間話1−5 血の暗殺者
亜嵐は、今にも倒れそうな身体を引きずりながら、
教会の前まで辿り着いた。
はぁ……はぁ……
息が荒い。
妖刀・亜飲を杖代わりにしなければ、
立っていることすらできなかった。
(少し……休めば……)
教会に入り、炯眼を待ちながら、
回復するつもりだった。
だが――限界は、思っていたよりも近かった。
熱が上がる。
呼吸が整わない。
身体が、内側から震え出す。
扉に手をかけた、その瞬間。
―ごぷっ。
亜嵐は、血を吐いた。
次の瞬間、
へそ付近を、硬い“何か”が貫いていた。
黒い、硬質の物体。
それが引き抜かれると同時に、
亜嵐の身体は前のめりに崩れ落ちた。
「ひひひ……ひひひひ……」
背後から、耳障りな笑い声が響く。
聞き覚えのある声だった。
「千草亜嵐……ひひひ……」
亜嵐は、床に伏せたまま、
必死に体勢を変え、背後を見る。
そこに立っていたのは――
廃墟で自分を襲った、
長い黒髪の男。
暗殺ギルド所属の暗殺者。
億舵 鉄心。
「素人が調子に乗るから、こうなるんだぜぇ……ひひひ」
億舵は、心底楽しそうに笑っていた。
亜嵐は息が荒く、声が出ない。
そんな様子を見て、
億舵はさらに笑みを深くする。
次の瞬間、
亜嵐の足に、髪が絡みついた。
そのまま、逆さに吊り上げられる。
「おいおい、素人の千草亜嵐くんよぉ」
「あの時みたいに言ってくれよ」
「誰が弱者だって? ひひひ」
「……はぁ……はぁ……」
「……なんで……ここに……」
ようやく絞り出した言葉に、
億舵は大げさに肩をすくめた。
「なんで、って?」
「あぁ、そっかそっかそっか」
「素人くんには、分かんねぇかぁ」
億舵は、顔をぐっと近づける。
「だってよぉ」
「噂を流したの、俺だもんよ」
その言葉に、
亜嵐の表情が、完全に消えた。
理解が、追いつかない。
「プロなら騙されねぇ」
「でもよぉ……お前は素人だ」
「炯眼が、こんなとこにいるわけねぇだろ」
「七年前に消えた、伝説の殺し屋だぞ?」
「ばーか」
「ひひひひひ!」
億舵は、身振り手振りを交えて、
執拗に、楽しそうに挑発を続ける。
「それとよぉ」
「教会の死体も、殺したのは俺な」
亜嵐の喉が、わずかに動いた。
「……仕事か……?」
「仕事ぉ?」
「んなわけねぇだろ」
「あんな一般人」
「プロの中のプロである俺に、
依頼なんか来るかよ」
「じゃあ……なんで殺した?」
億舵は、にたりと笑った。
「理由?」
「簡単だろ」
「俺に恥をかかせた素人くんに」
「復讐するための餌だよ」
「世の中のルール、知ってるか?」
「弱者はなぁ……」
「どんな理由で殺されても、
文句言っちゃいけねぇんだぜ」
「ひひひ」
そして、問いを投げる。
「なぁ、素人くん」
「俺とお前――」
「どっちが弱者だと思う?」
沈黙。
やがて、亜嵐は低く答えた。
「……弱者か」
「君は……誰よりも弱者だ」
「――不正解でーす」
億舵は、即座に宣告した。
「殺しまーす」
次の瞬間、
亜嵐の身体が、振り回され、
教会の中へと投げ込まれた。
中央の通路を転がり、
亜嵐は床に叩きつけられる。
だが――
刀だけは、手放さなかった。
「さてさて……」
「どうやって殺そうかなぁ」
「プロの中のプロらしくよ」
「素人くんに、見せてあげる」
勝利を確信した億舵は、
ゆっくりと教会へ足を踏み入れる。
そのとき。
亜嵐は、長椅子の下にある死体へ、
妖刀を突き立てた。
「……ごめん」
「少し、借りるね」
「……そのかわり
君たちの無念は必ず晴らすから」
亜飲が呼応するように脈を打つ。
死体から血を吸い上げ、
柄へと送り、
亜嵐の手首から、体内へ流し込む。
輸血。
青白かった顔色が、
わずかに戻る。
腹の出血も、止まっていく。
「……な、何してやがる……」
億舵が、初めて動揺した。
亜嵐は、刀を支えに、ゆっくりと立ち上がる。
「初めてかもしれない」
「こんなに……気に入らない人間に会ったのは」
声は静かだった。
だが――そこに宿るのは、純粋な怒り。
「虫唾が走る」
「君は、僕が一番嫌悪する人間の類いだ」
亜嵐は、剣を構える。
「殺してやる」
