第120話 低速姫
アンナ班が王都へ戻ってきたのは、冬晴れの午後だった。
「全員合格しました」
アンナの報告に、玄関ホールがぱっと明るくなる。
ヘレン、ニック、レナ、ハンスは誇らしげに免許証を掲げていた。
「一発合格おめでとう」
宥子が穏やかに拍手を送る。
余裕の笑み。
完璧超人の風格。
――この時点では。
「次は私の班やね」
さらりと言って紅茶を口にする。
「アンナ、キヨちゃんの面倒見てくれんか」
「何で、そこは私ちゃうん??」
私は即座に立ち上がる。
そこは妹の出番やろ!?
「だって、お前キヨちゃんにウザがられてるやん」
即死。
「ウザがられてへん! 照れとるだけや!」
反論した瞬間――
パチッ。
小さな雷。
紅唐白ちゃんである。
「いや、今まさに嫌がられてるやん」
「これは愛情表現や!」
全員が視線を逸らす。
◇
二班合宿が始まった。
ジョン、マリー、イスパハン、そして宥子。
キヨちゃんはアンナ預かり。
私は屋敷で仕事を回す。
数日後。
帰還の馬車が門をくぐる。
「全員――」
アンナが一瞬言い淀む。
嫌な予感。
「三名合格です」
「……三名?」
ジョン、マリー、イスパハンは免許証を掲げている。
そして。
宥子の手には――何もない。
「え?」
空気が凍る。
「筆記は満点でした」
アンナが補足。
「技能で不合格です」
「ぎ、技能!?」
まさかの実技。
◇
「何でや」
私は思わず聞く。
宥子は腕を組み、少しだけ視線を逸らした。
「速度がな」
「は?」
「出ぇへんかった」
意味が分からん。
「出ぇへんって?」
「制限速度五十の道路でな。四十キロまでしか出さんかった」
「いや出せや!」
「危ないやろ」
堂々とした返答。
◇
試験官の講評。
『安全確認は完璧です。ウインカー、ミラー、目視、全て教本通り』
『しかし、流れに乗れていません』
『後続車両が渋滞しました』
……渋滞。
姉が。
「六十出せる直線でも四十五やった」
ジョンが小声で教える。
「横から自転車に抜かれとったで」
イスパハンが追い打ち。
私は吹き出した。
「笑うな」
「いや無理やろ!」
完璧超人が、まさかのノロノロ運転。
◇
「安全第一やろ」
宥子は真顔。
「事故ったら意味ない」
「でも流れに乗らなあかんねん!」
「流れが速すぎる」
「世の中そんなもんや!」
私は机を叩く。
「五十は出せ! せめて五十!」
「怖い」
小声。
え。
「……怖い?」
「速いのは苦手や」
その告白に、全員が静まり返る。
◇
翌日、補習。
私は勝手に見学に行った。
「今日は四十から五十へ」
教官の指示。
宥子はハンドルを握る。
じわじわ加速。
四十。
四十三。
四十七。
「あと少しです」
教官が言う。
五十に届く前に――ブレーキ。
「何で止める!」
「鳥がおった」
「遠いやろ!」
◇
二回目。
直線道路。
「今です!」
アクセルを踏む。
四十五。
四十八。
五十。
五十一。
車体がわずかに震える。
「……速い」
「普通や!」
だが持続できない。
四十六へ減速。
教官がため息。
◇
再試験当日。
私は物陰から祈る。
「行け……行け……」
発進。
右折。
合流。
ここが鬼門。
流れは五十五前後。
宥子の車、四十五。
後続車、距離詰まる。
「踏めぇぇぇ!」
私は叫びそうになる。
五十。
五十二。
維持。
そのまま直線を抜ける。
◇
結果発表。
「不合格です」
理由。
『最高速度到達時間が基準より遅い』
『交通の円滑を阻害』
私は頭を抱える。
「安全運転やのに」
姉は納得いかない顔。
「安全“だけ”では足りません」
教官が淡々と言う。
◇
三度目の補習。
私は直接横に乗った。
「速度は悪ちゃう」
「怖い」
「私がおる」
「それが一番不安や」
「何でや!」
だが、私は真面目に言う。
「速さは危険ちゃう。制御出来へんのが危険や」
姉は黙る。
「姉は制御出来る。完璧主義やろ」
アクセルが踏まれる。
五十。
五十五。
六十。
風景が流れる。
姉の目は真っ直ぐ。
「……いけるやろ?」
「……うん」
小さな頷き。
◇
四度目の試験。
今度は安定。
五十キープ。
合流も自然。
追い越し車線でも怯まない。
そして。
「合格です」
ようやく渡された免許証。
宥子は静かに受け取った。
◇
屋敷で小さな祝賀会。
紅唐白が免許証を雷で焦がしかけ、慌てて止める。
「焦がしたら再試験やぞ」
「やめてぇぇ!」
笑いが起きる。
◇
「完璧ちゃうとこ見れて安心したわ」
私は言う。
「うるさい」
「でも、よう踏んだな」
「……ありがとう」
珍しく素直。
◇
夜。
庭に停められた新しい車。
月光に照らされる。
「次は遠征やな」
宥子が呟く。
「速度出せるん?」
「出す。必要なら」
頼もしい。
ノロノロ姫は卒業。
だが私は忘れへん。
自転車に抜かれた日のことを。
そして心の中でそっと思う。
――トラブルメーカーは私ちゃう。
この人や。




