プロローグ②
――カシュン。
その時、特殊な音を立てて、鋼鉄のドアが開かれる。
おもむろに、青年は室内に入ってきた。
年齢は二十歳ほど。赤毛が混じった黒髪に、左頬に大きな傷を持つ精悍な青年だ。
百八十センチほどの鍛え上げられた長身の体には、黒を基調にした服を着込み、その上に拘束具のように幾つもの革製のベルトを巻いていた。胴体のみならず、大腿部や腕にもだ。普段はこの上に黒いジャケットを羽織っている。
長い前髪の間から覗く緋色の双眸は冷たいほどに鋭く、まさしく戦士の相だった。
彼こそが、ユージン=アサルトだった。
魔弾の十三人の一人。『魔弾の戦鬼』と呼ばれる稀代の操縦士である。
「…………」
ドアから出てきたユージンは、歩きながら周囲を見やる。
そこは奥に行くほどに狭くなる楕円状の部屋だった。室内には個人用シートが二つある。前後に並んで設置されてあり、後ろの方が頭二つ分ほど高い位置にある。ユージンは足を止めて前部シートの背に左手を置いた。
シートの前方を見やる。そこにあるのは様々な機器だ。
精霊素ゲージに、後方を映す映像モニター。速度メーターや、後部キャビン・《アーススフィア》を遠隔操作するスイッチなどもある。
そして左右には、引き金の付いた操縦幹があった。
――そう。ここは操縦席だった。
機器が設置されているのは、いわゆるインパネと呼ばれる部位だった。
ただ、操縦席ではあるがここに窓はない。
天井へと流線的に繋がる白い壁面だけがあった。
(改めて見ると広いな。俺の知っている操縦席とは随分と違う形になった)
ユージンがそんなことを感じていると、
『おはようございます。ユージン』
不意に声を掛けられた。青年の声である。
それは機器の一つ。インパネに組み込まれた蒼い宝石からの声だった。
学術都市の天才少女が造った世界唯一の人工精霊である。
これに関してはユージンも絶賛した。四年以上の付き合いで今や頼れる相棒である彼のことは『シド』と呼んでいた。
『気分はいかかですか?』
「……気分なら最高だな」
そうは思えない淡々とした声で、ユージンは答える。
「嘘じゃないぞ。本当に最高の気分なんだ。体中から活力が溢れてくるかのようだ。悪友たちが言っていたことも今なら理解できる」
『そうですか。しかし、それでもその拘束ベルトは外さないのですね』
「ん? ああ。これか」
ユージンは自分の右腕を上げて、前腕に巻き付けたベルトに目をやった。
「これはもはや癖だな。やはり怖いのだろう。自分の中の獣が」
『体内の膨大な精霊素が人を魔獣に変えるなどただの迷信ですよ。それを証明してくれるのは彼女です。その話が真実なら、彼女はとっくに魔獣になっていますから』
「そうだな。言われると確かにそうだ」
シドの指摘に、ユージンは苦笑を浮かべた。
「だが、トワほどでなくとも俺が常人とは比較にもならないほどの精霊素を内包していることは事実だしな。無駄に多すぎる出力のせいで本当に苦労したものだ」
『そうですね。そのためにここまで来たのですから。ですが、ふふ』
そこで、シドが含みを持たせるように笑う。
『トワ、ですか。おめでとうございます。ユージン。ここに来て生まれたもう一つの願いを遂に達成されたのですね。では、ここは慣例に倣って「昨夜はお楽しみでしたね」とでも言いましょうか。今の私の存在的にも』
「お前は宿の主人か。確かに今のお前は存在的に似ているが、それよりシド」
ユージンは鋭い眼光で、蒼い宝石を睨む。
「一応確認するが、昨夜、お前は何も見てないな? 聞いてないな?」
『そんな野暮なことはしませんよ。《アーススフィア》の防音も完璧です。プライベートは守りますよ。私は常識的な人工精霊ですから』
「そうか。それを聞いて安心したぞ。もしお前がトワの裸でも見ているものならば、ハンマーの殴打で記録を破壊しなければならなかった」
『……それは記録の破壊だけでは済みませんよ。怖いことを言わんでください』
シドの宿る宝石が淡く輝いて少しだけ震えた。
一方、ユージンは腕を組んで真顔で言う。
「昨夜のトワは本当に綺麗で愛らしかったからな。男なら見たいと思うのは当然だ。だが、トワはもう俺だけのトワだ。いくらお前でも見せる訳にはいかないぞ」
と、宣言したところで、
――カシュン。
不意に背後で音が鳴った。
ユージンが入ってきたドア。《アーススフィア》へと続くドアが開いた音だ。
