第9話 声より先に
「あんた、誰?」
少女の問い、答えることなく僕は戦慄していた。
……そう、少女だからだろうか。お婆さんよりもずっと、のっぺらぼうな部分が大きい。それに、妙に尖っている歯も相まって……
――化け物。
僕が着けているゴーグルの意味を、本当の意味で理解した気がした。
「ちょっと! 聞いてんの?」
強い物言い。けれど感じたのは威圧感ではない。
そう。この少女も、人間なんだ。
顔から視線を落とせば、少しベージュがかった服。デザインとしての色じゃなく、布地本来の色。
思い返せばこの世界の人々の服装は皆、地味だった気がする。
……あれ? そうだよな?
僕は少しの違和感を感じつつ――
「おい!」
怒りを帯びた声に顔を上げた。少女が椅子から勢いよく立ち上がる。
「あ、すみません。僕は――」
言い切る前にお婆さんが間に入る。
「彼は、今日から働いてくれる三君」
今度は僕の方に向き直る。少女を手で指す。
「孫の渚よ」
「……よろしくお願いします」
「……」
今度は、少女が無視をする。かなり怒らせてしまった。
お婆さんが、パンと手を合わせる。多分、この重苦しい空気を変えるため。
「じゃあ、渚は洗い場に行って。三君はホールで注文を取って。あそこに、注文用紙とペンがある」
お婆さんが店の奥に消える。ホールに残ったのは僕と、お婆さんの孫娘……渚。
「《《しかと》》して、すみませんでした!」
未だ残る気まずい空気の中、僕は深く頭を下げた。
「別に気にしてない」
顔を上げると、いつの間にか目の前に、目のない顔。
「でもね」
渚はさらに顔を近づける。のっぺらぼうの顔が視界いっぱいに広がる。
「澄江おばあちゃんを裏切るような真似したら、ぶっ飛ばすから」
渚はそのまま背を向け、奥へと向かっていく。
「おばあちゃーん!」
さっきとはうって変わって、明るい声でそう叫びながら。
引き戸が、わずかに揺れる。その瞬間、店中の空気が変わった気がした。
ガララッ!
引き戸は勢いよく開き、客が流れ込む。
僕がいらっしゃいませを言う時間もないくらいに素早く、満席。
そして、地獄が始まった。
まず……全員の客にお茶の入った湯のみを配ろう。
アツアツの湯飲みを客の前に置く。すると……
「すいません、注文いいですか?」
「え……少々お待ちください!」
急いで注文用紙を取りに戻る。
「すいませんこっちも注文」
「……」
まだ一人にしか湯のみを配れていないのに、そこかしこから注文を呼ぶ声。
「はい、ご注文は?」
――注文用紙に書き込んで、走ってお婆さん……いや、澄江さんのもとに。
そしてまた、ホールに。
「できたよ!」
そんな声が響けばまた、店の奥に……
僕が思ったことはただ一つ。
――人手増やせ!!!
二十分経った。地獄はここから。これまでの流れの中に、”会計”が混ざりだす。
財布を片手に立ち上がる客。追加注文を叫ぶ客。料理の完成を告げる澄江さんの声。遠くで響く鐘。
僕は一瞬、完全に固まった。
どこへ行けばいい? 何を優先すべきだ?
ぐちゃぐちゃの頭に差し込んだのは……ヴァルの言葉だった。
――景色を咀嚼し、情報とする。これ真の“見る”
僕は息を吸った。そして目の前の景色を、飲み込んだ。
体が動く。
「そちら、ざる一つですね」
「はい、すぐ伺います!」
「お会計、どうぞ!」
「追加の薬味、持ってきます!」
自分でも驚くほど自然に、客の動きに合わせて体が向かう。必要な場所へと足が動く。
やがて僕は、手を挙げた客が、声を発する前に動くことが可能になり――
店内に響く音は、食器と引き戸だけのものになっていた。




