↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
預かりもの 〜拾って、磨いて、返す、辺獄の回収屋〜  作者: ウォーレン・コールドウェル
第三章 音は災いの元

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/36

報せを運ぶ役

――風の便り

「楫(かじ)が戸を一軒ずつ叩いて回っとった。石の婆さんの名を知らんか、って」

「日暮れにまた来てな。トモだった、と言うて回るんよ。……そうだ、トモだった」

「夜は水の際(きわ)に火が立ってな。源(げん)さんが薪を抱えて出てったのには、たまげたよ」

「よそ者は朝のうちに坂を上がってったそうな。断られた家の戸口に、流木を積んでね」

 浜から坂を上がりきると、火はまだ残っていた。


 楽々森彦(ささもりひこ)が鍋の底の粟(あわ)を椀(わん)へ空けている。

ひとつは自分の前へ、ひとつはこっちの前へ置いた。


「発(た)つんだろ」

「ああ」

「なら、まずは食ってからだ」


 湯気の立つうちに食った。

この男がこのあとどうするのか、訊(き)くのはやめておいた。


 ――来いとも来るなとも、こっちからは言えないな。


 男のほうも、何も言わない。


 椀(わん)は、洗って伏せた。

この坂の上で伏せるのは、これで仕舞(しま)いになる。


 それから、二人で火を消した。

今日まで焚(た)き続けた火は、消えるときは一瞬だった。


 平たい岩には控えの薪が残っている。

使い切らないぶんは、ここへ置いていくことになる。

鍋は、借りた家へ返す手はずがついている、と男は言う。


 荷をまとめにかかったところへ、坂の下から足音が上がってきた。


 軽い足音だった。

石の多い道なのに、ひとつも石が鳴らない。


 女がひとり、消えたばかりの火のそばまで来た。

頭巾(ずきん)を目深(まぶか)にかぶっていて、顔は見えない。

草鞋(わらじ)は擦(す)り切れて、鼻緒(はなお)が結び直してあった。

それだけ歩いてきたのに、息は切れず、荷は驚くほど小さい。

年の頃も、見て取れない。


 女は挨拶より先に、平たい岩の空いた端へひょいと上がった。


 背を伸ばして、浜から沖までをひと目に見渡す。

岩の上では、旅の女というより見張りに見えた。


 あの町の長卓(ちょうたく)で、楽々森彦(ささもりひこ)が語って聞かせた癖を思い出す。


 男が荷をまとめる手を止めて、女を見上げた。


「――高いとこが好きなのは、変わらねえな」


「あんた、雉(きじ)の姐(ねえ)さんだね」

「覚えてたね」


 女は頭巾(ずきん)を後ろへ落とした。


「あんたの炊く飯の匂いも、変わらないね」

「きびだんごは、もう出ねえぜ」

「よしとくれ。

ひとつ食うと、水が三杯いるんだ」


 言ったあとで、女の口の端がちょっと上がった。


「……二つ、もらったけどね。あのときは」

「三つだ」

「二つだよ」


 楽々森彦(ささもりひこ)が指を三本立てた。


「三つだったろ。数える役は俺だ。

数だけは憶(おぼ)えてる」

「……二度は言わないよ。二つだ」

「いま、二度言った(・・・・・)ぜ」

「……三つ食ったのは、あんただろ」


 男が笑い、女も笑った。


 英雄様にきびだんごをもらって、鬼退治に出たころの話らしい。

こっちには、どこが可笑(おか)しいのかが分からない。


 女のほうが先に笑いをやめて、岩の上で楽々森彦(ささもりひこ)のほうへ体を向け直した。


「ずいぶん探したよ。山をふたつは越えた。

……報(しら)せだ。里が、あんたを呼んでる」

「里が?」

「里の橋だよ。大水で傷んでね。

直しの音頭を取れる者を探してる。

そこで、あんたの名が出た。

名指しだよ、楽々森彦(ささもりひこ)」


 名を、呼ばれた。

祠(ほこら)の字を彫り直しに戻った、あの里から。


 男はすぐには答えなかった。

火の跡を見て、それから自分の膝を見た。


「……俺を、名指しでかい」

「二度は言わないよ」


 さっきと、同じ言葉だった。

声だけが違った。


「行くのかい、行かないのかい」

「行くさ」


 即答だった。

膝より先に、声が立ち上がっていた。


 話が決まると、楽々森彦(ささもりひこ)はこっちの荷へ目を移した。


「それで、あんたは、どっちだ」

「まっすぐだ。ただ、行き先は決まってない」

「決まってねえのかい」

「山で借りてきた書きつけの、元を探す。

だが、それがどこにあるのかが分からん」


 岩の上から、女が聞き咎(とが)めた。


「元?」

「どれも写しだ。

元がどこにあるのかは、一枚も書いてない」

「……ああ、それなら」


 考えるより早く、女の口から答えが出てきた。

報(しら)せを運ぶだけあって、口も速い。


「〈万(よろず)の棚〉だね。

行き場のなくなった書きつけは、しまいにそこへ流れ着くって話さ。

