08 神経衰弱
風間春平は僕たちの大学で通信工学の講師をしている。かつてのミスコン実行委員長だ。僕も彼のことはなんとなく覚えている。成績優秀。眉目秀麗。異性からの人気も高く、バレンタインにチョコを何十個ももらったとか。自分がミスコンに出て優勝してしまったとか、いろいろな伝説を持っている。
僕も彼とはあまり親しくはなかった。まるで別世界の人間だから。ああ、僕とは違うなあ、きっと一生縁はないんだろうなあ。そんなふうに思ったものだが……。
「ふむふむ。それで、佐山くんの転部にはミスコン実行委員会が絡んでいるのではと思ったんだね」
忙しいだろうに僕たちを研究室に招き入れてくれた風間は、嫌な顔もせず話を聞いてくれた。応接用の部屋に通し、自らコーヒーまで淹れてくれる好待遇っぷりだ。
「そうなんだ。浩一の転部の真相を知りたい。あのとき何が起こっていたのか教えてもらえないだろうか」
風間のそのにこやかな表情の裏にあるものを見抜くこともできず、このあと僕の身に降りかかる災難を予測する由もない僕は、好感触に小躍りしながら身を乗り出す。ああ、なんと愚かな僕だろう。地獄ラーメンの店主が忠告してくれたではないか。彼は手ごわいぞ、と。
「話は分かった。ちょっと、失礼」
その端正な顔に友好的な笑みをはりつけたまま席をたった風間は、白衣をひるがえして背後の棚に向かう。棚の前で立ち止まると引き戸の鍵を開け、中から何やら取り出す。戻ってきた彼の手には小さな四角い箱が握られていた。
「いいよ。教えてあげよう」
そう言いながら箱を机の上に置く。僕たちに向けられた彼の表情から先程までの優しい笑みは消え、その目に不適な光が怪しく輝いていた。
「だたし。これに勝ったら」
それはトランプだった。僕が固まってしまったのは、勝負を挑まれたからではない。そのカードに描かれている絵が、独特だったからだ。
大きなぱっちりした目の、華奢な体型には不釣り合いな大きな胸をした美少女たち。萌え絵というのだろうか。どのカードをめくっても彼女たちが微笑みかけてくる。鎧をまとった美少女。ドレスをきた美少女。青い髪の美少女。黄色の髪の美少女。踊る美少女。祈る美少女。美少女。美少女。美少女……。
「こ、これは。ラヴ・クイーンのキャラたち」
鳴美が興奮ぎみに解説する。
「マニアの間で根強い人気を誇るアニメで、何回もシリーズ化されているんだよ」
「俺はラヴ・クイーンの大ファンなんだが、研究室や後輩には同士がいなくてね。せっかくトランプを買っても一緒に遊ぶ相手がいないんだ」
風間は照れ笑いしながら僕の肩に腕をまわしてきた。
「なあ。俺とトランプしようぜ。勝ったら知りたいことを教えてあげるから」
〇
かくして風間とのトランプ対決の火蓋が切っておとされた。僕と彼の一対一の三番勝負。
風間が指定したゲームは、よりにもよって神経衰弱だった。記憶力と集中力が試されるゲームだ。残念ながら僕はどちらにも自信はない。しかも、それぞれのカードに描かれる美少女たちが気になって、ただでさえ低い集中力がさらに乱された。彼女たちの魅惑の視線にさらされるたび、相手は絵なのになぜか心がどぎまぎして、ついつい視線を伏せてしまう。何を恥ずかしがっているんだ僕は。と己を叱咤するものの。人見知りの気のある僕にはなかなかにしんどい。それになんだか、知らない世界に引き込まれてしまいそうで恐ろしくもあった。
「よっし。六枚連取!」
一方風間は、水をえた魚のように生き生きとしている。恐ろしい奴だ。めくったカードは必ず覚えていて、僕が失敗しようものなら、すべてを持っていってしまう。こやつ記憶力も相当なものだ。しかも……。
「エリザベートちゃぁぁぁ~ん。カルロッタちゃんも、今迎えにゆくよ」
とったカードに頬擦りせんばかりの様子で話しかけている。なんなんだこの一枚一枚のカードに対する執着は。唖然としながら、残り少なくなったカードを僕はかき混ぜる。しかし彼はまったく動じる様子もなく、ピンポイントでねらったキャラを引き当てる。
