幕間一 イミテーションの狂気
自分は天才だ。
間違いなく天才だった。
「――くそッ!」
自分の研究室でその男は、机の上の機材を打ち払った。
年齢は三十代前半か。痩せすぎの体に白衣を着た男だった。
「くそ! くそ! くそッ!」
男は何度も机を両腕で叩いた。
男の名は、カールス=エンデと言った。
「またしてもあの小娘が!」
口角から泡を飛ばして怒気を吐く。
ラガニア王国の主都。天都舟でもあるアルファレス学術都市。
カールスは、アルファレスの技術開発局に所属する研究局員だった。
「またしても私の邪魔をしおって!」
苛立ちが収まらない。
今日、大講堂で行われた学会。カールスは長年の研究の成果を発表した。
それは、現在死蔵されている遺産の再活用ができる素晴らしいものだった。
だがしかし、技術開発局の連中には、その素晴らしさ、それによって開かれる大いなる可能性が全く理解できなかったのだ。挙句の果てには、それは危険ではないかという馬鹿馬鹿しい意見まで出てきた。
(あの無能どもが!)
カールスは、ギリと歯を軋ませた。
だが、そこまではまだいい。天才とは中々理解されないものだからだ。
カールスが苛立つのは、その後のことだった。
あの小娘が発表した研究についてだ。
(……重力制御機関の小型化だと)
机の上に手を置き、カールスは拳を固めた。
天都舟の中枢部にある重力制御機関。天都舟を支える巨大動力炉――大精霊炉の大出力でのみ運用が可能な機関だ。誰も未だその構造を正確に解明したことはない。数ある聖遺物の中でも最も重要かつ特別な存在だった。
それを理論上であっても、あの小娘は解き明かしたというのだ。
そうでなければ、小型化の提案など到底できない。
『私にも、すべてはまだ分からない』
教壇で小娘は言った。
『あれを造ったイジュアール聖は本当に天才なのだと思う。けど、この理論なら小型化の可能性はある。重力制御の1%までなら再現が可能なはず』
大講堂はざわついた。自分の発表の時とはまるで違う反応だった。
カールスは席から立ち上がって叫んだ。
『たった1%の再現だと! そんなものが何の役に立つというのだ!』
『小型化の実現、重力制御の1%の再現が出来るのならば』
小娘は淡々とした眼差しでカールスを見据えて、
『精霊機兵に内蔵し、高速機動による自重の負荷を低減できる。さらなる俊敏性の向上。また最大積載量も上がることで、より重武装も可能になる』
『……ぐ』カールスは言葉を詰まらせた。
他の局員たちも、運搬に活用できるなど様々な可能性を口にした。
カールスは黙り込むしかなかった。
研究局員たちの注目は、完全に小娘の研究内容に移っていた。
最後には盛大な拍手まで贈っていた。
「――くそッ!」
カールスは机を蹴りつけた。
学生時代、彼は『神童だ、天才だ』ともてはやされたものだ。
しかし、あの小娘が現れてからは、彼を天才と呼ぶ者はいなくなった。
「……シエル=フォン=ティルトス」
ラガニア王国にとって最重要とも言える組織・技術開発局。
若干十八歳にして、そこに所属する最年少研究局員があの小娘だった。
しかも局員になったのは十二の頃だ。自分でさえ二十歳からだったというのに。
その上、あの小娘は、知恵の女神の再来だとまで噂されていた。
知恵の女神・イジュアール聖は、言うまでもなくイジュアール聖教の主神である。
イジュアール聖には、一技術者として、カールスも畏敬の念を抱いている。
彼女が残した数々の技術は、神格化されるのも当然の偉業だ。
そんな女神に対し、『再来』などという不遜な言葉は本来許されない。
信徒でないカールスでさえ不快に思うのだ。しかし、大聖堂がその異名を黙認するほどの成果を、あの小娘は築き上げているのである。
例えば、三年前。
あの小娘は『人工精霊』というとんでもないものを開発した。