……あたしも見たことはないが。

そう呼ばれてる、というだけだよ」

「どこにある」

「この道を、ずっとだ。歩けば着く。

歩かなきゃ着かない」


 横で、楽々森彦(ささもりひこ)が口を挟んだ。


「姐(ねえ)さんの報(しら)せは、外れたことがねえ。

……俺の知るかぎりでは、だがな」


 女は答えなかった。

かわりに、岩から下りた。


 岩を下りると、ただの旅の女に見える。


「駄賃はいらないよ。報(しら)せを運ぶのが性分(しょうぶん)でね。

……ひとつ、置いてっただけさ」


 いつか、長卓(ちょうたく)の婆さんが同じ話をしていた。

忘れられた書きつけを集めている先がどこかに一つあるらしい、と。


 これで二人から聞いたことになる。

どちらも、見たとは言わなかった。


 ――見た者がいないなら、こっちが見に行けばいい。


「……助かる。その道で、間違いないんだな」

「二度は言わないよ」


 楽々森彦(ささもりひこ)が荷を背負い直す。


 その左肩の上では、剥(は)がれきらなかった貼りものの薄い一筋が、今日も消えていない。


 それから男は、平たい岩の前にしゃがんだ。

控えの薪を一本ずつ確かめて、乾いたのだけを抜き出す。

細く割り直して麻紐で縛った。

手つきに迷いが無い。


 できた束を、こっちの手の届く草の上へ置く。

手渡しはしない。


 こっちの癖を、この男はいつからか真似ている。


「濡れた枝じゃ、火は起きねえからな」

「ああ。大事に使わせてもらう」

「じゃあな、回収屋」

「ああ」


 男はまだ何か言いかけたが、言葉は出てこなかった。

かわりに一度、退が(さが)る。


 そこで足が止まって、なかなか背を向けない。


 そのうちに、また岩の前へしゃがんだ。

残りの薪を濡れないように積み直していく。


 こっちが浜にいるあいだ、この男はこうして薪を積んで待っていた。


 今度も、待たせているのは、こっちだ。


「――世話になった」


 男の手が、一度止まる。


「……世話になったのは、俺のほうさ」


 男は、顔を上げずに、最後の一本を載せた。


 こっちは、草の上の束を拾って、荷の底へ入れる。


 三人で、浜を背にして坂を下りた。

石を鳴らすのは、男とこっちの足だけだ。


 下りきったところで、道が分かれていた。

里へ戻る道と、山を越える道と、まっすぐ続く道と。


 楽々森彦(ささもりひこ)が女のほうへ向き直った。


「姐(ねえ)さんは、どこへ」

「あたしかい。報(しら)せのあるほうさ。

……今日のところは、山だね」

「山かい。……高いとこには、事欠かねえな」


 男は短く笑って、しばらく女の顔を見ていた。

それから、名残を振り切って、先に歩きだした。


 その背に、声をかけた。


「達者でな」


 足は止めない。

片手だけが、肩の高さに上がった。


 この坂の上ではじめに掛けられた一言を、坂の下で、やっと返せた。


 男は里へ。女は山へ。

こっちは、道をまっすぐに。


 振り返らない歩き方は、三人とも同じだった。


  ◇


 まっすぐの道は、言われていたとおり長かった。


 三日で、泊めてもらえる家が無くなった。

それからは、道の脇で寝る。


 道々の枝は、どれも湿気(しけ)ていて焚(た)き物にならない。

野宿のはじめの晩に、荷の底の束をほどいた。

乾いたものだけを、楽々森彦(ささもりひこ)が選んでおいてくれていた。

細く割ってあるぶん、火の点(つ)きがいい。


 炊く粟(あわ)は、ひとりぶん。

薪も、ひとりぶんで済む。


 歩いているあいだは、自分の足音しか聞こえない。

日が落ちて火を熾(おこ)すと、こんどは薪の爆(は)ぜる音だけになる。


 どちらの音にも、返事はいらない。


 慣れるのに二日かかった。


 そのうち、日を数えるのもやめた。

数えたところで、着く日が早くなるわけでもない。


 行き合う者は日にひと組あるかないかで、それもだんだん間が空いていく。


 道を訊(き)いても、言葉の訛(なま)りが強くなって、一度では聞き取れないことが増えた。

屋根の葺(ふ)き方が変わり、畑の畝(うね)の向きが変わった。

土地を跨(また)いだ、ということらしい。


 やがて、畑も無くなった。


 すれ違う顔のどれにも、貼りものは載っていない。

語られるような者は、この道を通らないのだろう。


 一度、短い雨に降られた。

荷を木の下へ寄せてやり過ごした。


 雨が上がってから、荷の一番深いところの書きつけを確かめる。


 濡れてはいない。

虫に食われた跡も増えていない。

借りたときのままだ。


 仕舞(しま)い直すついでに、帳面を出す。


 開くのは、前からだ。

後ろのほうは、ずっと別に取ってある。


 めくっていくと、指が後ろの数枚に当たる。

めくらずに閉じた。


 書き足すことは、まだ無い。


