を握っていないほうの手を取って、芋をその掌(てのひら)に載せた。


 男は、芋を載せた手をしばらく下ろさなかった。

それから、温みを逃がさないように懐へ入れた。


 その顔の上の一枚が、端のほうから欠けはじめた。


 欠けた端は、石畳(いしだたみ)に届く前に消えていく。

欠けはゆっくりと額の際(きわ)まで来て、細い一筋を残して止まった。


 男の膝が、がくりと沈んだ。


 ゆうごが横から腕を取る。


 今度は、手が浮かなかった。

受け止めたゆうごの肩のほうが沈んで、引きずる足が石畳(いしだたみ)を踏んばる。


「……重てえ」


 ゆうごの声が、途中で笑うように崩れた。


「やっと、追いついた」


 男はゆうごの腕に体を預けたまま、笛を持っていないほうの手を上げた。

さっきゆうごの指の手前で止まった手が、今度はその頭に載った。


 ゆうごはうつむいたまま、顔を上げない。

肩だけが、小さく震えている。


 誰も声を上げなかった。


 ゆうごが一度、足を踏み直して、男を抱え直す。

頭に載った手は、そのまま離れない。


 しばらくして、男はゆうごの腕から体を起こした。

石畳(いしだたみ)を一度踏みしめてから、広場の端まで歩いて、ひと山の布を両腕に抱え上げる。

端からたたみながら、外れへ続く通りへ入っていった。


 ゆうごはその背を目で追わずに、石の上の束を黙って見ている。


 じょうの爺さまの指が彫りの真上の角に載って、いつものように撫(な)ではじめた。


 男の顔の上の一枚が欠けたのを視たのは、輪の外にいるこっちだけだ。


 拳(こぶし)の内で、あの夕方の傷がうずいた。

右の手を、いつのまにかまた握り込んでいる。


 決まりの日の夕方に石を打ったのは、こっちもだ。

けれど今日は、町が自分たちの話を並べ直している。

よそ者の話を挟む日じゃない。

言うなら、本人にだ。


 訊(き)きたいことも一つ残っている。

音のほうへ走っていった子らの背中が、ゆうごの話を聞いてから目の奥に残って離れない。

あの子らは、いまどこにいるのか。


 それも口にはしなかった。

訊(き)けば、この人たちは無い答えまで探してしまう。


 角を撫(な)でる手を止めずに、じょうの爺さまが一度だけこっちを見た。

頷(うなず)きを返して、荷を背負い直した。


「もう発(た)つのかい」


 台へ戻ったまりさんが、布を手にこっちを見ていた。

目もとが、まだ少し赤い。


「ああ。

世話になった。芋も、うまかった」


「また通りかかったら、寄っとくれ。

今度は、戸の一枚くらい貸してやるからさ」


 ――戸を背負って歩く段取りまで、考えておかないとな。


 まりさんは目を細めて、刺したままだった針を持ち直した。

止まっていた縫い目の続きを、もう縫いはじめている。


 広場を出る手前で、一度だけ振り返った。


 市の音が一つずつ戻ってきている。

青菜の束が筵(むしろ)に積み直され、どこかの台で客を呼ぶ声が上がった。

石の上の束のそばには、ゆうごがまだ立っている。


 背を向けて、通りへ入った。

軒を一つ過ぎるごとに、広場のざわめきが小さくなっていく。

昼過ぎの日が軒の端から斜めに差して、石畳(いしだたみ)に細い影を落としていた。


 通りは、市へ向かう者と市から戻る者とで行き違っている。

籠(かご)を背負った者に道を譲って、軒下を潜(くぐ)るように歩いた。

どこかの戸口で、鍋を叩いて子を呼んでいる。


 通りを抜けるあいだ、背中のほうで話す声がしていた。


「じょうの爺さまがさ、石の上で紙を並べ直して……」


 少し先の戸口でも、誰かが話している。


「石の紙を並べ直した者が……」


 話はそこで途切れて、荷車の音に紛れた。


 来たときの道を、町の外れまで歩いた。

石畳(いしだたみ)が切れて、道の両側がまた畝(うね)になる。


 畝(うね)のあいだの道を、いくらも行かないうちに足が止まった。


 道から少し入ったところに、畑になっていない土地がある。

まわりには畝(うね)が通っているのに、そこだけは平らな土のままだ。


 その土地の端で、男が草を抜いていた。

根に土の付いた草をひとつかみ脇へ置くと、そのまま腰を下ろす。

膝を立てて、その上で手を組んだ。

組んだ手の中には、ゆうべ灯の下で見た笛があるのだろう。


 膝の横には、たたんだ布が厚く重ねてある。

その上に、まりさんの芋が載っていた。


 ――毎年あの刻(とき)に音を鳴らしていたのは、ここか。


 少し先の道の脇に、日づけばかり彫った石が見えた。

目をやると、男もこっちの目の先を追った。


「……あれは、俺が彫った。

毎年、あの日にな」


