07 血の池ラーメン
「あの出来事の真相について教えてほしい、だあ?」
僕の来訪理由を聞くなり、その男は眉を逆立て、そのギョロリとした目をさらに大きく見開いた。そうなるとさらに迫力が増す。彼こそは件の人物。当時の報道部新人、大仏君だ。地獄絵からそのまま出てきたみたいな雰囲気を撒き散らしているがれっきとした人間。しかも年下。とてもそうは見えないとは言ってやらないことにしよう。あと、名前のことも。
「そうなんだ。佐山浩一がどうして報道部に転部したのか、理由を知りたい」
怯みそうになる心を鼓舞して、僕は立ち向かう。ここまで来たら退くわけにはいかない。
「そうだなあ……。ただで教えてやるわけにはいかねえ。まずはこれを食ってもらおうか。完食が条件。話はそれからだ」
そして彼は奥に引っ込むと、やがて湯気の立つどんぶりを二つ持ってきて、僕と鳴美の前に置いた。
真っ赤に煮えたぎったそれは、とてもラーメンには見えなかった。というか、本当に口に入れていい代物であるかどうかもわからない。カウンター席の丸椅子に尻の三分の一だけのせていた僕は、目の前に出されたそのどんぶりを見て、はやくも腰を浮かしかけた。
「当店自慢の、血の池ラーメンでーす」
閻魔大王……もとい、大仏君が僕の逃避を牽制するように腕を組んで得意気に笑う。
「わあ、美味しそうだね。ヒロポン」
鳴美は涼しい顔でそう言って、箸をとった。
やっぱり来るんじゃなかった。
後悔の念を強くしつつ箸に手を伸ばしながら、僕は彼女の表情を改めてのぞきこむ。っていうか鳴美よ、お前はこれを見てなにも思わないのか。
僕は呼吸を落ち着けながら努めて冷静に考える。他に方法はない。事件の真相を知るには、この血の池ラーメンをどうしても食べなければならないのだ。大丈夫。一応食い物として出されているんだ。食べられないことなどあるものか。案外見た目だけかもしれないし。
そのとき、僕のとなりで荒い息を吐きながらどんぶりをつついていた中年男性が突然立ち上がった。天井を向いて魚みたいに口をパクパク開け閉めしている。しばらくそうしていたかと思うとカウンターに千円札を叩きつけて、脱兎のごとく店から飛び出していった。少し間をおいて外から彼のものとおぼしき「ウギャー」という叫び声が流れ込んでくる。残された彼のどんぶりを覗くと、四分の一も減っていないように見えた。
「さあ、食べよう」
今の光景をみてもそんなことをのたまう鳴美は、恐怖の神経がすり減っているのか。頬にかかりそうになる髪を耳の後ろにかきあげて、真っ赤な麺をすくいあげ、ちゅるちゅるとうまそうにすすった。
「えーい、わかった。食えばいいんだろう。やってやるよ」
もうこうなったら破れかぶれだ。いけるところまでいってやる。
〇
僕と鳴美の死闘は十五分にわたってつづいた。その十五分は、僕が今まで経験したいかなる食事時間よりも長く感じた。幾度も死線をさまよい、意識ももうろうとしながらもただ目の前のどんぶりに箸をつっこみ、つかんだものを口にいれる。その動作をいくら繰り返してもいっこうに減る様子を見せないどんぶりの中身に、僕はどれだけ絶望感を味わったことだろう。このどんぶりには無限に麺を発生させる特殊な装置でもついているのでは、と疑いたくなる。
そして十五分……。激闘の果て、鳴美はついにこの血の池ラーメンを完食した。スープもすべて飲み干して。
「ぷはー。おいしかった」
汗のひとつもかかずにそんなことをほざいている。この女。恐怖どころか、五感も麻痺してるんじゃないか。と疑いたくなるような余裕っぷりだ。ほんとに人間かよ。
ちなみに僕は完食はできなかった。スープは全く飲み干せなかったし、麺も少し残してしまった。あと少しじゃないかこの腑抜けと罵るなかれ。これでも頑張ったんだ。これ以上の刺激を与えたら、僕の舌も脳も発火してしまうであろうと、汗にまみれた上半身をカウンターに横たえながら僕は思う。すまん浩一。僕はここまでだ。
僕の消沈に反して、店主の声は実に明るく愉快そうだった。
「姉ちゃん、大したもんだな。兄ちゃんも、頑張った。ここまでやったお客はじめてだよ」
「じゃあ、おまけしてくれるんですか」
「ああ。本来、スープまで全部飲み干さなくてもよしと思ってたんだ。だから、姉ちゃんがスープ飲み干した分、平均して、二人完食ってことでいいよ。それで、何を教えてほしいんだっけ」
「こ、浩一が、突然報道部に転部した、その理由を知りたい」
まだヒリヒリする舌をなんとか動かして、僕は最初の質問を再び言う。
大仏君は腕を組んでしばらく何事か考えていたが、やがて頭をかきながら苦笑いした。
「すまん。俺もよくわからんのだ」
その瞬間僕はカウンターに手をついて、彼につかみかからんばかりの勢いで立ち上がった。閻魔大王の形相になっているのは今や僕の方だったろう。このやろう。ここまでやらせておいて、知らぬですまさんぞ。
その剣幕に恐れをなしたのか、大仏君は言い訳をするように言葉を続けた。
「あ、いや。直接の理由は知らない。ただ、佐山さんのことは覚えている。あのとき、報道部にも彼に関して不思議なことがあったからね」
「どんな」
「当時ある先輩がミスコン実行委員に頻繁に取材にいっていたんだ。スクープがあるからと、力を入れている様子だった。でも、なぜかその記事は転部したての佐山さんに引き継がれた。信じられなかったよ。新入りひとりに、スクープをまかせたんだよ。しかもできた記事は実に平凡な、大したことのない内容だった」
「ミスコンだって。それって……」
僕と鳴美はお互いの顔を見合わせた。
「それ、私が六位に入ったやつだー」
ミスコン。春の学園祭での恒例イベントだ。あの年、鳴美が冗談でそれに出場して、意外にも六位に入賞してしまった。お祝いにと浩一と彼女と三人で朝まで飲み明かしたのを覚えている。
そのミスコンについての取材活動中の転部。そして、報道部に入部してすぐの、不自然な形での記事の担当。浩一は、よっぽどそのミスコンの記事を書きたかったということか。しかしそれならば、浩一ほどの人間がどうして、平凡な記事しか書かなかったのだろう。
「その先輩とやらと、連絡は取れるか」
僕の問いに、大仏君は困ったように眉を下げて首を振った。
「その先輩はそれからしばらくして大学を辞めてしまったんだ。何も語らずにね。それ以来誰も彼のその後の消息はわからない」
どうやら、これ以上は報道部関係にあたっても得られるものはないようだ。
ならば……。
「そのミスコン実行委員だった人に、話をきいてみたいね」
僕の提案に、鳴美もうなづく。
「ねえ、閻魔君。誰か知りあいはいないの?」
「ああ、それなら……」
かってに鳴美に閻魔様にされてしまった大仏君は、その冗談を綺麗にスルーして重要な情報を教えてくれた。
「それなら、同じ研究室の先輩に。ミスコン実行委員長をやっていた人がいたな。たしか彼はいまもあの大学に勤めているはずだ。ただ、俺はあんまり話したことがない」
そして沈鬱な表情で僕たちに顔を近づけ、声をひそめた。まるで鬼の住む島に向かわんとしている者に対するように。
「会いに行くなら気をつけろ。彼は、手ごわいぞ」