ユージンが振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。
年の頃は十六歳ほどか。雪のような白い肌に、金色の瞳を持つ美しい少女だ。
腰辺りまで伸ばした髪は銀色だ。百五十五センチと小柄ながらも豊かな双丘が強調される抜群のスタイルを持ち、トップスには丈の短い白いワンピースドレスを着ている。ボトムスには紺色のタイトパンツと、茶系統の長い革紐靴を履いていた。
旅用の出で立ちへと着替えた、トワイライト=イジュアールである。
「もう起きたのか。トワ」ユージンがそう声を掛けると、
「……うるさい」
トワイライト――昨夜からの愛称『トワ』は、むすっとした顔を見せた。
「私を見くびるな。ユージン」
同じく昨夜から呼ぶようになった彼の名前を呼んで、
「私を誰だと思っている。古の大魔法使いにして深淵の知識に至りし者。トワイライト=イジュアールだぞ。私にとって睡眠とは退屈しのぎだ。本来は不要なモノだ」
「いや。だが」ユージンは眉根を寄せた。
「昨夜はその不要な睡眠をとるほどに疲弊したんだろ? 情けない話だが、昨夜の俺は自制心が皆無だった。お前にはかなり無理をさせてしまったと思うんだが」
「――うぐっ!」
一気に顔を赤くしてトワは呻いた。それからひょこひょこと頼りない足取りで歩くと、少し呻きながら後部シートに座った。そしてユージンと視線が重なり、
「……ケダモノめ」
ジト目でそう言い放つ。
「その通りだ。くたくただ。そもそも昨夜は私の五百年を越える人生の中でも初めての経験だったのだぞ。なのに容赦なさすぎだ。もっと気遣え。怖かったんだぞ」
「……すまない」ユージンは謝罪した。
「もっともだと思う。だが、分かって欲しい。俺にも相当な想いがあったんだ」
『それにユージンは童貞でしたからね』シドが言う。
『常人の数百倍以上という莫大な精霊素のために肉体年齢は若くありますが、ユージンは二十八年の人生をほとんど戦闘のためだけに費やしてきましたから』
「俺は根無し草の魔獣狩りだぞ。それも最も危険な竜狩りを好んでやるような奴だ。こんな男の相手など娼婦ぐらいしかしてくれないからな」
ユージンが、シドの言葉を補足した。
「しかし、娼館に金を使うのは勿体ないと思っていたんだ。一時の快楽を買うぐらいなら訓練でもして技量を上げるべきだと考えていたな」
『なんとも脳筋的な発想ですね。それに相手がいないなどシエルが聞けば……』
自分の母と呼べる少女を思い出したところで、シドはあえて口を噤んだ。
「まあ、俺は戦うことしか知らなかったからな。それよりもだ」
おもむろに、ユージンは歩き出した。そしてトワの傍まで行くと、彼女の手を掴んでシートから立たせた。トワは小首を傾げる。
「……? 何をするのだ。ユージン。私は今、ちょっとしんどいんだぞ」
「すまない。トワ」
ユージンは、そんなトワを強く抱き寄せた。「……ん」とトワは声を零した。
「改めて礼を言わせてくれ。トワ。お前は俺を拒絶することも出来たはずだ」
それはまごう事なき事実だった。星核宮殿は彼女の聖域なのだ。彼女が少しでも拒絶の意志を見せれば、即座に自動人形たちがユージンを排除したはずだ。
けれど、トワはその結末を望まなかった。
「俺を受け入れてくれて、本当にありがとう」
心からの感謝をユージンは告げる。それから彼女の細い両肩を掴み、
「お前の決断を後悔させない。絶対にだ」
強い眼差しで、そう宣言した。
「……うん」
トワは小さく頷いて微笑んだ。
彼女は踵を上げると、ユージンの首筋に両手を回して彼の顔を近づけさせた。
そして、
――ちゅっ、と。
幼子のように、無垢で拙さのあるキスをした。
トワは真っ赤な顔で視線を逸らしつつ、口元を押さえて、
「……期待してるぞ。ユージン」
そう告げた。ユージンは「ああ」と強く頷いた。
「トワ。今日からお前はトワイライト=イジュアールじゃない。トワイライト=アサルトだ。俺の新しい家族。俺の愛する妻だ」
そう言って、今度はユージンからキスをする。トワからとは違う力強いキスだ。
「~~~~~っ」
トワが震える手でユージンの背中を掴んだ。濃厚な長いキスの後、唇が離される。彼女の黄金の瞳は潤み、唇からは銀色の糸が伸びていた。
「……むむ」トワは赤い顔で再び口元を片手で押さえつつ、視線を逸らした。
それから少し頬を膨らませて、
