第55話 擬態修練録
琴陵家の朝は、静かではない。
それも当然だ。
この家には現在、元魔物が四体――いや、四人――同居しているのだから。
紅白はヘビ。
赤白もヘビ。
サクラはスライム。
楽白は蜘蛛。
そして重要な修正点がひとつ。
楽白は――喋れない。
人型にはなれる。表情も作れる。頷きも出来る。
だが声帯という概念が、蜘蛛には存在しないのだ。
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「……もう一回言う」
私、容子は腕を組む。
「本性、出すな」
真正面に並ぶ四人。
紅白と赤白は、昨日よりは人間らしい。
舌のチロチロは激減。
瞳孔も意識すれば丸くなる。
だが油断すると縦。
サクラは形状安定訓練の成果で、輪郭はほぼ固定。
ただし感情が揺れると若干ぷるると波打つ。
問題は楽白。
静かに立っている。
優雅。
完璧。
――に見える。
だが背中の布地が微妙に盛り上がっている。
脚がうずいている証拠だ。
「脚」
私は短く言う。
楽白はびくりとし、背筋を伸ばす。
盛り上がりが消えた。
無言で深く頭を下げる。
喋れない分、反省は態度で示すタイプらしい。
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「外出訓練、第二段や」
宥子が顔をしかめる。
「昨日はギリギリだったよね」
アンナも頷く。
「鳩は危険でした」
危険だった。
あの時、楽白の瞳は完全に捕食者だった。
糸が出かかった。
止めたのは私の殺気だ。
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南浜商店街。
今日の目標は「自然に買い物」。
私は一番後ろから監視。
先頭は赤白。
野菜コーナー。
丸いトマト。
視線固定。
「……獲物ちゃうぞ」
「わかっとる」
低く答える。
今日は舌が出ない。
進歩だ。
紅白は卵売り場を素通りできた。
偉い。
サクラは試食コーナーで固まった。
寒天ゼリー。
ぷるぷる。
身体が共鳴。
「サクラ」
「キシャ」
震えを止める。
耐えた。
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問題は楽白。
魚屋の軒先。
干物が吊られている。
上。
高所。
糸をかけるのに最適な構造。
彼女の視線が上をなぞる。
肩が僅かに震える。
私は一歩前へ出る。
無言で見つめる。
楽白ははっとして視線を下げる。
両手をぎゅっと握り締める。
脚は出ない。
糸も出ない。
ただ、額にうっすら汗。
――蜘蛛なりに戦っている。
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帰宅。
全員ぐったり。
「本能との戦いって疲れるね……」
宥子が床に寝転ぶ。
「人間も似たようなもんや」
私は言う。
「怒鳴りたい時に飲み込む。殴りたい時に我慢する。食いたい時に我慢する」
四人がこちらを見る。
「それが社会や」
沈黙。
赤白が小さく言う。
「……難儀やな」
紅白も頷く。
サクラは静かに身体を揺らす。
楽白は、そっと拳を胸に当てた。
決意の仕草。
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夜。
夕食は質素。
無期限缶パンとマウスの刑は継続中。
だが今日は条件達成。
私は皿に一品、煮物を追加。
四人の目が輝く。
楽白は声を出せない代わりに、勢いよく何度も頷いた。
サクラはぷるぷる震えながらも形状維持成功。
偉い。
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だが事件は起きる。
深夜。
天井裏から物音。
私は飛び起きる。
台所。
――糸。
細く光る一本。
辿る。
冷蔵庫の上。
楽白が、天井近くに張り付いていた。
目が合う。
固まる。
無言。
ゆっくり降りてくる。
床に着地。
深く、深く頭を下げる。
私は額を押さえた。
「……無意識か」
こくこくと頷く。
怒鳴る代わりに、ため息。
「次やったら外出訓練停止」
びくり。
さらに深く頭を下げる。
喋れない分、謝罪は全力。
少しだけ、可哀想になる。
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翌朝。
私は四人を前に言う。
「お前らは魔物や」
視線が揃う。
「でもな、人間社会で生きるって決めたなら、人間として振る舞え」
赤白が拳を握る。
紅白が強く頷く。
サクラが静かに鳴く。
楽白は胸に手を当て、深く頭を下げた。
声は出ない。
だが覚悟は見える。
私は小さく笑う。
「ほな、今日も修練や」
ヘビ二匹、スライム一体、蜘蛛一匹。
喋れない者もいる。
本能だらけの集団だ。
それでも。
少しずつ、人間らしさを積み重ねていく。
琴陵家の擬態生活は、今日も騒がしく、そして確実に続いていくのだった。




