第一章 精霊世界・ラスティリア①
その日、大地に咆哮が轟いた。
それはあまりにも巨大すぎる怪物の咆哮だった。
――ズズゥゥンッ!
巨大な足が大地を踏み抜く。地表が割れて土塊や木々が飛び散った。
天変地異が起きようが、怪物が歩みを止めることはない。
仮にその怪物の姿を言い表すのならば、二足歩行の竜が最も近いか。
巨大なアギトを持ち、首は途方もなく太い。竜尾もだ。姿勢は極端な前傾であり、両腕は広げれば、山さえも抱えることが出来るだろう。
そんな馬鹿げたスケールの竜が地震を引き起こしながら闊歩していた。
それは、まるで山脈が動いているかのようだった。
だが、雲にも届く竜に似たこの巨獣は、やはり竜そのものではない。
そもそも生物でさえないのだ。巨躯のほとんどは岩石と土塊で出来ており、広大な背面には大樹海が広がっていた。よく確認して見れば湖さえも存在している。
この巨獣の正体は、いわゆる『巣』だった。
最強の魔獣である竜たちが膨大な精霊素を操り、大地を、森を、海を吸い上げて造り上げたという巨大すぎる巣なのである。竜の大群を内包し、群れを統べる群主の意志によって移動さえも可能とする、信じ難い大自然の城砦だった。
それは『雲海の竜峰』と呼ばれていた。
一方、対峙するのは巨大な舟だ。
空中に浮遊する舟。その全容は白い巨鯨のようだった。
ただ、その背には巨大な都市の姿がある。人口二十万を超える大都市だ。
人類が住まう天翔ける巨大船。その名を『天都舟』といった。
聖遺物と呼ばれる知恵の女神の遺産の一つである。
天都舟は大きく旋回しつつ、右舷より無数の熱閃砲を撃ち放っていた。
狙いは雲海の竜峰だ。直撃すれば巨躯の一部が砕けるが、すぐさま復元される。雲海の竜峰は大地に立っている限り無限に復元した。
しかし、弾幕に意味がない訳ではない。損傷すれば動きも鈍るからだ。
――グオオオオオオオオオオオオオッ!
雲海の竜峰が咆哮を上げた。直後、背面の樹海と、全身にある洞から無数の竜たちが翼を広げて飛び立った。一体一体が三十メートル以上の巨躯を持つ怪物たちだ。
それに対し、天都舟からも無数の影が飛翔した。
全長は十五メートルほどか。装甲を纏う鋼の巨兵たちである。
精霊機兵の大部隊だ。各機、使い捨ての飛行用噴射機構を背負い、巨大な斧槍や戦鎚を装備していた。
竜に限らず大型魔獣は厄介な生物だった。銃撃では怯ませることは出来ても、分厚い外骨格や強靭すぎる筋肉の前では致命傷には至らない。かといって大口径の砲撃では弾数が限られてしまう。天都舟の熱閃砲ならば仕留められるが、それだけの高熱量は個人の精霊素で補えられるものではなかった。
ゆえに、超重量級の大型武器による殴殺。
それが対魔獣戦における最も有効な戦法なのである。
人間を遥かに超えた巨体と膂力を持つ精霊機兵だからこそできる戦法だった。
天都舟の熱閃砲が竜の群れの一角を薙ぐ。
その隙に精霊機兵たちは雲海の竜峰の背の上に着地した。
『各機、飛行用噴射機構を着脱! 高速機動に切り替えろ!』
大樹の森にしか見えない雲海の竜峰の背の上で隊長である機体が叫ぶ。
各機とも背中の飛行用噴射機構を外した。同時に踵の無限軌道が唸りを上げる。各機はそれぞれの武器を手に、荒れた大地の上を疾走し始めた。
標的は雲海の竜峰のどこかに潜む竜の群主だ。人――正確には人が内包する精霊素を何よりも好む竜どもに狙われては、群主を討つ以外に生き延びる術がない。
言わば、彼ら攻撃隊は標的に着弾するまでどこまでも追う生きた砲弾だった。
操縦技能を極めた操縦士の二つ名に『魔弾』が冠せられる所以でもある。
一方、竜どもも天都舟の都市区を襲撃していた。
『攻撃隊が群主を仕留めるまで耐え抜くぞ!』
『了解!』
都市防衛隊の精霊機兵たちが竜の大群を迎え撃った。
炎、破壊、悲鳴、咆哮、怒号、銃声。
様々な音が都市区に轟いた。
それが八歳の時、ユージンが経験した地獄だった。
心と頬に消えない傷だけを残して、故郷のすべてを失った日だった。
(……やはり忘れられないものだな)