「吸い殺せ、亜飲」
その瞬間。
億舵の全身から、汗が噴き出した。
本日四度目の発動。
亜嵐の身体は、すでに限界に近い。
――それでも。
憎悪だけが、
限界を、超えていった。
※
亜嵐の目に、はっきりと殺意が宿った。
億舵の髪の刃が、無数に襲いかかる。
だが亜嵐は、避けようとしなかった。
長椅子に挟まれた中央通路を、ゆっくりと歩く。
剣を正面に構え、
急所に当たる刃だけを弾く。
それ以外は――
肩に、頬に、腕に。
刃が触れ、肉が裂け、血が流れた。
「ひひひ……どうした、素人くん」
億舵は笑おうとした。
だが、その口元はわずかに引きつっていた。
攻めているのは自分のはずなのに、
足が、無意識に後退していく。
床に、汗が落ちた。
亜嵐は怒っていた。
だが、思考は冷えていた。
(軍服の彼女との戦い)
(僕は血を吸わせすぎた)
(彼女は“量”じゃない。“質”だった)
亜嵐が髪を弾きながら前に出る。
妖刀・亜飲が、落ち着かないように形を変え始めた。
億舵は理解していた。
前の戦いで、亜嵐が強いことは知っている。
だが――
亜嵐は満身創痍
髪は一本も切られていない
(俺のほうが上だ)
そう思った瞬間、亜嵐が呟いた。
「妖刀って、なんだと思う?」
「……知るか」
億舵は意味が分からなかった。
体毛すべてを意識し、攻撃を増やす。
手数。圧。量。
亜嵐の傷は増えていく。
(勝てる。俺はプロだ)
だが、亜嵐の言葉は止まらない。
「なんで妖刀は、人の感情や想いに応えるんだろう」
亜飲が、脈打つ。
肥大化。
膨張。
亜嵐の姿が、完全に隠れた。
億舵の動きが止まる。
「……は?」
次の瞬間。
刀は、元の大きさへと収束した。
赤い光だけを纏って。
「失敗か……?」
そう呟いたのは、億舵だった。
だが――
髪の刃が、簡単に斬り落とされた。
「……ひっ」
笑いではない。
怯えた声だった。
攻撃を続けるが、
すべてが、亜嵐の一閃で切り裂かれていく。
足が震え出す。
「ありえない……!
俺は暗殺ギルドでも五本の指にはいる!
暗殺者の頂点、プロの中のプロだ!」
わずか十秒。
亜嵐は、ゆっくりと億舵の前に立った。
亜嵐は血だらけ。
億舵は無傷。
だが――
勝敗は、誰の目にも明らかだった。
「ねぇ」
声をかけただけで、
億舵は尻餅をついた。
「教えてくれないか」
「や、やめてくれ……!」
亜嵐が横薙ぎに刃を構える。
「人を殺すって、どんな気分なんだ?」
一閃。
トン、という音。
血が広がる。
亜嵐は、それを見下ろし、小さく息を吐いた。
「……やっぱり、気持ちいいものじゃないな」
少し笑って、安心したように呟く。
「僕、暗殺者には向いてないかもね」
そう言って、亜嵐は去っていった。
※
教会に踏み込んだ瞬間、
沖水は異変を理解した。
長机の下に転がる死体。
何度も、何度も、串刺しにされた痕。
だが――
中央に倒れていた死体は、違った。
首と胴は、正確に切り離されている。
切り口は滑らかで、外傷はほとんどない。
一撃だった。
迷いのない、一太刀。
(……同じ人間の仕業じゃない)
沖水はそう判断した。
隊員たちに後処理を指示し、
ふと、教会の外へ出る。
夜空には、星が出ていた。
星空を見て綺麗だ、とは思わなかった。
頭に浮かんだのは、
あの、綺麗すぎる切り口だった。
誰がやったのかも分からない。
だが――
あの死体は、苦しまなかったはずだ。
(……)
一瞬、胸がざわつく。
(……優しい、暗殺者もいるのかもしれませんね)
そう考えてしまった自分に、
沖水は小さく息を吐いた。
新星組は事件の後処理を終えた。
犯人は、最後まで見つからない。
事件は、迷宮入りした。
――それから、二年後。
沖水は、変わらず仕事をしていた。
危険で、忙しく、変わらない日々。
その中で、ある名前を
頻繁に耳にするようになる。
暗殺ギルドの新人。
異様な強さを持つ暗殺者。
名は――
血霧の亜嵐。
「……また、厄介なのが出てきましたね」
沖水はそう言って、微笑んだ。
「でも、大丈夫です」
「必ず、私が捕まえますから」
隊員たちは、その笑顔に
なぜか背筋を伸ばした。




