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琴陵姉妹の異世界日記  作者: A愛
第二章【セブール】

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第50話 王都決意

 怒りというものは、静かに燃える時ほど厄介だ。


 私は商業ギルドへ向かう石畳の道を歩きながら、胸の奥でくすぶる熱をどうにか抑え込もうとしていた。けれど、抑えようとすればするほど、逆に輪郭がはっきりしていく。


 ダリエラの失態。


 あれは単なる判断ミスではない。報告の遅れ、情報の隠蔽未遂、そして責任の擦り付け。ゴブリン一万の異常発生を「想定外」の一言で流し、挙げ句の果てに私達に口裏合わせのような提案までしてきた。


 「丸く収めましょう」?


 誰のために?


 セブールの街のため? それとも自分の保身のため?


 私は深く息を吐いた。


 ここに居続ければ、いずれ私達は都合のいい“功労者”か“暴走した冒険者”のどちらかに仕立て上げられる。事実は、立場の強い者が塗り替える。


 ならば。


 塗り替えられる前に、こちらから動くしかない。



 商業ギルドの扉を押し開けると、いつもの落ち着いた空気が迎えてくれた。帳簿の匂い、インクの香り、静かなざわめき。


 カウンターの奥で書類を整理していたアンナが顔を上げる。


 「宥子(ひろこ)様。いらっしゃいませ」


 その微笑みは、今日も変わらない。


 私は一瞬、言葉を選びかけて――やめた。


 「王都に行くわ」


 単刀直入に告げる。


 アンナの手が止まった。


 「……え?」


 驚きは当然だろう。昨日までそんな素振りは見せていなかったのだから。


 「セブールを出る。ダリエラの件は、王都に直接報告する」


 はっきりと言い切る。


 アンナの表情がみるみる強張った。


 「そ、それは……正式な告発、という形になりますか?」


 「事実を報告するだけよ。判断は上がする」


 だが、その“上”に届かなければ意味がない。


 「セブール内で揉み消される可能性が高い。なら、最初から王都に持ち込む」


 アンナは視線を落とし、何かを考え込む。


 しばらくして、ゆっくりと顔を上げた。


 「……少し、お時間をいただけますか?」


 「時間?」


 「一時間だけ。ここでお待ちください」


 有無を言わせぬ決意が、その瞳にはあった。


 私は黙って頷いた。



 一時間後。


 戻ってきたアンナの手には、小さな革鞄があった。


 そして、その顔はどこか吹っ切れている。


 「退職してきました」


 「……は?」


 間の抜けた声が出たのは仕方ない。


 「本日付で商業ギルドを辞めました」


 「ちょっと待って。意味が分からない」


 「宥子(ひろこ)様について行きます」


 真っ直ぐな視線。


 冗談でも勢いでもない。


 私は思わず額に手を当てた。


 「どうしてそうなるのよ」


 「セブールの空気はおかしいです。冒険者ギルドも、商業ギルドも、裏で何かが動いている。私には分かります」


 静かな声。


 「王都に直接報告できる方の側にいたい。それが、私の選択です」


 ……困った。


 責任重大だ。


 「軽率よ」


 「軽率ではありません。考えました」


 即答。


 覚悟は固いらしい。


 「……容子(まさこ)の了承が得られたらね」


 とりあえず条件を出す。


 「容子(まさこ)様ですね」


 「ええ。彼女も当事者よ。勝手に人数を増やせない」


 私は念話を飛ばした。



 ――容子(まさこ)、今いい?


 <おぉ~ひろこぉ~、飲んどるでぇ~>


 嫌な予感しかしない。


 <エールがなぁ~最高なんやぁ~>


 ……酔っている。


 「真面目な話よ。アンナが――」


 <ガルガがなぁ~、指輪をなぁ~、火ぃボーンってぇ~>


 何を言っているのか分からない。


 「容子(まさこ)、聞いてる?」


 <商談は勢いやぁ~、ひろこも飲めぇ~>


 ブツン。


 一方的に切れた。


 私はしばらくその場で固まった。


 「……は?」


 こめかみがひくりと痙攣する。


 「酔っ払い……!」


 怒りが別方向に噴き出した。


 ゴブリン一万より腹が立つ。


 深呼吸。


 「今のは無効よ」


 「……酔っておられるのですか?」


 アンナが恐る恐る聞く。


 「完全に」


 私は額を押さえた。


 「正気の時に改めて確認する。でも、私は王都に行く」


 それは揺らがない。



 「準備は済ませています」


 アンナは小さな鞄を持ち上げる。


 「必要最低限です。身辺整理も終えました」


 早すぎる。


 行動力が怖い。


 「宿は?」


 「宥子(ひろこ)様と同じ宿を取ります」


 「……安全面、ね?」


 「はい」


 理屈は正しい。だが、頭が痛い。


 私は小さくため息を吐いた。


 「分かった。とりあえず宿に戻るわ」



 夕暮れのセブールは、何も知らぬ顔で穏やかだった。


 石畳を並んで歩きながら、私は改めて自分の決断を噛み締める。


 王都へ行けば、波紋は広がる。


 ダリエラの立場も揺らぐだろう。


 敵も増える。


 それでも。


 「逃げるわけじゃない」


 私は呟く。


 事実を、事実として届ける。それだけだ。


 隣を歩くアンナは、少し緊張しながらも、どこか安堵しているように見えた。


 「本当に、よろしいのですか?」


 「後悔するかもしれないわよ」


 「しません」


 即答。


 宿の灯りが見えてきた。


 あの中には、酔っ払っているであろう容子(まさこ)がいる。


 私は目を細めた。


 「まずは説教ね」


 「……え?」


 「何でもないわ」


 王都行きは決まった。


 仲間は増えた。


 問題も増えた。


 怒りは消えていない。


 けれど私は歩みを止めない。


 セブールを出る日は、もうすぐそこだ。


 そして――王都で、すべてを白日の下に晒す。

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