現在、ユージンはエプロン姿で朝食の準備をしていた。
こんっと卵を片手で割って、手に持ったフライパンに落とす。じゅううっという良い音がした。香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。
(俺が魔獣狩りを続ける根源的な理由。こればかりは変わらないか)
忘れられない過去だった。
しかし、復讐を誓うには相手があまりにも群体すぎた。あれはもはや災害だった。そこに抱くのは憎悪でなく、理不尽さに対する強い怒りだった。
だからこそ思ったのだ。あの理不尽さに抗がえる力が欲しい、と。
(そのために俺は操縦士になったんだ)
目玉焼きを作りつつ、ユージンは瞳を細めた。
そこは《アトラス》の居住キャビン・《アーススフィア》の一階だった。
全体的にやや長方形に近い室内。
まず右側の壁沿いにはキッチンがある。土台には小さな冷蔵庫が組み込まれており、調理器具も揃えられていた。銀色のシンクと、赤い丸印が二つ描かれた鉄板がある。その一つで今、ユージンはフライパンを扱っていた。
次に左側にあるのは固定された木目調の長テーブルだ。すぐ傍にL字型の革製のソファーが壁に沿って設置されている。この部屋はダイニングキッチンだった。
部屋の前と後ろには鋼鉄製のドアがある。前方が操縦席に続き、後方が外に続く。キャビンの一部が開き、地上へと続く階段となるのだ。この階層は位置的には中階層になるのだが、出口があるため、便宜上『一階』とユージンたちは呼んでいた。
なお、右側の壁には固定型のパイプ梯子があり、その先の天井には四角い穴が開いている。左側の壁沿いの床にも穴は開いていた。それぞれ二階の寝室と、地下にあるバスルームとトイレを完備したランドリールームに繋がっていた。
ユージンのような魔獣狩りや傭兵、または未踏の地を冒険する探検者にはお馴染みのモノなのだが、連結したキャビンに物資や精霊機兵などを乗せて、長距離移動を行う超大型車両がある。『旅団車両』と呼ばれる車両だ。
それにも似たような生活設備があるのだが、《アーススフィア》はレベルが違っていた。旅団車両の生活設備はもっと劣悪だ。それを経験しているだけに実感する。高級ホテルを思わせるこの設備は、もはや数世代レベルの差である。
(流石にこれほどのモノを造るとは思っていなかったんだが)
だが、この生活設備の充実ぶりは、ユージンが強く望んだ結果だった。
そもそも《アーススフィア》はユージンが、トワを地下大神殿から連れ出すために増設してもらったモノなのだ。注文も厳しくなって当然だった。
まあ、製造したのはトワ当人――正確にはトワの設計に従って自動人形たちが製造した――になるのだが。
ふと、その時にした問答の一つを思い出す。
お前は一人で旅をするのだろう? どうしてキングベッドを望むのだ?
注文時、そう尋ねてきたトワに、ユージンは少し躊躇いつつも、大きなベッドが好みだからだと答えた。トワは全く疑問を抱かずに「そうか」と納得していた。
その後、愛しいトワを抱きかかえて、そのキングベッドが鎮座する寝室にまで連れて行くことになるのだが、トワは真っ赤な顔で「だ、だましたな! 最初からこうするつもりだったのか!」と叫んで、ぽかぽかと拳を振り回していた。
(トワは素直すぎるところがあるからな。だからこそ人が怖かったのだろうな)
卑怯なことをしてしまったと反省する。
そうして、ユージンは目玉焼きを、焼いてあったトーストの上に乗せた。
今日の朝食は、目玉焼きを乗せたトーストに、皿に盛りつけられたベーコンとサラダのセットだ。もちろん二人分用意してある。後はコーヒーを添えるだけだ。
「さて。そろそろトワを起こすか」
エプロンを外して、コーヒー用にお湯を沸かし始める。
今朝は、これからの行動方針をトワと話し合うつもりだった。
「シド。トワを呼んでくれ。ただし、見るのは厳禁だぞ」
『了解です。承知していますよ』
天井に仕込まれたスピーカーから、シドがそう答えた。




