第11話 白い来訪者
「ただいま……」
未だに言い慣れない言葉。そして、久しぶりに言った言葉だった。
靴を履いたまま廃屋の中に足を踏み入れる。
「おかえりなさい」
ヴァルの声が響く。
荷物を置き、壁際に腰を下ろす。しばらく、何をするでもなく黙っていた。
今日のことを話そうと思った。
店のこと。渚さんのこと。そして――お婆さんのこと。
けれど、どれも口から出てこなかった。
「ヴァルさん」
「はい」
「今朝の練習のやつ、今ならできる気がします」
「……」
ヴァルは、どうぞという仕草をした。
「背は低めで、髪は……黒です。服はTシャツが無地の灰色で、ズボンが無地の緑色です。顔は……年齢よりも老けて見えると思います」
「……見えてきましたね」
……きっと、ヴァルは今、お婆さんと同じように……僕を想像してるのだろう。描いているのだろう。
でもそれは……僕ではない。いや、それでもいいのだ。
チクリと、心が痛んだ。僕は心のなかでヴァルに謝罪した。
ごめんなさい、ヴァルさん。いつか――
「三、これ」
寝ようとしていた僕に、ヴァルが手渡したもの。
歯ブラシ、汗拭きシート、消臭剤。
「この世界ではこれで生活してください」
ヴァルはそう付け加えた。
まぁ、しょうがない。この廃屋じゃ、水道も通っていないだろう。この世界にあるかは知らないが、銭湯にも行けない。
……もしかして、ヴァルがこの世界に行くとなり、嫌そうな顔した理由って、これもあったんじゃ――
「ヴァルさん」
「……」
「すみません」
ヴァルは、何も答えなかった。姿が見えないので、もう寝ていたのかもしれない。
もう一度、ヴァルから渡されたものを眺めた。
……これ、遠回しに臭いと言われているのでは……?
翌朝、店の中。
僕は大きなあくびをした。寝不足だ。昨日は全然寝付けなかった。
「おい!」
渚さんの怒号に、ハッとする。昨日とは違い、がやがやとしている店内。
手を上げている客が複数。遠くで聞こえるお婆さんの声。
厨房へ向かって、料理を受け取り、ホールへ向かう。
ガシャン!
……やってしまった。転んでしまった。
体よりも、渚さんの視線が痛い。
「し、失礼しました!」
急いで拾おうとする僕の背中に、置かれた手。渚さんだった。
「片づけはあたしがやる。あんたは、早くホールに」
「あ、ありが」「いいから、早く!」
いつもの怒鳴り声。なのに、不思議と嫌な感じはしなかった。
僕はホールへ向かった。
ホールに一歩、足を踏み入れる。
「……」
何かがおかしい。
豪快にそばをすすっていた客も、注文を急かしていた客も……静かになっている。
あれほど騒がしかった店内が、静まり返っている。昨日の沈黙とはどこか違う。
何かに……怯えている?
その時、どこかから。チリンと鈴の音。
チリン。
今度は、引き戸の向こうで鈴が鳴った。
恐る恐る、引き戸を開けると――
行列がない。いつもなら引き戸の外まで並んでいる人たちが、一人も。代わりに……白い奇妙な服を身を包んだ人間が、三人。そこに立っていた。
この世界の人々の服装は皆、地味だった。布地の色というのだろうか。全員、ベージュがかった色の服で、この世界の人は色にこだわらないのだと、思っていた。
だからこそ、異様。
目の前にいる、白い奇妙な服の人間たちが。
だけれども、客だ。
「いらっしゃいませ!」
大きな声で話すも、反応はない。
三人とも、まるで僕の声が聞こえていないかのように動かなかった。
ホールに居る客は依然として静か。そんな中ようやく、奇妙な服の一人が動き出す。
僕の目の前。指をさした。少しして、ゴーグルを指さしているのだと理解した。
「それは、なんだ?」




