第81話 静怒の契約
その頃――。
ショッピングモールで容子達が戦場の如き買い物を繰り広げている一方で。
宥子とアンナは、ガラス張りの高層ビルの前に立っていた。
表札には、
――八代建設株式会社。
「……ここやな」
宥子は淡々と呟き、自動ドアを抜ける。
受付に名を告げると、すぐに応接室へ通された。
革張りのソファ。
壁には施工実績の写真。
数分後、入ってきたのは恰幅の良い男。
「お待たせしました。社長の八代です」
四十代後半ほど。
商売人の笑み。
「本日はビルのリフォームの件で」
宥子が書類を差し出す。
図面が広げられる。
「一階を店舗。二階を事務所。三階を倉庫。四階以上は独身社員寮。最上階は私達の住居」
静かな声だが、内容は大規模だ。
「ほう……丸ごと再構築ですね」
「耐震補強は最優先。防音も。倉庫は重量物対応。寮は最低でも二十室」
八代社長は顎に手を当てる。
「予算は?」
宥子は数字を書いた紙を差し出す。
一瞬、八代の目が見開かれた。
「……本気ですね」
「遊びではないので」
アンナは無言で座っている。
だが、その視線は鋭い。
「屋上には社を建てたい」
空気が変わる。
「神社、ですか?」
「小規模で良い。本格的な造りで。宮大工の神原さんにお願いしたい」
八代は一瞬、間を置いた。
「……その件ですが」
アンナの視線がわずかに動く。
「若手に経験を積ませたいということで、別の者に担当させます」
沈黙。
数秒。
アンナの指が、静かにテーブルを叩いた。
コン、と。
音は小さい。
だが空気が凍る。
「……それは、こちらが依頼した内容を変更した、という事でしょうか」
声は静か。
怒鳴らない。
だが、温度が無い。
八代が笑って誤魔化そうとする。
「いえいえ、若手とはいえ腕は確かでして――」
「神原さんに依頼すると伝えました」
アンナの視線が真っ直ぐ刺さる。
「決定権はどちらに?」
応接室の空気が重い。
宥子は横目でアンナを見る。
……静かに怒っている。
これは地雷原の一歩手前や。
「社は信仰の場。遊びで若手育成に使う物ではない」
アンナの声は低い。
八代の額に汗。
「……失礼しました。神原氏に正式に打診致します」
やっと折れた。
アンナは視線を外す。
空気が、戻る。
「若手育成は否定しません。ただし、順序を誤らないこと」
「……肝に銘じます」
宥子が話を締める。
「では契約書を」
分厚い書類。
細部まで確認。
耐火材の種類。
配管の更新。
電源容量。
監視カメラ。
全てチェック。
「手付金はこちら」
桁の多い数字。
八代は改めて姿勢を正す。
「必ず満足頂ける物を」
「当然や」
契約成立。
◇◇◇
外に出ると、夕暮れ。
車に乗り込む。
数分、沈黙。
「……怒っとったな」
宥子がハンドルを握りながら言う。
「勝手に決めた」
短い返答。
「社は象徴や。軽く扱われたくなかったんやろ」
「ええ」
ビルの最上階。
そこが自分達の拠点。
屋上の社は、ただの飾りではない。
二つの世界を繋ぐ“錨”。
「若手育成は理解出来る。でも、選ぶのはこっちや」
「はい」
アンナの怒りは、もう沈静化している。
だが静かに言う。
「次に同じ事があれば、取引先を変えます」
「怖」
思わず笑う宥子。
信号待ち。
遠くに沈む夕日。
ショッピングモールでは、今頃容子達が騒いでいるはずだ。
「賑やかやろな」
「ええ」
車が動く。
これで、拠点は整う。
店舗、事務所、倉庫、寮、そして住居。
地球側の基盤。
家に着くと、ちょうどタクシーが三台止まっていた。
両手いっぱいの荷物を抱えた面々。
「おかえり」
宥子が声をかける。
チルドルが走ってくる。
「見て! 新しい服!」
アンナは一瞬だけ微笑む。
静かな怒りの余韻は、もう無い。
ビルの契約。
屋上の社。
若手問題。
全ては、これから始まる拠点作りの第一歩。
そしてその中心にいるのは、
騒がしくも温かな“家族”。
宥子は空を見上げる。
「忙しくなるで」
アンナが頷く。
地球と異世界。
その両輪が、静かに回り始めていた。




