間話1-4 血の暴走
亜嵐は、赤い霧を展開した瞬間から、
短期決着を狙っていた。
できることなら――
沖水を傷つけず、気絶させて終わらせる。
だが、その考えは、すぐに砕かれた。
パキ、パキ、と乾いた音が鳴る。
赤い霧が、凍った。
空間そのものが冷気に覆われ、
霧は白く結晶化し、視界が一気に晴れていく。
その光景に、亜嵐の背筋を寒気が走った。
「……驚きましたか?」
沖水の声は、静かだった。
「私の異能は水操作です」 「温度調節もできます」 「冷やせば氷。温めれば――熱湯です」
赤霧は、もはや意味を失っていた。
「……なるほど」
亜嵐は、乾いた笑みを浮かべる。
「僕は君に手加減をしようとしてた」 「……でも、間違いだったみたいだ」
汗が、頬を伝う。
(想定外だ)
勝てると思っていた。
亜飲の力が、通じると信じていた。
だが、今ので分かった。
(……効かない)
「では、もう一度聞かせてください」
沖水の声が、少しだけ強くなる。
「投降してはくれませんか」 「私は、あなたが犯人ではないと考えています」 「ですが、あの場にいたのは事実です」
一歩、踏み出す。
「あなたの無実を証明するために、時間を下さい」 「だから、一度――」
その言葉は、途中で遮られた。
「ごめんね」
亜嵐は、首を振る。
「無理だよ」 「僕には、どうしてもやらなきゃいけないことがある」
空を見上げる。
逃げ出したときは、朝だった。
今は、もう夜空が広がっている。
「ここからは――死ぬ気でいくよ」
静かに、だがはっきりと告げた。
「僕、は曲げられないだ」
「……どうしてもですか?」
「どうしてもだよ」
一瞬の沈黙。
「……そうですか」
沖水は、息を整える。
「気持ちは分かります」
「ですが……私にも、曲げられないものがあります」
「そうだね」
それ以上、言葉は交わされなかった。
沖水の刀に纏われた水が、湯気を立てる。
氷は溶け、次の瞬間には――熱湯へと姿を変える。
亜嵐の表情が、引き締まった。
(仕方ない)
刀を、地面に向ける。
「――吸い尽くせ、亜飲」
甲高い、叫びのような音が響く。
妖刀は膨張し、歪み、
やがて形を保ったまま、脈を打ち始めた。
刃が巨大化する
ここから先に、
手加減も、情も、真心もない。
両者、本気。
戦いは――
今、完全に始まった。
※
亜嵐が刀を振り下ろすと、
まるで巨大な鈍器で地面を殴りつけたかのような衝撃が走った。
地鳴りが響く。
亜嵐の妖刀は脈を打ち、急激に肥大化する。
だが、それに比例するように、亜嵐の肌は青白く変色していった。
さらに――
亜嵐の呼吸が、明らかにおかしかった。
沖水は刀に纏わせた熱湯を、斬撃として放つ。
亜嵐は肥大化した刀でそれを受け止めた。
斬撃は刃に触れた瞬間、水へと戻り、
湯気を上げながら弾け飛ぶ。
水滴が亜嵐の顔と腕に降りかかり、
皮膚が焼ける音がした。
「はぁ……はぁ……」
亜嵐の呼吸は整わない。
その場からほとんど動いていないにも関わらず、
体力と血液は、刻一刻と亜飲に吸われ続けていた。
妖刀は、さらに肥大化する。
(……制御できていない)
沖水は即座に判断した。
(このままでは……死ぬ)
だからこそ、
生かすために、戦いを終わらせる。
沖水は距離を取り、斬撃を飛ばしながら隙を探る。
肥大化した刀に遮られ、亜嵐の姿は正面から見えなくなっていた。
そのとき――
刀が持ち上げられ、後方へ引かれる。
露わになった亜嵐の顔は、
紫色に変わった唇、青白い肌。
明らかに、限界を超えていた。
次の瞬間、
亜嵐が刀を振り下ろした。
血の斬撃が放たれ、地面を削りながら沖水を襲う。
沖水は受けるのを諦め、回避に徹した。
――次の瞬間。
斬撃は、空中で不自然に歪み、弾けた。
(……っ?)
亜嵐自身も、わずかに目を見開く。
狙った挙動ではなかった。
血の制御が、まだ甘いかった
放出した血が、形を保てなかったのだ。
だが、その失敗は――
結果として、沖水の全身に血を浴びせた。
沖水の視界が奪われる。
「……っ」
目に入った血で、沖水は反射的に目を押さえる。
その隙を逃さず、
亜嵐は床に広がる血溜まりへ刀を沈める。
血を吸い上げながら、
ぺた、ぺた、と音を立てて近づいてくる。
刀は脈打ち、吸い上げた血が柄へと流れる。
それに呼応するように、亜嵐の手首も脈打った。
――血が、戻る。
青白かった顔色が、ほんの僅かに回復する。
沖水は目を閉じたまま、耳に意識を集中させた。
(……近い)
刀を構え、音だけを頼りに横薙ぎに振るう。
だが、
斬った感触はなかった。
「……終わりにしよう」
すぐ側で、声がした。
(――死ぬ)
そう思った瞬間。
静かな音が、一つ。
そして、
刀を鞘へ収める音が響いた。
やがて、視界が戻る。
沖水は自分の身体を確認した。
首も、胴も、どこも切られていない。
流れている血は――
すべて、亜嵐の斬撃が弾けた血だった。
違和感に気づき、刀を見る。
刃が、ほとんど残っていない。
折られていた。
「……なんで、ですか」
背を向けた亜嵐に、沖水は問いかけた。
亜嵐は、顔だけ振り向く。
まだ青白い肌。
病人のように、今にも倒れそうな表情。
「ごめんね……僕は、人を殺したくないんだ。君を傷つけたくなかった」
「……あなたは、何者なんですか」
「僕は……何者なんだろう」
沖水はなにも返せなかった。
亜嵐は再び背を向け、
ふらつきながら、その場を去っていく。
やがて、新星組の隊員たちが戻ってきた。
血だらけの沖水を見て、驚きの声が上がる。
「大丈夫ですか!」
「大丈夫です。これは……私の血じゃありません」
「返り血ですか……さすがですね」
そのとき、
隊員の一人が、遠ざかる亜嵐の背を見つけた。
「隊長! 見つけました! 捕まえましょう!」
沖水は、静かに首を振った。
「捕まえなくていいです」
「……え?」
「彼はきっと無実です。
本物の犯人を捕まえましょう」
隊員たちは戸惑いながらも、頷き、散っていった。
正直に言えば――
今の状況なら、亜嵐を捕まえることは容易だった。
いつもの沖水なら正義のために亜嵐を捕まえていた
だが、今の沖水は追わせなかった。
亜嵐から、感じたものがあったからだ。
――大切なものを探すために、命を賭ける覚悟。
自分と似たような覚悟をしている
(……次に会えたら、今度は、話がしたい)
沖水はそう思えた