「結局、昨日の告白から全部ユージンのペースにされてる感じだ」
「……はは、すまない」
ユージンは笑みを零しつつ、前部シートに移動して座った。
シートベルトで体をしっかりと固定した後、トワを手招きする。
「トワ。行こうか。出発の時ぐらいは二人で座るのも悪くない」
「……う、うん」
トワはこくんと頷き、ユージンの元へと歩く。
ユージンは彼女を横向きに膝の上に乗せてから、操縦桿を強く握る。
「シド。俺の精霊素を供給しろ。《アトラス》の発進だ」
『了解です。ユージン』
シドがそう答えると、壁面と天井が一気に変貌した。
そこに映るのは先が見えないほどに高い天井。地面には淡く輝く石畳。並んで立つ支柱が、ここが神殿であることを示していた。
外の景色が全面に映し出されているのである。地下深くのため、暗い景色なのは残念だが、まるで天井と壁が取り除かれたかのような解放感だった。
『操縦士からの精霊素供給率100% 出力安定しています』
シドが報告する。
『《アトラス》発進に伴い、居住キャビン・《アーススフィア》を独立させます。局所重力領域展開。全連結通路遮断のため、近づかないでください』
数秒ほど空けて、ガコンッという音が響いた。
『《アーススフィア》独立確認。局所重力も安定しています』
ユージンは双眸を細めた。
「よし。これでどれほど暴れても俺とトワの家に被害は出ないな」
『はい。《アーススフィア》は《アトラス》の動作に関係なく平常状態を維持します』
と、シドが淡々とした声で回答した。
「OKだ。トワ。念のために俺に掴まっているんだぞ」
「うん。分かった」
ユージンの肩を掴み、より体を密着させてトワが頷く。ユージンも頷き返し、
「行くぞ。《アトラス》」
操縦桿を動かした。直後、ズシンと巨大な足が一歩を踏み出した。
それは黒い骨格の上に、真紅の外装を纏う鋼の巨兵だった。
全長は十七メートルほどか。分厚い胸部装甲に、大きく広い肩幅。左の手甲には小型の機関砲が組み込まれていた。右手には手の形に合わせた柄を持つ戦鎚を携えている。両足の踵には無限軌道が組み込まれていた。
標準よりもやや大型だが、兵装も含めて精霊機兵の基本的な姿とも言える。
ただ、この機体には外見的に異質なモノが一つ存在していた。何故か、胴体よりも大きい四角状の物体を背負っているのだ。しかも相当な重装甲だ。使い捨ての飛行用噴射機構にも似ているが、噴射孔がどこにもない。意図の分からない物体だった。
だが、これこそが、ユージンが後から増設を要望した設備なのだ。その箱には浮遊する巨大な球体――居住キャビン・《アーススフィア》が内蔵されているのである。
――ズシン、ズシン。
鋼の巨兵は、戦鎚を片手に歩き出し始めた。
背中に巨大な荷物を抱えていても、その足取りは全く揺らがなかった。
「お前もご機嫌なようだな。《アトラス》」
操縦桿を握りつつ、ユージンが柔らかな笑みを見せる。
「俺の新しい愛機。俺とトワの家は」
『戦闘兵器と一体化とは何とも物騒な家ですね』
シドがそう指摘すると、ユージンは小さな笑みを零した。
「元々は俺の全力戦闘にも耐え得る機体を求めていたからな。そのために御伽噺を信じて星核宮殿にまで来たんだ。だが」
ユージンは、右手でトワの頭を抱き寄せた。
「この場所で俺は愛機だけでなく大切な女も得た。《アトラス》はもう竜を狩るためだけの機体じゃない。トワを守るための家でもあるんだ」
「……ユージン」
ユージンの膝の上で、トワが金色の瞳を細める。
そうして、どこまでも暗い、地の底にある神殿に目をやった。
「ユージン。私はずっと街が見たかった。星が見たかった。海が見たかったんだ」
彼女は一滴の涙を零す。
「三百年前。私を勝手に祀り上げて縋りついてくる者たちが怖くて、どうしようもなく怖くなって、私はこんな地の底にまで逃げ込んだんだ。ずっと一人で閉じこもって……けど、本当は寂しくて、本当はずっと誰かに会いたかったんだ」
「……そうか」
トワの横顔を見つめて、ユージンは頷く。
昨夜もそうだった。彼女はユージンの腕の中で心の裡を吐露していた。
涙と共に、三百年にも渡るその大きすぎる孤独を。
「分かってる。トワ。お前にもう一度見せてやる。街も、星も、海も。今の人々の営みも。俺も見たことのない未踏の景色さえも。そう――」
そしてユージンは告げるのであった。
「俺たちの《アトラス》と一緒にな」