「キャラ愛だよ、君」
とったカードを撫でながら彼は得意気に言った。
「どこにいこうが、俺は彼女を見つけ出すことができる」
その自信に満ちた迷いない視線に、僕の心は早くもおれそうになる。無理だ。こんな奴に勝てっこない。と。
〇
三回勝負のうちあっという間に二ゲーム落とした僕は、絶望的な気持ちで三ゲーム目を迎えた。一ゲームでもとればよしとしてくれたが、正直一ゲームもとれる気がしない。それより精神的ダメージの方が深刻だ。どうせ負けるなら、すぐにでも降参したい気分だった。
「あきらめたら、そこで、ゲーム終了ですよ」
そんな僕の傍らで、鳴美がどこかで聞いた名言のパクリみたいな台詞を吐いた。
いや、もう終了してもいいんだが。と喉まででかかったところで、風間がカードをめくり始めた。
金髪の髪をなびかせた剣を持つ少女。もう一枚はやはり黄色い髪をなびかせた少女。しかし風間はそれをとらずにまた裏返す。
あれ。同じじゃないのか。
とまどううちに僕の番が回ってくる。めくって現れたのは黄色髪の少女。これはさっき見たような。でも、どっちだっけ。どちらも同じに思えたが……。ああ、だめだ。やはり僕にはこんなゲーム、できっこない。
諦めかけたそのとき、僕のかたにそっと手が当てられた。
振り向くと、僕のすぐ横に鳴美の顔があった。彼女はカードたちに向けた目を細め、口許を柔らかくほころばせながら僕に囁きかける。
「さっきの剣を持つ金髪の子はエリザベートちゃん。今の黄色い髪の子はマルグリットちゃん。彼女は目の下のほくろがチャームポイントなの。お母さんの形見のイヤリングをいつもしている」
そして僕の目をのぞきこむ。
「それぞれのキャラには背景と個性がある。人間のように。それをよくみて」
彼女の顔が僕の傍らから離れる。肩におかれていた手が離れ、そして一呼吸おいて、今度は僕の背中にその感触がよみがえる。その熱が僕の背から頭に突き抜けたとき、僕は唐突に悟った。頭の中が澄みわたってゆく。そうだ。そうだったんだ。
僕は迷わずに手を伸ばす。さっきの黄色髪をなびかせた少女が現れる。マルグリットちゃん、ゲットだ。すかさずもう一枚をめくる。しめた。剣を持つ金髪の子、エリザベートちゃんだ。さっき別の場所のカードを風間が引いた。
突然よくなった僕の動きに、風間の表情も一変した。薄笑いを浮かべていた表情を引き締め、身を乗り出す。
「連取……だと。しかしまだまだ。その程度ではこの俺は崩せん」
「なんの。今までの僕と思うなよ。今度こそ、勝つ」
風間は容赦なくカードをとっていく。しかし僕も取りこぼすことなく彼についてゆく。
もっとよくキャラを見ろ。観察しろ。それぞれのキャラの個性を。ヒントはすべてそこにある。ただし現れるのは一瞬だけ。その一瞬に全神経を集中させるんだ。
「な、なにぃ~。四連取だとぉ。このままでは……」
風間の焦りをよそに僕はカードをめくり、とってゆく。少しずつ、しかし着実に彼を追い詰める。不思議だった。いくら鳴美の助言があったといっても、ラヴ・クイーンにはじめて触れた僕が、キャラ愛あふれる風間と互角の勝負を繰り広げるなんて。いや、二試合するうちきっと僕も、知らず知らずのうちにこの世界に引き込まれていたんだ。それが鳴美の言葉で引き出され覚醒した。そうとしか思えなかった。
僕は残り数枚となった机上のカードたちに目を凝らす。次に何が出る。僕が引くべきカードはどれだ。集中する。僕のすべての集中力をそこに注ぐ。
そのとき不思議なことが起こった。あるカードが浮かんで見えたのだ。僕はそのカードをめくる。すると別のカードが浮かび上がる。
見える。見えるぞ!
僕は勝利の確信にうち震えながら、次々浮かび上がるカードに手を伸ばし続けた。




