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預かりもの 〜拾って、磨いて、返す、辺獄の回収屋〜  作者: ウォーレン・コールドウェル
第三章 音は災いの元

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合わん

――風の便り

「あの人、今月もひと月ぶりに、丘の棚へ出かけてったよ」

「手ぶらで出てって、手ぶらで帰ってくる。それをもう、ずうっとだよ」

「町の昔の話の写しを、もう十七も見つけたんだってさ」

「なのに、書いてあることは、どれも同じなんだと」

「同じなら、それが本当なんだろうにねえ。何が気に入らないんだか」

 男は棚の列を端まで見終えると、隣の列へは入らなかった。


 屋根の継ぎ目から落ちる光が、細く斜めに差している。


 最後の一冊を棚へ差し戻してから、見終えた列をもう一度だけ端から端まで目で追う。


 それから来たときと同じ手ぶらのまま表へ向かい、上がり口で履きものをつっかけて土間へ下りた。

戸口で一度足が止まったが、振り返りはしなかった。


「町へ帰る。道なりに下って、川を渡った先だ」


 それだけ言って男は出ていった。

ひと月にいっぺん、その町から通ってくるのだろう。

こっちから訊(き)いてもいないのに、道筋だけを置いていった。


 ――律儀(りちぎ)なのは、どっちだか。


 後を追って並んで歩くほどの用は、こっちには無い。

ただ、帰っていく先くらいはこの目で確かめたくなった。

写された何かがあるとしたら、まずはあの町だろう。


 とはいえ今から出れば、道の途中で日が暮れる。

知らない土地の夜道で迷えば、町に着くのはかえって遅くなる。

もう一晩、棚のあいだに泊まることにした。


 明くる朝、上がり口で草鞋(わらじ)を履いて表へ出た。


  ◇


 窪(くぼ)みを上がって尾根(おね)を越え、道なりに下っていった。


 下るにつれて、道の両側にまた畑が見えはじめた。

畝(うね)の向きは、来た道で見たどれとも違う。


 川の手前の湿った土に、足跡が一筋水のほうへ続いていた。

向こう岸の際(きわ)にも続きがあるから、昨日の男のものだろう。


 川は膝までの深さで流れも緩く、底の石まで見えた。

水は冷たいが、足を取られるほどではない。

渡りきると、道はそのまま先へ続いていた。


 日が傾きはじめるころ、道の先に屋根が見えてきた。

これまで通ってきたどの里よりも数が多く、あの棚の窪(くぼ)みとは違う平らな土地に広がっている。


 町へ入る少し手前で、道の脇に人が一人立っていた。

どこかへ行く途中には見えない。

町へ入るでもなく出るでもなく、ただそこにいる。

履きものには、土も付いていなかった。


 顔の上に、貼りものが一枚載っている。


 両手で胸に抱えているのは、布を巻いた細長いものだ。

何度も巻き直したのだろう、端がほつれている。


 そばを通るときに顔を見たが、向こうはこっちへ目も向けない。


 行き過ぎてから足を止めた。

声が届くかどうかだけでも、確かめておきたい。


「町は、この先か」


 顔の上の一枚は、揺れもしない。


 ――聞こえていないのか、答える気がないのか。


 頼まれてもいない一枚に、こっちから手を出すわけにはいかない。

顔の上の一枚と、抱えた布のほつれだけを覚えておいて、また歩き出した。


 少し先の道端に、石が一つ立っている。

名は無く、同じ日づけだけが数え切れないほど重ねて彫ってあった。

どれも、同じ彫り手が刻んだように見える。


 足を止めてしばらく眺め、それから石の脇を過ぎた。


 しばらく歩いて振り返ると、道の脇にはもう誰も居なかった。

来た道を戻るときには、また会うこともあるだろう。


