05 部室棟肝試し
顔をあげると、オフィスの窓の向こうに見える空からはいつのまにか暮れ色が消えていて、僕はあわててパソコンをシャットダウンした。
「もう帰るんすか先輩。さすが暇ですね」
牧野の皮肉を無視して立ち上がる。こいつの相手をしている暇こそ今はない。今日はこれから大事な用事があるのだ。
大学にいって浩一との出会いを思い出したあの日から、僕は鳴美と一緒に色々なことをしている。学生時代の追体験を。浩一とのエピソードを思い出すために。
河原での花火。バーベキュー。近所の丘のハイキング。ツチノコ探し……。みんな鳴美とふたりでやった。たしかにこの二三週間、仕事そっちのけでこの鳴美との学生追体験に夢中になっている。でも、今の僕にはこれは仕事よりも大事なことだった。それに別にサボっているわけじゃない。休日や終業後にやっているのだからとやかく言われる筋合いはなかった。成果の方は未だあがってないけど。
「あ、そうだ。これ広報部の奴から頼まれてたんですけど、先輩が書いといてくださいよ。俺、忙しいから」
相変わらずの不遜な態度に腹をたててる時間も惜しい。内心舌打ちしながら差し出された紙を奪い取り、確認もそこそこに机に放り込む。
「あと。俺、おなかすいちゃった。チョコがほしいなー」
牧野はオフィスの隅に目を向けながら、財布から出した千円札をひらひら振る。その視線の先には菓子の棚。オフィスに設置されている置き菓子サービスの棚だ。何か買って来いということだろうが、それは無視して僕は脱兎のごとくオフィスから抜け出た。
〇
「おそいよー、ヒロポン。はやくいくよ」
駅前広場で僕を見つけるなりそう口を尖らせた鳴美は、休む間もくれずに足早に繁華街へと歩を進めた。これでも走ってきたんだぞ。仕事場を先に出てくるのって結構勇気が必要で、そもそも今日のことはあまり気が進まなくて……。そんな愚痴を吐き出そうにも息が切れているので言葉にならない。さらに鳴美はどんどん先にいってしまうので、愚痴は後回しにせざるを得なかった。
人でごった返す通りをぬけ、レンガ畳の商店街に入り、細いビルの狭い階段を上がっていく。ごちゃごちゃしたメニュー板の前で立ち止まり、チリンと鈴の音を鳴らして木の扉を押す。オレンジ色の照明の照る薄暗い店内に足を踏み入れると、その落ち着いた内装とは裏腹の、潮騒のような賑わいが押し寄せた。
「あ、いたいた。おーい」
鳴美が呼びかけると、座敷席にいた何人かが振り向いた。
「パイセーン。うぃーっす!」
その中のひとり、茶髪のチャラそうな青年が満面に笑みを浮かべてジョッキを掲げてみせる。それに合わせて同席していた十人程が一斉に杯をあげる。
「ウィーッス! 後輩諸君」
彼らと同じテンションで手をふる鳴美は、もう片方の手でドンと僕の背を押した。
う、ウィーッス。
控えめにそう挨拶をする僕の表情は、きっと引きつっていたろう。僕でなくたってきっと気後れするはずだ。かつて所属していた文芸部の後輩とはいえ、十歳も年の離れた学生たちの飲み会に参加するのだから。
〇
普段酒をあまり飲まない僕だが、この日ばかりはその力に頼らないわけにはいかなかった。シラフでいられるか、こんなとこ。
「おっ。もっといく? いいね、いいねー、飲め飲めー」
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、鳴美はけしかけてくる。
「さっすがパイセーン。じゃあぐいっといきましょ。それイッキ、イッキー」
茶髪君までが調子に乗ってコールをかける。っていうか、今の学生もイッキ飲みなんてするのか。
「アルハラって知ってるか、君」
「もちろんス。きょーよーはいけないってことっしょ。きょーよーなんてしませんよ。俺にきょーよーの二文字はありません。ついでに教養もありません」
茶髪君はろれつのまわらぬ口調でそう言って、ひゃひゃひゃっと笑った。
しょうもないな。親父ギャグかよ。彼に合わせて苦笑いしながら、しかし僕や浩一も昔よくしょうもないギャグを飛ばして滑っていたことを思いだす。どうやら今も昔も、学生というのは変わらないものだな。今思い返せば、自分の学生時代は随分阿呆なことをしていたものだと思うのだが、阿呆の遺伝子はちゃんと受け継がれているようだ。それがなんだか愛おしくて、こみあげるおかしさと一緒に、僕は杯をあおった。
こんな無茶が功を奏したのか、飲み会は意外と楽しかった。学生とたいしてノリの変わらない鳴美が話を振ってくれたからかもしれない。
それに、誰も僕のことなんか知らないと思っていたら、意外と知っている人がいて驚いた。部で出していた文芸誌のおかげだ。
「加藤先輩って、この加藤先輩ですよね」
そう言って隣の席の眼鏡の女の子が、昔の冊子を開いて聞いてくる。文芸誌「木漏れ日」。懐かしいな。
差し出されたページを覗きこんで頷くと、彼女はその黒縁眼鏡を輝かせ、声のトーンをあげた。
