第一章 精霊世界・ラスティリア③
――ラスティリア。
大海原に、七つの大陸を有する広大なるこの世界はそう呼ばれていた。
四季があり、自然豊かなラスティリアは、精霊たちに愛された世界だった。
現代の女神であるイジュアール聖よりも、さらに千年前の神代。古代の神々の眷属だったと伝えられる精霊たちは、ラスティリアに生けるすべての者に祝福を与えた。
それこそが、生物のみが発する活力――精霊素なのである。
人類はもちろん、生物ならば虫や魔獣に至るまで生まれながら宿している。使いこなせば聖術を発動させることや、身体強化も行える力だ。
内包量には種族差や個体差があるが、どれだけ消費しても一晩寝れば全快する精霊素はとても重宝され、あらゆる分野の動力としても応用された。
代表格は言うまでもなく精霊機兵だ。ある程度なら蓄積も可能なため、街灯のような都市の運営設備や、都市内を進む巡回列車、旅団車両の動力にも活用されている。
今や精霊素は社会を構成する上での重要な要素となっていた。
――ブロロロロッ!
その時、一台の四輪車が街道を疾走していた。
これもまた、精霊素を動力とする道具の一つである。
軽快に走り続ける四輪車。それを自身の精霊素で動かすのは一人の少年だった。
年齢は十三歳ほどか。身長は百五十センチぐらいのかなり小柄な少年だ。
肩にかからない程度に長い金色の髪と、褐色の肌を持ち、顔にはゴーグルを着けている。その奥の瞳の色は琥珀色だった。服は体格には似合わない大きな黒いシャツに、緑色のカーゴパンツ。ややくたびれた様子の茶色いコートを羽織っていた。護身用なのか肩には長銃をかけていた。
(……見えてきたな)
ゴーグルの下で、少年は瞳を細めた。
彼の視線の先には巨大な壁が立っていた。
百メートルはある壁が円状に広がっているのだ。行く先には大きな鉄門も見える。
あそこは街だった。防壁の規模からして恐らく二万人規模の都市だ。
(今回の仕事が始まるのか)
少年はそのまま四輪車を走らせると、門に到着した。
開かれた門を通って、進んだ先の分厚い壁の中には二機の精霊機兵が斧槍を携えて警護していた。さらにもう少し奥に進むと受付があり、そこには兵士たちがいた。
「ようこそ。ダラスカ都市へ」
兵士の一人が歓迎の言葉をかけてきた。
少年は「ああ」と頷いて、ゆっくりと四輪車を止めた。
「初めて見る顔だね。君は?」
「郵送屋だよ」少年はコートの中からカードを取り出した。多くの国で身分証にもなるギルドのカードだ。便利なので都市間を移動する人間なら取得している者は多い。
「外の街からこの街に手紙を届けに来たんだ」
「へえ。そうなんだ。ご苦労さま」
大規模な都市内では通信も開通しているが、他都市とは離れすぎているために無線では届かず、通信手段は手紙だけだ。そのため、手紙や手荷物を届ける郵送屋という職業があった。
「しかし、随分と軽装だね。普通はもっと大規模な旅団だけど」
少年からカードを受け取りつつ、兵士が訝しむように眉をひそめた。
すると、少年は軽く肩を竦めて「あえてだよ」と返した。
「オレは速達が売りなんだ。身軽にして最速で進むんだ。一人のメリットもある。なにせ魔獣どもは人間が集まるほどに匂いを嗅ぎつけて寄ってくるからな」
一拍おいて、
「その特性があるから、知恵の女神さまだって天都舟を造ったんだろ?」
少年は苦笑を浮かべた。
人の数とは発展するための力だ。
しかし、地上においては、人は三万人以上の拠点――要は都市を造れなかった。その規模になると魔獣が執拗に狙ってくるからだ。
大型魔獣ならば撃退もできるが、最悪の場合、雲海の竜峰さえ引き寄せてしまう。
そうなれば、この百メートルを超える頑強な防壁も玩具の城にも等しい。
地上では数百人から二万人前後までの都市が点在して資源の採掘などを行い、天上では天都舟が技術開発をして地上の都市群を巡回しながら提供する。天都舟を国の主都とし、提携する地上の都市は属都市となる。それが現代の国の在り方だった。
「確かにそうだな」兵士は少年にカードを返した。
「よし。通ってもいいよ。ただし、街で悪さはするなよ」
「分かってるよ」