  ◇


 道は、そのまま町の通りになった。

人が三人並んで歩けるほどの幅がある。


 戸口の前を掃く音がして、荷を運ぶ者が行き交う。

井戸の端には桶を提(さ)げた者が集まり、屋根のあいだに煮炊きの煙が立っている。

あちこちで呼び交わす声がした。


 すれ違うたびに顔を見たが、どの顔にも貼りものは載っていない。

どれも、素顔だ。


 ふと顔を上げて、家並みの屋根を見渡した。

広場のほうの屋根の上、すれすれの低さに、貼りものが一枚、浮いている。

風もないのに、端だけがひらひらと揺れている。

遠目には、大きさも形も定まらない。

人の頭越しに、それだけが視えた。


 これまで視てきた一枚は、顔の上に載るか、顔そのものを支えていた。

あの下にも、誰かいるはずだった。


 だが、その一枚を載せている顔が、無い。

どこにも見えない。

どういう理屈でそうなるのか、さっぱりだ。


 足がそっちへ向きかけたが、訊(き)く相手の顔が無い。


 ――これじゃ、話の聞きようもないな。


 あの一枚のことは覚えておくことにして、足を戻し、そのまま通りを歩いた。


  ◇


 やがて、広場に出た。

真ん中に上の平らな石がひとつ置いてある。

高さは腰ほどで、彫ってあるのは日づけと刻(とき)、それだけだ。

幾つもの手に撫(な)でられてきたのか、角が丸くなっていた。


 年寄りが一人、その角を撫(な)でていた。

指の腹が石の形を憶(おぼ)えているらしく、目をやらなくても手はひとりでに角を撫(な)でている。

その手のまま、年寄りがこっちを見た。

目が合ったので、石の日づけを指して訊(き)いた。


「ひとつ、訊(き)きたい。それは、何の日だ」


 年寄りは同じ角をもう一度撫(な)でてから、口を開いた。


「幾代(いくよ)も前から、伝わってる話だ。

あの男が、音で子らを連れて行った。

町が、約束のものを渡さなかったから。

その報いだ、と」


 話すあいだも、撫(な)でる手は止まらない。


 勝手口から、女が顔を出した。

濡れた布を手にしている。


「じょうの爺さま、よそから来たお人にまで、聞かせてるのかい」


 じょうの爺さまと呼ばれた年寄りは、黙って顎(あご)を引いた。


 布を絞りながら、女もこっちへ顔を向けた。


「あたしは、こう聞いてるよ。

町が、約束のものを渡さなかった。

それで、あの男が子らを連れて行った、そして、消えた」


 天秤棒(てんびんぼう)を担いだ若い衆が一人そこで足を止めた。

両端の籠(かご)は空だ。


「まりさん、どう言ったって、町が約束のもんを渡さなかった報いだ。それだけだ」


 まりと呼ばれた女は、肩をすくめただけで何も言い足さなかった。


 話を聞きながら目を一度だけ屋根のほうへ上げた。

あの一枚は、さっきと同じ所に浮いている。


 言い方はそれぞれでも、芯は同じだった。

約束を違え(たがえ)た、その報い。


 ――同じ話を、三つの口から聞いたことになるな。


 広場の端を、男が通った。

〈万(よろず)の棚〉で会った男だ。

片方の足を少しかばう歩き方は棚で見たときのままだった。


 年寄りの手が止まった。

女は布を持つ手を宙で止め、若い衆は担いだ肩の向きを変えない。


 年寄りが顔だけを男のほうへ向けた。


「ゆうご、今度は合ったか」

「合わん」


 男は石に手を出さず目もくれずに、そのまま通りの奥へ抜けていく。

棚では名を聞きそびれたが、ゆうごというらしい。


 それから年寄りの手がまた石の角に触れた。

女は黙って勝手口の内へ引っ込み、若い衆は空の籠(かご)を鳴らさないように担ぎ直して歩き出した。


「明日の朝は市が立たねえ。

毎年、その日だけは、そうと決まってる」


 年寄りが静かに言う。