人間並みの知能を持ち、操縦士の支援を行う人工の精霊を造り上げたのだ。
それは、カールスであっても絶句する代物だった。
今やほとんどの騎士団の機体には人工精霊が組み込まれている。事実上のツーマンセルになったことで、騎士たちの操縦精度は各段に上がったという。現在は試行段階だが、世界中に展開される日も、そう遠くはないだろう。
「……くそ」
カールスは、苛立ちの声を吐き出した。
恐らく、あの小娘は歴史に名前を残す人間だ。
かのイジュアール聖と同じく、本物の『天才』なのだ。
だとすれば、自分は一体何なのか。
ずっと、ずっと『天才』と呼ばれていた自分は――。
「……私は本物なのだ。偽物などではない……」
両手で顔を覆った。
本当は自分でも分かっていた。
あの女こそが本物であり、自分は偽物に過ぎないということは。
結局、自分は並みよりは少しばかりマシ程度のイミテーションなのだ。
本物の輝きを目の当たりにしたからこそ、それが嫌でも分かってしまう。
「何故だ、何故なのだ……」
カールスは両手を机に突き、深く俯いた。
許せなかった。どうしてこんな思いをしなければならないのか。
あの女さえいなければ、こんな惨めな思いをすることもなかったというのに。
(殺してやる……あの女を殺してやる)
激しい憎悪が湧いてくる。
(いや、ダメだ)
だが、すぐに思い直した。それではダメだ。
あの女は、知恵の女神をなぞるように『叡智の聖女』などと呼ばれている。
死ねば、恐らく偉人として神格化されるだろう。そうなれば、あの女の功績、あの女の名声をずっと聞かされ続けることになる。考えるだけでゾッとする話だ。
(殺してはダメだ。そうだ)
カールスは微かに顔を上げた。
(ならば、あの女から知性を奪ってやる)
あの天才の頭脳から、そもそもの思考能力を奪ってやるのだ。
方法なら幾らでもある。苦痛、薬物、そして快楽も――。
(ああ、そうだな)
カールスは、ニタリと笑った。
これまでの怒りや絶望から一転、男としての暗い欲望が湧いてくる。
天が二物を与えたのか、あの女は容姿もまた素晴らしかった。
あれを汚してもいいと考えると、背筋がゾクゾクとした。
――そう。あの女は殺さない。
理性も知性を奪い、自分に懇願だけする愛玩動物にまで堕としてやる。そして、その無様な姿を見ながら、あの女が死ぬまで監禁して飼い殺してやるのだ。
(ああ、なんと素晴らしいアイディアか)
天井を見上げて、カールスは晴れやかな顔をした。
先ほどまでの淀んだ気持ちも消えていくようだった。
だが、問題もある。
まずあの女を拉致する必要があるが、これに関してはそこまで難しくはない。しかし、殺害して遺棄ならともかく監禁は困難だった。あの女が行方不明になれば、間違いなく大規模捜索がされるだろう。この閉ざされた天都舟内で監禁し続けるのはまず不可能だ。
(どうするか)
カールスは、瞳を閉じて思考を巡らせる。
文字通りに腐っても、かつては天才と呼ばれた明晰な頭脳をだ。
(偽装の必要がある。だが、どうやって? アルファレスの中では難しい。地上か? 確かスケジュールでは一カ月後にあの都市へ……)
室内に沈黙が降りる。それは数十秒ほど続いた。
ややあって、カールスは瞳を開けた。
そして、
「……シエル=フォン=ティルトス。必ずお前を手に入れる。そして壊してやるぞ」
どこまでも暗い。
まるで闇の底にいるようなその瞳で、カールスは呟く。
「……そう。どんな手を使ってでもだ。クハ、クハハハ……」
その笑みには狂気が宿っていた。
壊れたような笑い声が、ただただ室内に響くのであった。
誰にも何も告げずに、カールス=エンデが、アルファレス都市から忽然と姿を消したのは、この三日後のことだった。
三日連続で投稿します。
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