少年はそう返しつつ、四輪車をゆっくりと走り出させる。と、
「ああ、お嬢ちゃん。仕事、頑張れよな」
兵士が片手を上げてそう告げてきた。少年はいったん四輪車を止めて、
「……オレは男だよ」
ゴークルを取って、やや釣り目の少女のように整った顔でそう返した。
男を自称していても疑わしく思う美しい少女の顔だ。
それから少年はゴーグルを付け直して四輪車を再び走らせる。
壁を出て公道へ。走行しながら街並みにちらりと目をやる。地上においては最大規模の都市だけあって整った景観だ。統一された造形の六階建ての建屋が並び、公道はすべて石畳で整地されている。行きかう人々も裕福そうだ。この規模の都市なら大抵の場合はスラム地区もあるので一概には言えないが、店舗数からして流通はかなり盛んのようだ。
(この街は当たりか)
少年は四輪車を進ませつつ、人気の少ない裏路地へと曲がった。
奥へと進み、完全に人気が無いのを確認してから四輪車を停車させる。
少年は小さく息を吐き、ゴーグルを首元に降ろした。
(けど、お嬢ちゃん、か)
自分の胸元に視線を落とす。
下からあばらに添って触れてみると、柔らかく確かな膨らみがあった。
(……そろそろダボ服で誤魔化すのも難しくなってきたな)
少年――いや、少女は眉をしかめた。
ラグ。それが彼女の名前だった。家名はない。かつては孤児院の名前を家名にしていたが、今の仕事をするようになってからは捨てた。
(……ヤバいな)
四輪車に乗ったまま、ラグは唇を強く噛んだ。
元々奴らには、ずっと女顔だと揶揄されていた。
もし、本当に女だということがバレてしまえば何をされるのか……。
(そんなの考えるまでもねえか)
表情を暗くするラグ。奴らに捕らえられた女や少女たちがどうなるのか。
奴らは女であれば年齢さえも関係なかった。
捕らえた女は戦利品であり、奴隷なのだ。だからこそ、タガが外れたかのように娼婦相手にはしないような真似もしていた。
自然と歯がカチカチと鳴り出す。ラグはその光景を間近で何度も見てきた。彼女たちを逃がしてやりたいとも思ったが、どうしてもその勇気を絞り出せなかった。
所詮、自分も奴らに生かされている奴隷に過ぎないからだ。
こうして逃げるチャンスもあるのに、恐怖で逃げられない。自分は臆病な家畜だった。残虐すぎる獣の群れの中で、喰われないように怯えるだけの家畜だ。
(……オレは……)
胸元を強く掴み、ラグは瞳をグッと閉ざした。
故郷の村が魔獣に滅ぼされた時、偶然にも居合わせた奴らに拾われた。彼女が十歳の時だ。しかし、それは慈善行為ではなかった。いわゆる火事場泥棒だった。
ラグも盗品として、本来ならば数日後には奴隷商に売られていたはずだった。
だが、彼女自身も知らなかった想定外のことが起きた。
売り出すために計った精霊素の最大値が常人の五倍以上もあったのだ。
精霊素の多さはそれだけで貴重な才能だ。ラグは強引に仲間として引き込まれることになった。咄嗟に女であることを隠したのは少女としての本能だった。元々男勝りの口調だったのも幸いした。
(……どうしたら……)
体が震えてくる。女であることがバレるのはもう時間の問題だ。
決断しなければならない。
媚びてでも、せめて奴らの首領の情婦になることを望むのか。
それとも勇気を出して逃げ出すかだ。
その時。
不意に、表公道の方で大きな影がよぎった。
それは八輪駆動の旅団車両だった。後方にはキャリアを連結しているようだ。
そして、そこには両膝を曲げて待機する精霊機兵の姿があった。
(………あ)
ラグはその姿に見入る。
あれは現代における力の象徴だった。
そして同時に思い出す。自分の夢が何だったのか。
(……そっか、オレは……)
昔、たまたま村に訪れた魔獣狩りの旅団。
四人組だった彼らは家族でもあると言っていた。
陽気で生き生きとした彼らの姿に、幼き日のラグは強く憧れていた。
――オレは操縦士になるんだ!
それは院長先生や友達に何度も宣言した台詞だった。
いつしか忘れていた誓いである。
路地裏から精霊機兵の姿が見えたのは数秒だけだった。
けれど、ほんの少しだけ。
幼き日の夢が、絶望していた少女を奮い立たせるのであった。




