第36話 金の生る姉
サイエスの夜は、やけに長い。
本来なら、とっくに帰ってきているはずだった。
|メディションホールからポーション量産に向かった宥子が、約束の時刻を三時間も過ぎても戻らない。
時計代わりの魔導針は、静かに、しかし確実に時を刻んでいる。
カチ、カチ、と小さな音が、妙に胸に刺さる。
「……遅い。」
私は窓辺に立ち、夜風を受けながら呟いた。
街灯の魔石灯が淡く揺れ、石畳の通りは既に人影もまばら。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
その静寂を破るのは、足元の呻き声だった。
〈腹減った〉
〈減ったな〉
〈減りましたのぉ〉
床にだらりと伸びているのは、赤白と紅白。
巨大な蟒蛇二匹が、完全にやる気を失っている。
サクラはぽよぽよと縮み、まるで萎れた団子のよう。
そして、私のフードの中から、みょーん、と顔を出す楽白。
無言。
だが、空気が震える。
――おなか、すいた。
言葉ではない。
雰囲気が、直接心を叩く。
「分かる。分かるよ。でも今は待って。」
とは言え、三時間は異常だ。
いくらスクロール作成が面倒でも、あの人が倒れるとは思えない。
むしろ――
「……絶対、交渉してる。」
その瞬間。
ガチャリ。
扉が開いた。
「ただいまー……」
遅い!!
空気が爆ぜた。
〈三時間超過〉
〈詫び酒案件〉
〈サクラ、限界でしたのぉ〉
私はゆっくり振り向く。
「何してたの。」
仁王立ち。
宥子は両手を合わせ、涙目。
「中級ポーションのスクロールが金貨百枚って言われたの!」
「ぼったくり。」
「でしょ!? だから値切った! 肉体労働して七十枚まで下げた!」
「スクロールは?」
「無料にはならなかった……」
私は深く息を吐く。
やっぱり交渉。
「それで三時間?」
「途中で中級レシピ追加提案された。」
商人の顔だ。
完全に目が輝いている。
「……ボス遭遇は?」
「三回。」
「は?」
隠密と索敵を三十まで上げたと豪語していたのに。
「だから調合もⅡからⅩに上げた!」
土下座。
「相談なし?」
「成功率上がるし、美容系の質も上がるし!」
テーブルに並ぶ小瓶。
鑑定を発動する。
――中級ポーション成功率安定。
――基礎化粧品、極上混在。
――魔力浸透効率向上。
「……やるやん。」
にやり、と笑う宥子。
「売る?」
間髪入れず。
「売らない。」
即答。
「独占する。ブランド立ち上げる。」
その言葉に、空気が変わった。
商魂が、共鳴する。
「容器は?」
「私が作る。」
「付与は?」
「重ね掛けする。」
「誰にも真似出来ない?」
「出来ない。」
蟒蛇たちがぴくりと動く。
〈金の匂い〉
〈するな〉
「細工と鍛冶、三十まで上げる。」
「魔石(大)の加工目的でしょ。」
図星。
ベシッ。尻キック。
「いたい!」
だが否定はしない。
そして私は、袋からそっと取り出した。
楽白糸で編んだニット。
淡い光を纏う、滑らかな編地。
鑑定。
物理防御13000
魔法防御15000
自動小回復。
耐久ほぼ無限。
「……売れる。」
回し蹴り炸裂。
「売らない!!!」
「だって高性能!」
「今は装備整ってない! それに楽白とお揃い!」
フードからひょこっ。
白い小さな姿。
雰囲気が震える。
――売らない。
目がハートになる宥子。
「かわい……」
ハリセン炸裂。
スパァン。
「落ち着け。」
楽白は、みょーんと私に抱きつく。
その温もりに、胸の奥がふっと緩む。
騒がしくて、欲深くて、計算高くて。
でも。
誰も欠けていない。
テーブルにはハンバーグ。
蟒蛇は大吟醸で復活。
サクラは甘味を要求。
「価格設定、どうする?」
「強気。」
「市場調査は?」
「三日。」
「卸と小売分ける?」
「当然。」
議論は白熱。
魔石灯の光が揺れる。
窓の外では夜風が鳴る。
サイエスの街は静かでも、ここは嵐だ。
金貨、スキル、付与、糸、化粧品。
今日もまた、商魂と空腹と愛情がぶつかり合う。
そして私は思う。
――この騒がしさこそ、私達の最強装備だ。
たとえ明日、また宥子が「売る」と言い出しても。
その時はまた、回し蹴り。
それでいい。
笑って、怒って、稼いで。
この世界を駆け抜ける。
楽白の糸のように、絡まりながらも切れない絆で。
サイエスの夜は、まだ終わらない。