愚痴をこぼす声ではなく、毎年のことを今年も口にしただけ、という声だ。


 広場の隅には、市の台が畳んで積んである。

今日のうちに片づけたらしく、掛けてある縄は結び目まできちんと揃っていた。


 通りでは戸口の前を掃く音がひとつ、またひとつとやんでいく。

荷を運んでいた者らの姿も減って、話し声が遠くなった。


「明日は、通りで音を立てるな。

とりわけ、日の傾く刻(とき)はな」


 こっちを見ずに言った。

撫(な)でる手は止まらない。


「……理由は知らねえ。訊(き)かれても、さあ、だ」


 それでも、一度だけ訊(き)いた。


「理由は」

「さあ」


 土地には土地の決まりがあり、わけを知らないまま守っているものもあるのだろう。

その先は訊(き)かずにおいた。


  ◇


 日が落ちる前に、年寄りが家の奥から紐で十字に縛った紙の束を持ってきた。

紐は新しいが、紙は古い。


「よそから来た者には、見せることになってる。

読んだら、ここへ置いとけ」

「読ませてもらう」


 年寄りは束を石の上に置いて、家へ戻った。


 紐を解(ほど)いて捲(めく)っていく。

古いものから順に重ねてあり、いちばん上が新しい。


 幾代(いくよ)ぶんかの手で、同じ一件について書かれている。

長い紙もあればほんの数行の紙もあって、言い方も紙ごとにばらばらだった。


 〈男の鳴らす音に、子らはついて行った〉と書く紙があれば、〈音のするほうへ、子らは歩いていった〉と書く紙もある。

音の出てくる所は紙ごとに違うのに、締めだけは、どの紙も〈約束のものを渡さなかった。報いだ〉と同じだった。


 いちばん古い紙は書き出しの一語が墨で潰(つぶ)してあった。

そのあとはどの紙よりも短く、〈音で子らを連れて行った〉の一行に、あの締めくくりが続くだけだ。


〈約束のものを渡さなかった。報いだ〉


 ところが、一枚だけ、紙が違う。

ほかより薄く、筆の癖も前後のどれとも違っている。

頭が欠けていて、はじめのほうは読めなかった。


 〈……しているあいだは、動く。止めれば、……〉


 名も場所も無い。

ほかの紙はどれも締めくくりまで書いてあるのに、この一枚だけはそこまで行かずに切れている。


 荷から帳面を出した。

開くのは、いつも前からだ。

何枚かめくったところで、筆を持つ手が止まった。


 ――これを書けば、紙に無い一行を、こっちが足すことになる。


 ただ、紙束のどの紙にも音が出てきた。

欠けた頭に入るものがあるとしたら、まずそれだろう。

決めたわけではない。

確かめるまでの仮の一行として、欠けた頭に〈音を鳴らして〉、切れた終い(しまい)に〈止まる〉を入れて書いた。


 〈音を鳴らしているあいだは、動く。止めれば、止まる〉


 紙には、そこまで書いていない。

入れたのは、こっちだ。


 束を縛り直して、石の上へ戻した。

紐は解(ほど)く前と同じ結び方にしておいた。


  ◇


 日が落ちきらないうちに、通りの戸が端から順に閉まっていった。

誰も声を掛け合わないまま、決まった手つきで閉めていく。

戸の閉まる音が、ひとつずつ遠ざかっていった。


 通りから人が引いた。

広場に残ったのは、紙束を載せた石と、畳んだ台と、こっちだけだ。


 石の角に、手を置いてみる。

日のぬくもりが、まだ伝わってくる。

角は、掌(てのひら)になじむ形に、すり減っている。


 誰も、理由を言わなかった。


 明日は、まだ来ていない。

――「合わん」というのは、便利な言葉でね。

割に合わん、性(しょう)に合わん、口に合わん。

何に比べて合わんのかは、言った当人しか知らん。

聞かされたほうは、黙ってうなずいておくのが、まあ、礼儀かね。

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