 束をほどいて四日目の晩に、焚(た)きつけが無くなった。

そのころには、拾う枝が乾いてきていた。


 道は、まだ続いている。悪くない道だった。


  ◇


 草鞋(わらじ)を幾つ替えたかは、憶(おぼ)えていない。


 発(た)ったころより、日の暮れるのが早い。

同じだけ歩いても、火を熾(おこ)すころにはもう手もとが暗い。


 明け方は、肌寒さで目が覚めるようになった。


 ある日の夕方近く、ずっと平らだった道が気づくと上りに変わっていた。


 上がりきると、目の前が開けた。


 丘の窪(くぼ)みに、屋根があった。


 里の社(やしろ)より大きい。

ほかに建物は無く、田も畑も無い。

窪(くぼ)みの底に、それだけがある。


 一棟には見えない。

建て増しを重ねるうちに、繋(つな)がってしまったらしい。

板葺(いたぶ)きの継ぎ目ごとに、棟(むね)の高さが揃っていない。


 窪(くぼ)みへ下りる道は、こっちの一本だけではなかった。

向かいの斜面からも右手の林の切れ目からも、細い道が幾筋も下りてきて、戸口の前で一本に寄り集まっている。


 これだけ道があるのに、ここからは、歩いている者も、煮炊きの煙も見えない。


 歩けば着く、と女は言っていた。

着いたのは、たぶん、ここだ。


 窪(くぼ)みへの坂を下りた。


 近づいても、静かなままだ。

それなのに、灯は点(つ)いている。


 戸口の脇に、旅の杖(つえ)が二本、立てかけてある。


 二本とも、下のほうが日に焼けて、色が抜けていた。

誰かが置いていったきり、忘れられたらしい。


 戸は、開いていた。

敷居(しきい)に土が溜まって、戸の下が埋もれている。

閉めるなら、まず土をどけるところからだ。


 案内を乞(こ)う相手を探して、あたりを見回す。


「――誰か、いないか」


 返事は無かった。


 間を置いて、もう一度呼んだが同じだった。


 呼ぶ相手の名を、こっちは知らない。

この場所の呼び名を聞いて、ここまで来ただけだ。


 戸口を潜(くぐ)ると、土間だった。

真ん中だけが踏まれて、黒く固まっている。

端のほうは、まだ粒の立った土だ。


 一段上がって、板の間。

上がり口の脇に、帳場(ちょうば)のような台がひとつ。


 草鞋(わらじ)は上がり口で脱いだ。


 その先から、棚がはじまっていた。

天井まで組まれた棚が、通路を挟んで何列も奥へ連なっている。


 高い段の前には、梯子(はしご)が掛けてある。

横木は踏むところだけ色が違っていた。


 通路の先は灯が届かず、どこまで続いているのか、まるで見えなかった。


 本と、紙の束と、板に書かれたものが、棚ごとに詰まっている。

紙と、古い木の匂いがした。


 手前の棚で、背の文字を追ったが、読めない。


 崩し字ではない。虫食いでもない。

字の形そのものが、知っているどれとも違う。


 字というより、模様に見える。

丸い字。角ばかりの字。

右から左へ流れる字。

糸のように繋(つな)がって、一字がどこで切れるのかも見えない字。


 ひと棚では済まない。

その裏も、次の列も、見たこともない字の背で埋まっている。

通路を三つ過ぎても、読める字はひとつも出てこない。


 どれを選んでも同じだろう。

目の高さにあった一冊を抜いて、開いた。


 紙の手ざわりには覚えがある。

墨の色も変わらない。

字は行になって、端から端まで続いていた。


 字だということは分かるが、一文字も意味が分からない。


 一字だけ、指でなぞってみた。

形は追える。それだけだ。


 ――読めないんじゃ、誰の話なのか見当もつかないな。


 閉じて、元の隙間へ戻した。

押し込むと、どこから抜いたのか、もう見分けがつかなかった。


 奥へ進むと、読める字が少しずつ混じりはじめた。


 背の文字を、端から読んでいった。

人の名。土地の名。物の名。

読める列と、読めない列が、代わる代わる現れる。


 どの棚を見ればいいのか、あては無い。


 それでも、端から読んだ。

灯の届く列だけを選んで、行っては戻り、また次の列へ入った。

何列ぶん歩いたのかは、数えていない。


 何列めかに入ったとき、並んだ背のなかに、見知った名が一つあり、足が止まった。


 温羅(うら)。


 二冊おいて、もう一冊。


 楽々森彦(ささもりひこ)。


 英雄様の鬼退治で、討たれた者と、討たせた者だった。


 手が、伸びかける。触れはしない。

背の文字を、もう一度だけ目で追った。


 坂の下で別れた男の名だ。

あの男は、ここでは一冊の本でもあるらしい。


 棚は、奥へ、まだ続いている。

――別れぎわの「達者でな」は、口の達者な者ほど言いそびれるもんでね。

前置きが長くなって、なかなか四文字にたどり着かん。

口の重い者のほうが、すっと言えたりするんだよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。