第79話 双界の鍵
鍵を握っているのは、姉の私――宥子だ。
そして、私の隣に立つのが妹の容子。
この順番は絶対に間違えない。
私は姉。
決断する側。
責任を負う側。
容子は妹。
癒やし、支え、そして時に暴走する私を止める存在だ。
サイエス側の拠点ビル、その玄関ホール。
石造りの壁、朱色の絨毯、魔導灯の明かり。
そこに立つ十数名の元奴隷たち。
ルーシー、キャロル、ボブ、イスハパン。
チルドルと両親のマリー、ジョン。
ハンスと、ニック、レナ、イーリン、ヘレン。
そしてアンナ。
全員の視線が、私の右手に集まっている。
銀色の鍵。
何の変哲もない、地球の自宅マンションの鍵。
「これが、地球とサイエスを繋ぐ鍵や」
静まり返る空間。
「持っとるのは私だけ。容子でも勝手には使えへん」
妹が肩をすくめる。
「お姉ちゃん独占やもんな」
「管理責任や」
ダリエラの顔が一瞬脳裏をよぎる。
セブールのギルマス。
仕事の出来ない女。
あれに知られたら、確実に奪われる。
だから誓約を結ばせた。
琴陵姉妹の秘密を話さないこと。
裏切らないこと。
仲間を害さないこと。
「よく見とき」
私は何もない空間へ鍵を差し込む仕草をする。
カチリ。
空間が波打つ。
そして――現れる。
木目調のマンション玄関ドア。
覗き穴、ドアチェーン、郵便受け。
石造りの壁に唐突に埋め込まれた、異質な文明の扉。
「……魔法陣も無い……」
ハンスが低く呟く。
「ただ鍵を回しただけだ」
「仕様や」
私はドアノブに手をかける。
ガチャ。
開いた先に広がるのは、白いタイルの玄関。
靴箱。
照明。
地球の空気。
排気ガスと湿気が混じる、懐かしい匂い。
「ここが……地球……」
チルドルが小さく息を呑む。
私は一歩踏み込む。
境界を越えた瞬間、身体が僅かに軽くなる。
魔力が薄い。
空気が重い。
「魔力が……ほとんど感じられません」
ヘレンが眉を寄せる。
「ここでは派手な魔法は控えろ。ニュースになる」
妹の容子が続いて入る。
「なんか懐かしい匂いやなぁ」
彼女は地球育ち。
東京暮らし。
このマンションも、私たちの家だ。
「靴脱いで。ここは土足禁止」
スリッパを配る。
イスハパンが床を触る。
「冷たい石だが……加工精度が異常だ」
「タイルや。文明の塊やで」
リビングへ。
ソファ、ローテーブル、大型テレビ。
カーテンを開ける。
夜景が広がる。
ビル群。
信号機。
車の列。
「星が……少ない」
レナがぽつり。
「光害や」
テレビをつける。
ニュースキャスターの声。
「これが……情報伝達装置……?」
ニックが呟く。
「電波や。魔法ちゃう」
ボブが深く息を吐く。
「魔法無しでここまで築いた文明……恐ろしい」
「せやけど脆い。停電したら終わりや」
キッチンへ移動。
IHコンロ、電子レンジ、冷蔵庫。
パンジーが感動している。
「火を出さずに調理……素晴らしい」
容子が笑う。
「地球の方が料理は楽やで」
◇◇◇
全員をリビングに集める。
私は鍵をテーブルに置く。
「この鍵は私しか扱えん。私が回さな門は出ん。逆に言えば、私が死ねば接続は消える」
空気が凍る。
「だから裏切りは許さん。秘密厳守。仲間を害すな」
アンナが静かに頷く。
「我らの命運は宥子様に預けるということですね」
「経営者や言うとるやろ」
軽口を挟むが、事実だ。
ハンスが口を開く。
「我らは奴隷だった。今は従業員。だが主従の重みは理解している」
「主とか言うな」
チルドルが手を挙げる。
「……僕、強くなります。二つの世界を守れるくらい」
その瞳に迷いはない。
「せやな。守る側になれ」
夜。
布団を並べる。
ハンスが天井を見上げる。
「鎖よりも、この平穏が落ち着かない」
「慣れや」
私は玄関へ戻る。
サイエスへ続く扉がまだ開いている。
振り返る。
妹の容子と目が合う。
「閉めるで?」
「お姉ちゃんに任せる」
私は鍵を回す。
カチリ。
ドアが静かに消える。
そこにはただの壁。
世界は切断された。
鍵は私のポケットへ。
二つの世界を繋ぐのは、姉である宥子だけ。
責任も、危険も、利権も。
すべて背負う。
それが姉の役目や。
こうして――
地球とサイエスを往復する、双界生活が本格的に始まったのだった。




