04 浩一との出会いは
住宅街の桜並木の途中に、その門はあった。
新緑の葉がサワサワと鳴り、木漏れ日がレンガ造りの門柱の上でゆれる。青銅製の門扉は今日も無防備に開け放たれ、その脇の守衛室の中で制服のおじさんが暇そうに鼻毛をいじっていた。
「本当に、きてしまった……」
「久しぶりだねー」
僕の隣で、鳴美も感慨深げな声を出す。
「な、なあ。本当にいくのか」
「何を今さら。ここまで来てなに尻込みしてるのよ。今日はなんとしてもコウちゃんとの出会いを思い出すんだから。学校に身をおいてみれば、きっと思い出すって。そのために今日仕事までサボってきたんでしょ」
別にサボったわけじゃない。有給休暇をとったんだ。部長は嫌な顔をしていたし、あとでまたなじられるんだろうが、そんなことはどうでもいい。
それより、浩一への挨拶文のほうが、今の僕にとっては重要課題だ。文を考えようとしたとき、まずその出会いの話でつまずいてしまった。どうして仲良くなれたのか、どうしても思い出せないのだ。僕たちが出会ったのは大学一年の時。はっきりとわかるのはそれぐらい。自分達が通った大学にいけば、その手がかりがつかめるかもしれないと鳴美が言い出し、今日こうして連れてこられたわけなのだが……。
「なるミン。やっぱり帰ろう。恥ずかしいし、なんか僕たち不審者っぽいし」
「賽は投げられた!」
なおも言い訳を並べ立てようとする僕の手をつかんで、鳴美は勢いよく前へ足を踏み出した。
守衛さんに挨拶し、僕らが学生だった十年前と変わらず古めかしい、苔むしたその門をくぐる。門脇のけやきの枝がゆれ、葉の香りが鼻先をかすめる。胸の底をくすぐる、甘く苦い香り。その香りを深く吸い込みながら、僕は十年ぶりに僕らが通っていた大学へと入った。
〇
久しぶりにはいる学校は、あの公園と同じように、十年という歳月を感じさせなかった。もともと古い学校だったせいもあるかもしれない。所々設備が新しくなったりしてもいるのだろうが、基本古いままだ。文化財に指定されていてもおかしくないようなレンガ造りの講義棟は、きっとあと数十年はそのままなのだろう。
「さーて。なにか思い出したかな。ヒロポン君」
校舎に入るなり、早速鳴美は問いかけてきた。今は休み時間のようだ。ホールには学生たちが溢れていて賑やかだ。懐かしくはあるけれど、しかし残念なことになにも思い出さない。
「さあ、どうだ。ここだと思い出すことはあるか、ヒロポン」
ところ変わって、静かな廊下。もう講義が始まっていて、学生の姿はない。窓から差し込む光が一定間隔で床を這っていて、一瞬そこに、ありし日の自分達の姿が浮かびそうになる。だけど、それは日常の姿だ。出会いの場面は浮かばない。
「ええー。ダメ? じゃあ、教室かな。講義中に消ゴム落として拾ってもらったとか」
鳴美は講義室の扉に顔を近づけながら首をかしげた。しわがれた教授の声が漏れ聞こえる、その扉から僕はあわてて彼女を引き剥がす。
「少女マンガかっ」
「えーっ。でもありそうじゃん」
「ないよ。っていうか、勝手に出会いを創作するな」
小声でやり取りする僕たちの頭上で、ひび割れたチャイムが鳴り響いた。
次は学食。昔三人でよく食べた山菜そばを食べれば、味覚がなにかを思い出させてくれると思ったのだが……。
「やっはり、おいひぃねー」
のんきにパスタをすする鳴美に頷き返しながら、しかし僕はなにも思い出すことはできなかった。っていうか、何でお前は一番高い日替わりランチなんだよ、という抗議の声はそばと一緒に飲み込んでおこう。
〇
「なかなか思い出さないもんだねー」
学食で昼食をとったあと、庭園の池のほとりのベンチに腰を下ろして、大きくあくびをしながら鳴美はぼやいた。校舎と門を繋ぐ道を行き来する学生たちに目を向けながら、僕も頷く。でも、そんなものなのだと思う。なんとなく気が合いそうだから近づいて、いつのまにか一緒にいるようになった。だいたいそんなものだろう。みもふたもないけど、映画みたいな劇的な出会いなんて、そうそうあるもんじゃない。僕と浩一だって、なんとなく一緒にいるようになった、その程度の始まりだったんだ。それが悪いとは思わない。そうやって人と人は繋がり、そしていつのまにか離れていく……。きっとそういうものなのだろう。
