09 事件の真相
「いやあ、楽しかったよ。ありがとう」
風間はそう言って、僕に手を差し出した。死闘の果て、第三ゲームに勝利したのは僕だった。自分でも信じられない思いで、勝負の興奮にまだ息を荒くしながらも、僕は彼と固い握手を交わした。
「二人ともがんばったよ。いい勝負だった。感動した!」
鳴美もまた誰かのパクリみたいなセリフを吐きながら入ってきて、三人で肩を組んでお互いの健闘をたたえ合う。なんか友情でも芽生えそうな雰囲気だ。スポコン漫画とかでよくあったなこんな展開。自分とは縁のないものだと思っていたが、まさかこの歳になって、神経衰弱で体験することになるとは。などと考えを巡らせていた僕は、それどころではなかったことを思いだす。
「そうだ。これで教えてくれるだろうか風間くん」
「うーん。いいけど、勝負をしたらなんだかおなかが減ったなぁ」
こいつ。あの地獄ラーメンをご馳走してやろうか。と、早くも生えかけた友情の芽を引きちぎって踏みつけてやりたい衝動に駆られる。しかしそれを何とかこらえて僕は、傍らに控える鳴美に目配せをした。
「あ、そうだ。忘れていた。風間さま。どうぞこれを。つまらぬものですが……。私どもが用意しました、菓子にございます」
手土産に持ってきた菓子の箱をさしだし、鳴美はゴマをするように揉み手をしながら追従笑いを浮かべる。なんか悪代官におもねる悪徳商人みたいで気持ち悪い。風間の方も負けじと悪代官顔負けのいやらしい流し目を僕たちに送ってきた。クックッと喉の奥で笑いながら。今にも「お主も悪よのぅ」などと言い出しそうだ。
「ところで風間さま。例の件ですが……」
僕も鳴美にならって悪商人の口調で彼を促す。卑屈に身をかがめて彼の表情をうかがいながら。念を込めて。その菓子、ただの菓子じゃないんですよ。鳴美とふたりで銀座まで買いに行った、いいとこの菓子なんですよ。高かったんですよ。だから、頼みますよぉ。
僕の念が届いたのか、風間は真面目な顔にもどって姿勢を正した。
「うん。約束は守らなくてはね。じゃあ、話そう。あのときのことを。あれはシトシトと沈うつな雨の降る蒸し暑い午後のことだった……」
今度は詩人みたいな語り口調だ。しかしもうそれに突っ込む気にもなれず、僕はおとなしく彼の話に耳を傾けた。
〇
やたらと大袈裟な修辞の多い風間の話は、要約するとこのようなものだった。
ある日、風間のもとに報道部の人間が取材に訪れた。彼が聞きたがったのは、その年の春に行われたミスコンの結果についてだったという。もうすでに結果が出て終わったこのイベントについて、その時期に取材があるのは珍しいことだったらしい。それには理由があった。毎年行われているミスコンはいつも事前に入賞者の予想がたてられて、だいたいその通りの結果になっていたのだが、この年は違った。知っての通り、全く下馬評にも上がっていなかった鳴美が、六位に入賞したのだ。
報道部はどうやらその結果を疑っていたようだ。誰も注目していなかった人物が、六位とはいえ入賞した。これには裏があるのではないか、と。
もちろん不正なんかは全くなかった。鳴美は実力でその結果を勝ち取ったのだ。風間もそれを口を酸っぱくして主張したが、報道部のその男は聞く耳を持たなかった。彼にはその事実はおもしろくなかった。これはスキャンダルが絡んでなければならなかったのだ。彼は言ったらしい。これはスキャンダルということにしよう。そういうことにすれば面白い、と。だから、風間の主張を無視して、彼は嘘の記事をでっち上げようとした。鳴美がミスコン実行委員の誰かとよこしまな関係にあって、不正で六位入賞を果たしたという、でたらめな記事を。
困り果てた風間は、自分とそれから鳴美とも親しかった浩一に相談した。そして話を聞いた浩一は一計を案じた。それが、彼が自ら報道部に入ることだったのだ。
浩一は自分がそのミスコンの取材を担当することを条件に、報道部に入った。
そのデタラメな記事を書かせないために。
〇
「僕としては、ミスコン実行委員会と彼の文芸サークルとで、報道部員の横暴を糾弾しようと思っていたのだが……」
いつのまにかちょっとキザな彼本来の話し方に戻っていた風間は、そう言って髪をなでながら苦笑いした。そう。実際は浩一はことを公にすることなく、騒ぎを起こすことなく静かに収束させたのだ。
