第40話 霊働革命
□□ビルを後にした私と宥子は、夕暮れに染まり始めたS県K市の空を見上げながら、大きく息を吐いた。
「……疲れた」
「精神的にね」
タクシーを待つ間、私はビルを振り返る。さっきまで淀んでいた空気は、ほんの僅かだが軽くなっている。
「でもさ、あれ本当に上手くいくと思う?」
「いくよ。人間、締切の前では最強になるから」
それは霊より怖い理屈だった。
◆
翌日。
咲弥から返信が来た。
『苦情は今のところ無し。久世は未だ発見されず。追加案件の可能性あり。』
「追加って何」
「嫌な予感しかしない」
すると、続けて電話が鳴った。
発信者――咲弥。
スピーカーにする。
『お疲れ様。□□ビルの件だけど』
「はい」
『冨田馨さんから“追加依頼”が入りそうよ』
「は?」
私と宥子の声が重なる。
『幽霊が、働きすぎているらしいの』
「……は?」
◆
三日後。
私達は再びS県K市へ向かっていた。
タクシーの中で宥子が腕を組む。
「どういうことだと思う?」
「ブラック企業がホワイトになった?」
「逆。霊がブラック労働を始めたらしい」
意味が分からない。
□□ビルに着くと、前回より明らかに空気が違った。
――活気がある。
嫌な意味で。
エントランスに入ると、インターホン越しではなく即座にドアが開いた。
「先生方! お待ちしてました!」
顔色は良い。隈も減っている。
だが、テンションが妙に高い。
応接室に通されると、冨田が興奮気味に話し始めた。
「幽霊が……働きすぎるんです!」
「……詳しく」
「夜中も書類を作ってるんです! 朝来たら全部終わってるんですよ!」
「良いことでは?」
「でも! コピー機が勝手に動く! パソコンが深夜三時に起動する! 社員が帰れないんです!」
ああ。
なるほど。
縁を“薄く細く”結んだ結果、命令が素直に通るようになったのだろう。
そして冨田が何気なく呟いたのだ。
――「終わらない」
霊達は、それを“命令”と受け取った。
◆
フロアを歩く。
書類棚から紙がスススと動き、ホチキスがカチンと止まる。
老紳士の霊がパソコンを叩き、子供の霊がゴミを拾う。
そして壁から生えた手が、コピー用紙を揃えている。
「教育が行き届きすぎだろ」
私は思わず呟く。
<カルテット、状況は?>
<働き蜂状態やで>
<命令待ちですの~>
<楽白も手伝う?って聞いてる>
いらん。
「宥子、これどうする?」
「縁が強まりすぎたね」
どうやら冨田が“頼りきった”ことで、縁が太くなってしまったらしい。
「人間が自立しないと、霊は居座るよ」
「つまり?」
「仕事を減らせ」
◆
応接室に戻る。
「冨田様、霊に任せきりになってませんか?」
「え……」
図星。
「楽になったでしょう?」
「正直……はい」
「それが原因です」
宥子は淡々と告げる。
「霊は“必要とされる場所”に残ります。頼られる限り、離れません」
「じゃあ、どうすれば?」
「仕事を人間に戻す。霊には“定時”を設ける」
「定時?」
私は思わず吹きそうになる。
霊の労働基準法。
「夜九時以降は働かせない。感謝はするが、依存しない」
「……出来るでしょうか」
「出来ます。命令は貴方に通る」
◆
再びフロアへ。
宥子が霊達に宣言する。
「本日の業務は終了です。以降、夜九時以降の作業は禁止」
空気が、ぴたりと止まる。
老紳士の霊がこちらを見る。
静かに頷いた。
コピー機が止まる。
手が壁へ戻る。
子供の霊が小さく手を振った。
「……帰った?」
<待機モードやな>
カルテットの報告に私は安堵する。
「これで様子を見てください」
冨田は深く頭を下げた。
◆
一週間後。
咲弥から連絡。
『□□ビル、安定。幽霊は営業時間内のみ稼働。社員定着率上昇。』
「霊的労働改革成功だね」
「労基署に怒られそう」
そして続く一文。
『他社から同様の相談あり。』
嫌な予感。
「まさか……」
「幽霊派遣業?」
私達は顔を見合わせた。
縁を結び、縁を切る。
それが私達の仕事。
だが今、
“霊を働かせるコンサル”
という新ジャンルが生まれかけている。
「久世師匠、逃げたの正解かもね」
「戻ってきたら地獄だよ」
その時、スマホが震えた。
送信者――久世師匠。
件名:『助けて』
私達は同時にため息をついた。
霊より厄介な存在が、
ようやく発見されたらしい。
次なる案件は――
失踪した師匠の“縁切り”かもしれない。
霊働革命は終わらない。