「わあ。本物だ。私好きだったんです。先輩のゲス姫様と七人の勇者」
その題名を人の口から聞いて、頬が熱くなる。僕の黒歴史だよそれは。でも、懐かしいな。他愛もないもの作って、こうやって飲みながら自分の妄想や創作論について談義したんだ。
思わず頬を緩ませる僕の脇を鳴美がニヤニヤしながらつつく。
「あれー。ヒロポンくん。なんでそんなに顔を赤くしてるのかなあ。若い子相手に照れちゃってるんですかあ」
「う、うるさい。昔を思い出してるんだ」
そしてほてりを冷ますためにまたジョッキを傾ける。
「そうだ、ヒロポン。程々にしておいたほうがいいよ。このあともあるんだから」
それを聞いて、僕はほおけた顔を鳴美にむける。
ん? このあとの予定だって。そんなの聞いてないぞ。
戸惑う僕の隣で茶髪くんが立ち上がり、その場の皆に呼びかけた。
「はーい。じゃあ、皆さん学校に移動しましょう」
「こんな時間に?」
状況を飲み込めない僕に、鳴美が説明してくれた。
「これからがメインイベントだよ。部室棟での肝試し大会」
〇
文芸部恒例、初夏の肝試し大会。それは毎年初夏に行っていた文芸部の行事だ。内容は至って普通の肝試し。男女一人ずつで組を作って夜の部室棟へくりだす。部室棟の要所要所にお化け役が潜み、あらゆる手を尽くして目の前を通過するカップルを驚かす。毎年この行事で数組のカップルが誕生する。恋人をつくって大学生活を謳歌したい者には絶好の機会だった。
ちなみに僕はできたことはない。四年連続お化け役だったからだ。気になる彼、もしくは彼女との距離を縮めようと浮かれきった連中の、心胆を寒からしめることに心血を注ぎ、黒い天使の異名をとった。あの不毛な努力によって一体何組のカップルが破綻したことか。絆を深めたカップルもいたので許してほしい。要は、僕は愛の試練役に徹したのだ。
だから……。
「うぎゃー!」
階段の影から飛び出した、白い布を被っただけの適当きわまりないお化けに悲鳴を上げて飛び上がる僕を、どうか嘲笑わないでほしい。驚かされる側は、初めてなんだ。
救いは、僕が情けなくすがりつく相手が麗しの乙女ではなく、僕のこんな性格を熟知している鳴美だということか。
それにしても彼女の行動力には頭が下がる。部室棟での肝試しなんか、僕らふたりだけではとてもできない。完全に不法侵入だし。でも、学生諸君に混ぜてもらってまでするなんて……。
もっとも、途中から何でこんなことをやっているのかわからなくなってきたのだが。
「きゃはは。楽しーねー。ヒロポン」
鳴美が僕の腕を取って笑う。その体温や息遣いが、暗い中だとなんだか生々しくて、妙に彼女の存在を意識してしまう。なるほど、これが毎年カップルを量産してきた、肝試しマジックか。などと考えつつ、僕も「そうだな」と頷いている。たしかに、楽しい。現役時代に一回くらい体験しとけばよかった。まあ、相手はいなかったけど。なにかの間違いで恋人ができていたかもしれない。
僕はまだ僕の腕を掴んでいる鳴美の影に視線を送る。
そう。それは、もしかしたら……。
「やっと、できた……」
そのとき、鳴美がそう呟いた。その口調がそれまでのはしゃぎようとは打って変わったしんみりしたものだったので、僕は思わず立ち止まって彼女の顔を見る。暗いのでその表情はよく見えないけど、僕には想像できた。彼女はきっと笑みを浮かべているような気がした。あの公園で見たような、どこか寂しそうな笑みを。
「本当は、四年の肝試しで、こうやってヒロポンと腕組んで歩くつもりだったんだ。お互いお化け役じゃなくってさ。そんでもって、コウちゃんが私達を驚かせて、私が君に抱きついて……っていうシナリオができていた。そしたら私は……」
そこまで言って、鳴美は続きを自嘲で紛らわせる。
「でも、それはできなかった……」
だまって彼女が話すのを聞いていた僕は、彼女が何のことを言おうとしているのかすぐに理解した。それは僕達にとっては悲しい思い出だった。四回目の肝試しの前に、浩一は僕達の所属する文芸部を去ってしまったのだ。
彼女はため息をつくようにつぶやく。
「ねえ。どうして、あのときコウちゃんは部活やめて、報道部にいっちゃったのかな」
それは僕にもわからない。ただ、あの出来事が、今の僕たちの間にはしる溝の、一番始めの小さな亀裂だったような気がする。そう思うと、自分の胸に憤りに近い激しい感情が灯る。よい思い出を探してここまできたはずなのに、こんな悲しいエピソードを思い出すなんて。
「ねえ、探ってみようよ。なんで、コウちゃんがあんな行動をとったのか」
鳴美のその提案に、僕はほとんど反射的に賛同の意を表す。僕も同じことを思っていた。浩一のあの行動の理由について知ることは、必要なことだという確信がある。不可解な思いを残したまま、彼を祝福することはできないと思うから。