「でも、どうして僕にも何も言ってくれなかったんだ」
理由は分かった。しかしそれでもなお一抹の寂しさを感じながら、僕はこぼす。あのときからずっと抱いていた想いを。
「そういうことなら、僕には教えてくれてもよかったじゃないか。……親友、だったのに」
風間はそんな僕を少しの間凝視してから、ふっと息を吐いて窓の外に顔を向けた。
「なぜ転部などという方法をとるのか、当時俺も訊ねたんだ。その時彼はこう答えた。僕には二人の親友がいる、と」
そして鳴美を横目でチラリとみる。
「そのうちの一人は当のミスコン六位で、ことが大きくなれば、デタラメとはいえ彼女の不名誉な噂が広まり、さらには騒ぎを自分の責任と思って、彼女は深く傷つくことだろう。だから穏便に収めるのだ。そして……」
彼の視線が僕に向けられる。
「そして、この事件のことを知れば、もう一人の親友は絶対にそれを許さない。生ぬるい方法などとらず、たとえ相手が誰であろうと徹底的に敵と戦うだろう。だが報道部相手にそれをすれば彼もただでは済まない。戦いの果てにきっと彼自身も疲弊し傷つくことだろう。それも僕は望まない。だから、こんな方法をとるのだ……と」
話し終わった風間は僕と鳴美を交互に見やって、ホッとしたようにほほ笑んだ。
「君たちがその、親友だったんだね」
開け放った窓から風が吹き込み、白いレースのカーテンが舞う。午後の光が指し込んだかと思うと、その光の中にある人物の姿が浮かび上がった。彼は長机に肘をつき、僕たちの方を向いてにこやかにほほ笑んでいた。あの当時、いつもそうしていたように。
「浩一、君は……、僕たちを守るために……」
報道部が正義を振りかざしながら自分の友達の名誉を汚そうとしたことを、誰よりも許せなかったのはきっと浩一だろう。しかしその怒りの中にあって彼は敵を倒すことよりも、友達を守ることを第一に考えた。自分だけが背負えばいい。自分だけがそれを飲み込んで握りつぶせば、すべて丸く収まる。彼はきっとそう考えたのだ。
「……ごめんな。浩一」
僕は彼に手を伸ばしながら、言葉をかける。この十年、かけてあげることのできなかった言葉。理解しているつもりだったのに、最後まで信じ切ってあげることができなかったことに対しての、心からの謝罪。そう。彼は自分が敵をやっつけて英雄になるよりも、友達がつらい思いをしない方を選ぶような男だった。彼のそういうところを、僕は好きだったんだ。
照れ笑いをしながら浩一の幻影は僕に手を振る。その影が光の中に消えたとき、しんみりとした喜びが胸にこみあげた。
「会いたいな。浩一……コウちゃんに」
僕はにじみ出る懐かしさを噛み締めながら、しみじみと言った。
「会えるよ。結婚式で」
鳴美が僕の肩をなでながら声をかけてくれる。あの公園の木々の葉擦れのような、優しい声。振り向くと彼女は、母親が赤ん坊に向けるような柔和な笑みを浮かべて僕を見つめていた。
〇
「よかったね。話を聞けて。いい挨拶が書けそう?」
しんみりした口調で鳴美が声をかけてきたのは、大学をあとにして住宅街の桜並木のしたを歩いているときだった。桜の葉の緑はこの前よりもいっそう濃くなっていて、そのさざめきも力強さを増している気がする。
「ああ。書ける気がする」
僕はぽつりと、しかし確信をもって答える。まだ構成も文章も具体的なものはなにも浮かばないが、気持ちの準備はできた。今の気持ちなら、きっと書ける。
「よかった」
振り向くと、鳴美は心底うれしそうにほほ笑んでいた。一瞬、僕の胸がドキリと鼓をうつ。はからずも足がもつれてつまづきそうになる。そんな僕の前に彼女は突然回り込んで、後ろ手を組みながら僕の顔をのぞきこむ。
「そうだ。じゃあ、私にお礼をしなさい」
「なんだそりゃあ」
「つべこべ言わないの。いいでしょ。新宿に気になるケーキバイキングのお店があるんだよ。日曜にいこうよー」
「ああ、もう。わかったよ」
僕は思わず承知してしまう。思えばここ最近、ずっと彼女のペースにのせられっぱなしだ。でも、それも悪くない。停滞していたなにかが流れてスッキリしていく。そんな感覚が今の僕を違ったものにしようとしているように思えるから。




