第129話 皇霊契約
元公爵邸最上階――玉座の間。
扉を開け放った瞬間、空気が裂けた。
黒紫の瘴気が渦を巻き、空間そのものが軋む。床に刻まれた古い紋章がひび割れ、天井から黒い霧が滴る。
その中心。
玉座の前に立つ、漆黒の鎧。
蒼炎を瞳に宿す王。
アンデットエンペラー。
そして――アベル・フォン・ミスト。
宥子は日本刀を握り直し、目を細めた。
視界に浮かぶ数値。
レベル1892
対する自分は451。
差は1441。
笑えるくらい絶望的や。
「……我が眠りを妨げるのは、貴様か」
低い声が響く。
怒りを孕んだ声。
いや、怒りというより――憎悪。
空気が震え、床が砕ける。
「随分とご立腹やな」
「当然だ」
蒼炎が激しく燃え上がる。
「我を追い落とした王家。虚偽を並べ、罪を擦り付け、歴史から消し去った。民を守ろうとした我を、反逆者に仕立て上げた」
黒炎が天井へ噴き上がる。
「王家への恨みは深い。滅びるまで呪い続ける」
それが、この街を包む怨念の正体。
個人的怒りではない。
理不尽に奪われた誇りと名誉。
私は小さく息を吐いた。
「なるほどな。そら拗れるわ」
床を蹴る。
一閃。
神気を帯びた刃が鎧を打つが、火花を散らして弾かれる。
反撃の黒炎。
一撃で結界が粉砕され、壁へ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
HPが一気に削れる。
レベル1892の圧力は桁違い。
正面からでは無理。
数合で理解した。
「無力だな」
「せやな」
血を吐きながら、私は懐へ手を伸ばす。
取り出したのは、容子から託されたブローチ。
アナスタシアの想念が宿る宝飾。
「これ、見覚えあるやろ?」
蒼炎が揺れた。
ブローチが光り、白銀の女性が姿を現す。
「アベル……」
アナスタシア。
その声に、黒炎が一瞬静まる。
「……なぜ」
「あなたを止めに来ました」
彼女は優しく語る。
誤解、陰謀、王家の策謀。
それでも愛していたこと。
あなたは間違っていなかったこと。
瘴気が薄まる。
だがアベルは首を振る。
「王家の罪は消えぬ」
「せやろな」
私は立ち上がる。
「なぁ、アベル」
蒼炎の瞳が向く。
「人神にならへん?」
沈黙。
そして嘲笑。
「人が神になれるわけがない」
「普通はな」
一歩踏み出す。
「うちは異世界人や」
炎が揺れる。
「異世界……?」
「せや。うちの世界には“信仰”って仕組みがある。祀られれば力を得る。歴史を語り継がれれば存在が固定される」
私は指を三本立てた。
「神になる条件、提示してええか?」
アベルは黙って聞く。
「一つ。この地を学術都市として再建する。知が集まる街にする」
彼の瞳が細まる。
「二つ。アナスタシアと共に、アベル・フォン・ミストを神として祀る」
アナスタシアが息を呑む。
「三つ。王家のやらかし――不正と陰謀を公にする。正史として残す」
玉座の間が静まり返る。
やがて、アベルが低く笑った。
「面白い。だが、それは貴様の願望ではないか?」
「ちゃうで」
私は真っ直ぐ見返す。
「それが、あんたの怒りを鎮める最低条件やろ?」
沈黙。
長い沈黙。
やがてアベルは言った。
「……それらが守られるなら」
黒炎が収束していく。
「我は祟らぬと誓おう」
空気が震える。
誓約の気配。
「だが、虚偽であれば――」
「その時は好きに呪えばええ」
私は肩を竦めた。
「こっちも命懸けや」
アベルの蒼炎が静かに揺れる。
「条件がある」
「言うてみ?」
「貴様の世界を見せよ。異世界とやらを。その上で契約を結ぶ」
にやりと笑う。
「社会見学か。ええで」
魔法陣を展開する。
「一時的契約」
光の鎖が二人を繋ぐ。
レベル451とレベル1892。
常識外の結束。
契約成立。
「では、行くぞ」
転移陣が輝く。
光が弾け――
次の瞬間。
畳の匂い。
テレビの待機ランプ。
日本の自宅リビング。
黒鎧の皇霊が静かに立つ。
「……ここが異世界か」
「せや。ここから神様プロデュース始めるで」
アベルは静かに周囲を見回す。
怒りはまだ消えていない。
だが理性がある。
そして、条件付きの誓約がある。
学術都市建設。
夫婦神としての奉斎。
王家の罪の公表。
それを守る限り、祟らない。
守らねば――どうなるかは分からない。
私は刀を肩に担ぎ、笑った。
「ほな、未来の神様候補。まずはコンビニから行こか」
1892の皇霊は、わずかに口元を緩めた。
神話の芽は、静かに異世界で根を張り始めていた。




