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つき求め!  作者: kar777
一章:空を彩るもの

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第10話 真っ白なキャンバス

「今日はもう終わるよ。……お疲れ様」

 遠くから澄江さんの声が響き、誰もいないホールで息づく。

 窓の外の暗がりを見つめていると、背後から足音。どんどん近づいてくる。

 振り向くと、渚さん。

「……」

 何か言い出しそうで、何も言わず。僕の横を抜けて外に出ていく。

 ピシャリと戸が閉まる音。ハッとする。

「おつかれさまでした……」

 僕の声は多分、渚さんに聞こえているだろう。耳がいいのだから。

 ……渚さんが返事をしたのか、僕にはわからなかった。

 僕は踵を返し、店の奥へと歩を進めた。


「本当に助かったわ~」

 澄江さんは、未だあの夜の事がなかったかのように振舞っている。その声は、母親の電話口、外面の声を彷彿とさせた。

「……良かったです。じゃあ、お金を」

 手を出した。けれど澄江さんは動かない。

「あの……なにか?」

「少し、時間ある?」

 その声は、あの夜のものだった。

 断れなかった。いや、断りたくなかった。


 案内された場所。それはあの縁側。

 あの夜より静かだった。虫の声だけが、遠く近くに重なっている。

「まぁ、座りな」

 澄江さんは縁側に座り、隣を叩く。僕は少し躊躇したが、断る理由もなく、縁側に腰を下ろした。木の冷たさが体中に伝わってくる。

「あ、あの……」

――空の話をしてはいけない

 ヴァルの声、約束。僕は口を閉じた。

「なんだい?」

 澄江さんが首をかしげる。

「……なんで、ここに連れてきたのかなぁって」

「あぁそれは……少し、話がしたくてね」

 今度は僕が首を傾げる。

 お婆さんは数度、深呼吸をして……ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。

「私が……子供の頃。空には、たくさんの水風船が浮いていると思っていたんだ」


 自然に、ごく普通のように。澄江さんは、この世界の常識を破った。

 それに……その想像は、僕の知る空よりずっと自由だった。

「穴が開いて、水がぽたぽたと落ちてきて。そして風船が割れ、大きな音がする」

「……」

「そんなふうに、私は考えていたんだ。空には私の想像が……楽しさが詰まってたんだ」

 それは禁忌。この世界で許されざる行為。

 ……そのはずなのに。

 お婆さんの顔は、目がなくてもわかるほど楽しげだった。

「でも……」

 お婆さんは小声でそう呟く。

「母親にこの話をして、はたかれたよ。『二度とそんなことを言うな』って」

 お婆さんが空を見上げる。そして続ける。あっけにとられている僕を置いて。

「子供の頃なんて、親が世界で、正解で……だからそれ以来……」

 ……考えないように。忘れるように。

 そうしたのだろう。……その行動は、この世界では正しいのだろう。でも、それは……

 言葉の続きを待つ。

「三君はどうだい。……空に何を感じる?」

「え?」

 澄江さんは言葉を継がずにこちらに問いかけてきた。

 言葉の続きが気になったが、もう話してくれないだろう。

 なぜだか、そんな気がした。

――空に何を感じる?

 ……僕が話せるのは想像じゃない。真実だ。

 空には朝があって、夜があって、雲があって、星があって、そして…月がある。

 言えない。こんなこと。約束を破ってしまう。

 そもそも澄江さんは何でこんな話をしたんだ? 僕がもし、この世界の人間だったら――

 ()()()()()? でもそれにしたって、なんで……

「考えたこと、なかったかい?」

「……はい」

「そうかい」

「でも」

 やっぱり駄目だ。喋れない。でも、せめて……

「話を聞いて、空がもっと素敵なものに思えてきました」

「……そうかい」

 澄江さんの声はどこか、嬉しそうだった。立ち上がって、店に入っていく。

「お金、持ってくるよ」

 そう言い残して。


 店の外は少し、肌寒い。手には封筒。

 道を歩きながら、見上げる夜空。……依然として真っ白。

 でも、お婆さんの水風船やヴァルが語った月が、そこに浮かんでいるような気がした。

「それにしても、水風船か」

 そんなこと、考えもしなかった。

 知っているから。見たことがあるから。

 ……まぁ、つきはまだ見たことがないが。

「見えないからこそ、見える景色があるのかな……」

 白い夜空が、僕を試しているように思えた。

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