なんだか、全身が重く感じた。朝からの緊張がご飯を食べたら一気に緩んで、体がたまった疲れに気づいたようだ。
隣を向くと、鳴美も無口になって空を見つめている。ごめんな鳴美。ここまでつれてきてもらったけど、やっぱりなにも思い出せないよ。いや、思い出すほどの出来事もなかったんだ。
「なあ、鳴美……」
そろそろ帰ろうか……。
そう、声をかけようとしたときだった。
僕の隣で、鳴美が鼻歌をうたいだした。細く、しかし芯のある透き通った優しい声で。そのメロディーに、水滴の音が重なる。目の前の池に流れ込む小さな水路の流れの音。絶え間なく地面を叩く雨滴のそれのような……。
(ときどき、うまく歩けなくなるんです)
どこからともなく浩一の声が聞こえたような気がした。はじめてあったばかりの頃の、彼の自信なさげな声。
そのとき僕は、唐突に思い出した。
そうだ。僕たちは、一緒にこの曲を聞いていたのだ、と。
あれはたしか、春の部活紹介の時だった。祭りの出店のように並ぶ各部活の屋台や先輩たちの呼び込みの声と、その間を行き交う新入生たちの勢いに疲れて、僕は体育館脇の石段に座っていた。体育館では軽音部がパフォーマンスをしていて、なんとなくそれに耳を傾けていたら、あの雨音のような歌が流れてきたのだ。僕は思わずその歌声に合わせて鼻歌をうたってしまった。それは僕の好きな映画の主題歌だったものだから。あまり有名ではない中編映画。いい映画なのに知っている人があまりいないのが寂しかった。だから、そのとき声をかけられたのは予想外で、しかしうれしかった。
「あなたも好きなんですか。あの映画」
そう、彼は言った。三人分ほど僕から離れて座っていた浩一は、こちらに身を乗り出して、嬉しそうなでもちょっと寂しそうな顔をして。
曲を聞き終わったあと、浩一は空を見上げて目を閉じた。
「ときどき、うまく歩けなくなるときがあるんです。あの映画の主人公みたいに。でも、この曲を聴くと、ちょっと前に進もうかなという気持ちになれる」
そのときだった。ああ、この人と友達になりたい。痛切といっていいほどのその思いが僕の胸にこみあがったのは。
そう、あれが、僕たちの出会いだった。なんとなくなんかじゃない。明確な意思をもって、僕は彼と友達になったんだ。
「思い出したよ。なるミン」
僕はあのときの彼みたいに空を見上げて、鳴美の鼻歌が終わってから彼女に声をかけた。
鳴美は僕の方を向き、驚いたような表情を浮かべたかと思うと、キュゥっとその目を細めた。
「そっか」
そうとだけ言ってまた池の方を向き、子供みたいに足をぶらぶらさせながら、またあの歌をうたった。この曲調に似合わぬ、さっきよりも弾んだ声音で。まるで違う歌であるかのように。
「よしっ。第一段階クリア! 次はふたりの面白エピソード探訪にいこうよ」
歌い終わった鳴美は、そう言って勢いよく立ち上がった。まるでもうその場所がわかっているかのように。
「おいおい、ちょっと待てよ。面白エピソードって言ったって、そんなこと……」
あったかな。学生時代の思い出を慌ただしく紐解いてみようとするも、そこは子供のおもちゃ箱のようにごちゃごちゃしていて、とっさに何も取り出せない。そんな特筆するようなこと、なにもないと言えばないし、あると言えばいくらでもあるような気がする。
「うーん。じゃあ、たどってみようか。あのときやっていたことを、かたっぱしからまたやるのだ」
振り向いた鳴美は笑いをこらえるようにニヤリと口の端をあげた。
「待て待て。たどるっていったって。できるわけが……」
「まあ、学祭とかは無理だよね。でも、できることもあるよ。さあ、いこう」
そして彼女は、まだベンチから腰をあげない僕に手をさしのべた。そのヒンヤリとした細い指を渋々つかんで、僕は重たい腰をあげた。