 それだけ言うと、顔を畑の先へ戻した。


 その顔の向くほうを、目で辿(たど)った。


 畑のずっと先の空の低いところに、載せる顔を持たないあの一枚が視えた。


 よそへ目をやって戻しても、同じ所に視える。

きのう音について町を出ていったきり、音の止んだ畑の先に留まっているのだ。


「……子らが居なくなったのも、あっちだ」


 男は、畑の先へ顔を向けたまま言った。


 あの日の子らも、音について町を出ていった。

子らを連れて行ったのも、あの一枚なのかもしれない。

どこへ連れて行ったのかも、何なのかも、まだ分からない。


 荷の紐を握り直して、男のほうへ一歩寄った。

口を開く前に、一度だけ息を吸い直した。


「決まりの日の夕方、広場で小石を打ち鳴らしたのは、こっちだ」


 男は畑の先へ顔を向けたまま、しばらく黙っていた。


「……そうか」


 それきりだった。

咎(とが)める響きも、許す響きも無い。


 男が、こっちへ顔を向けた。

額の際(きわ)には、細い一筋が残ったままだ。


 その一筋は、町の外の分だろう。

よその土地では、この話はまだ前のまま語られている。


「……行くのか」


 頷(うなず)きだけを返した。


 男はそれ以上は訊(き)かず、顔を畑の先へ戻した。


 風が通ると、乾いた土がひとすじ流れて、また止まる。


 こっちは荷の紐を握ったまま、男の膝の横の布と、平らな土に目をやった。


 布にも、土にも、触れなかった。


 そのまま歩き出した。

途中で振り返ると、畑の先のあの一枚はさっきと同じところに視えた。

男は膝の上に笛を出して、黒ずんだ所を親指でなぞっていた。


  ◇


 川までは下りが続く。

来たときと同じ、膝までの浅瀬を選んで渡った。

水は行きより濁っていた。


 向こう岸で足を拭き、上りにかかる手前で荷を下ろして帳面を出した。


 今日は、後ろから開いていた。

いつもは前から開く。


 前のほうへ繰(く)って、広場の紙束から写した一行を出す。

頭の欠けた紙に、こっちが字を足して写した。


 〈音を鳴らしているあいだは、動く。止めれば、止まる〉


 足したのは、「音を鳴らして」と「止まる」だ。


 その二つに、一本ずつ線を引いた。

こっちの見立てで埋めた所は、欠けたままに戻しておく。


 後ろへ繰(く)り戻して、さっき開いた頁(ページ)に指を置いた。


 広場で見た針が、目に浮かんだ。

話に聞き入ったまりさんが、布に刺したまま忘れていた針だ。

あの針は、もう縫い目の続きへ戻っていった。

こっちには、まだ刺したままの針が一本ある。

子らの行き先だ。


 そこへ、一行だけ書いた。


 〈刺したままの針を、抜かずにおく〉


 書き終えて閉じても、帳面が平らにならない。

綴(と)じ紐を締め直してみたが、締めたところだけが細くなって、その下が余計に膨らんだ。


 ――こいつは一度、紙の分かる者に見てもらったほうがいいか。


 綴(と)じ紐をまたゆるめて、帳面を荷へ戻した。


  ◇


 窪(くぼ)みへ下りる道に入ったのは、日が傾いてからだった。


 踏み跡だけが、いくつも戸口へ向かっている。


 戸を潜(くぐ)って板の間へ上がり、荷を隅に下ろした。


 語り部はもう居なかった。

足で稼ぐ商売のことだ、もう次の土地へ発(た)ったのだろう。


 寝る前に、奥の列をもう一度だけ見に行った。

温羅(うら)と楽々森彦(ささもりひこ)の名が背に並んでいた列だ。


 灯の届くほうを選っ(よっ)て奥へ入る。

背の字が、読めるものに変わっていく。


 その列まで来ると、前に来たときには無かった本が一冊並んでいた。

背の色はまだ新しいのに、隣とのあいだに隙もなく、ずっと前からそこにあったように収まっている。


 背の字を、端から読んだ。


「……アルノ」


 広場で、まりさんが呼び直した名だ。


 この列で名を知っている二冊は、どちらも顔の上の一枚が落ちるのをこの目で見た者の本だ。

男の一枚が欠けるのも、きょう見た。


 手は、伸ばさなかった。

中身なら、本人の口から聞いている。


 しばらく、その背の前に立っていた。

灯が背の字の上で細く揺れる。


 名の主は、いまも町の外れに座っている。

――遠い国にも、よう似た言い伝えがあってね。払いを惜しんだ町から、子らが笛の音について出ていったきりの話さ。

向こうでも、悪者は笛を吹いた男のほうと決まっとる。

……この先は、いつもなら言えん。決まりでね。

ただ、言い伝えというのは、並べ直すと、たまに向きが変わるもんさ。

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