第88話 姉の逆鱗
商業ギルド本部の重厚な扉が閉まった瞬間、私は静かに息を吐いた。
「……上出来やな」
隣で書類を抱えるアンナが柔らかく微笑む。
「はい。温泉水の定期卸契約、基礎化粧品の優先販売枠、ポーションボトルの独占流通。どれも想定以上です」
王都の商業ギルドは一筋縄ではいかない。価格交渉、品質保証、供給量の担保、違約条項。数字と信用がすべての世界だ。
私は宥子としてここに立っている。
容子の姉であり、経営者であり、責任者だ。
「これで量産体制が整う。後はあのアホが逃亡せんよう監視強化やな」
「本日も逃亡される可能性は……」
「高い」
即答。
そんな軽口を叩きながら中央通りへ出た、その時だった。
「……マサコ?」
聞き覚えのある声。
私は視線だけを向ける。
そこに立っていたのは、戦士のガルガ。大柄で筋骨隆々、無駄に自信満々の顔。
その後ろに、魔導士のリリアナ。派手な装束で腕を組んでいる。
剣士のフィーアは静かにこちらを観察し、聖魔導士のテレサは穏やかな微笑みを浮かべている。
――チームバルド。
「マサコだよな?」
私は即座に否定した。
「違う」
ガルガが怪訝な顔をする。
「何言ってる。見間違えるはずがない」
「双子や。私は宥子、あんた等が付き纏っとる容子の姉や」
一瞬の沈黙。
リリアナの目が光る。
「え、じゃああの化粧品の開発者!?」
テレサも一歩前に出た。
「少しお時間を頂けますか?」
「無い」
私は歩き出す。
だがガルガが進路を塞ぐ。
「待て。ちょうどいい。話がある」
アンナが静かに警戒態勢に入る。
私は止まり、冷ややかに見上げた。
「手短に」
ガルガは腕を組み、上から目線で言う。
「俺達は将来有望なパーティだ。マサコの実力も評価している」
「で?」
「だから装備を融通しろ。あいつが使っている武器、防具、アクセサリー。相当質が高いだろ」
は?
リリアナが続ける。
「あと基礎化粧品セットね。王都じゃ手に入らないのよ。私達が使えば宣伝になる」
フィーアが淡々と言う。
「剣の強化素材もあると助かる」
テレサが締める。
「私達が強くなれば、結果的にあなた方の利益にもなります」
四人揃って当然のように言い切った。
私は無言で数秒見つめる。
そして、ゆっくり口を開いた。
「つまり、優遇しろと?」
「話が早いな」
ガルガが頷く。
「優遇の意味分かっとるか?」
「常連割引みたいなものだろ」
私は鼻で笑った。
「常連? うちで一銭でも落としたことあるんか?」
沈黙。
リリアナが苛立つ。
「細かいこと言わないでよ!」
「細かない。商売の基本や」
一歩、私は前に出る。
「装備は鍛冶師の手間と素材が要る。化粧品は研究と試作の積み重ねや。全部コストや」
ガルガの眉が寄る。
「俺達は有名になる。宣伝になると言っている」
「今は?」
「……Aランクだ」
「ほな実績はA止まりやな」
フィーアが静かに言う。
「あなたは妹を守りたいのでは?」
「当然や」
「なら私達と組む方が安全だ」
その瞬間、私の中で何かが切れた。
「組む?」
声が低くなる。
「何回断られとる?」
ガルガが顔をしかめる。
「勧誘は自由だ」
「粘着は迷惑や」
アンナが冷たく補足する。
「王都での迷惑行為は記録されます」
リリアナが鼻で笑う。
「脅し?」
私は笑った。
氷のように。
「警告や」
一歩詰める。
「妹に付き纏い、断られても引かず、挙句商品クレクレ。どの口が優遇言うとる」
ガルガが腕を掴もうとする。
私は即座にその手首を払い落とした。
鈍い音。
「触るな」
周囲の視線が集まる。
私は声量を落とさず続ける。
「商業ギルドと正式契約済みや。流通も押さえとる。うちを敵に回して困るんはどっちや?」
テレサが慌てる。
「誤解です」
「誤解ちゃう。傲慢や」
私は最後通告を告げた。
「装備、防具、アクセ、基礎化粧品。一切売らん。正規価格でもや」
「なっ……!」
「客は選ぶ」
リリアナが吐き捨てる。
「後悔するわよ」
「せえへん」
即答。
「次、妹に絡んだら商業ギルド経由で正式抗議入れる。活動に制限かかるのはそっちや」
四人が沈黙する。
私は踵を返した。
「アンナ、行くで」
「はい」
歩きながら、胸の奥に残る怒りを吐き出す。
「……予想通りやな」
「はい。今後も接触の可能性があります」
「対策強化や。まさこは感情で動く。私が盾にならなあかん」
夕暮れの王都を歩きながら、私は静かに決意する。
妹を守る。
商売を守る。
そして――
逆鱗に触れた相手には、二度と舐めた真似が出来んよう徹底的に線を引く。
それが、宥子という女や。




