第二章 真夜中の狩り④
――わしゃわしゃわしゃ。
五分後。《アーススフィア》地下のバスルームにて。
深夜に狩りされてきた仔猫――ラグは丸洗いされていた。
いきなり裸にひん剥かれて、今は泡塗れで髪を洗われている。
立場的に一応は捕虜なので、ラグは大人しくバスチェアに座っていた。そしてそんな彼女の髪を洗っているのは流石にユージンではない。裸のトワだった。
「う~ん、やっぱりだいぶ汚れているな」
「……オレは風呂が嫌いなんだよ」
トワの呟きに、ラグがぶすっと答える。
(つうか、なんで風呂まであるんだよ。ここは精霊機兵の中だろ)
流石に呆れてくる。旅団車両でさえ小さなシャワールームがある程度だ。こんな浴槽にシャワーまで完備しているバスルームはない。本当にとんでもない設備だった。
(それにこの人もなんかすげえ……)
顔を動かして、ちらりと後ろのトワを見やる。
(肌が綺麗すぎて雪みてえだ。おっぱいでけえな。腰ほっそ)
同性でも思わず魅入ってしまうほどの完璧なスタイルだった。しかも、美貌に至っては神秘的だと感じるぐらいである。
(……知恵の女神さまってこんな感じなのかな?)
育った孤児院がイジュアール聖教の教会でもあったため、何気にラグはイジュアール聖教の信徒でもあった。聖典も何度も読んでいた。
(確か名前はトワさんか。あの人の……奥さん)
それを考えると、不意にちくりと胸の奥が痛んだ。
ラグは眉根を寄せて胸元に視線を落とす。と、
「むむ。それはダメだぞ」
トワがそんなことを言い出した。どうやら風呂嫌いの台詞に対してのようだ。
「これからは常に綺麗にして備えておかないとな。私もそう心掛けてる。さて」
トワはシャワーヘッドを取ると、ラグに頭にお湯を掛けた。髪から体まで一気に泡を流し落としていく。お湯と共に泡は排水口に消えていった。
(お。やっと終わりか?)
ブルブルと顔を振って、ラグはネコのように髪の湯を払った。
すると、その髪をトワがそっと掴んだ。
「髪質がとても柔らかいな。乾かすとふわりとしそうだ」
「おう。そうだな」ラグは振り向いて言う。
「昔はそんな感じだった。最近はちょっと脂っぽくなってたけど」
本来のラグの髪質はとても柔らかい。少しウェーブしているほどだ。
トワは「うんうん」と頷きながら、ラグの右腕を取った。ラグの手を横に上げさせて、その肩から手首へと、すうっと片手でなぞっていく。
「うん。よし。褐色の肌も綺麗だな。肌質がきめ細かい。体のところどころにあざがあるようだが、この程度なら痕に残ることもないな」
「ん? そうか?」ラグは少し眉根を寄せた。「さっきから何言ってんだ?」
「美貌も申し分なし。口調は男勝りか。けど、それは個性だな。おっぱいは小ぶりだが、年齢的にも成長の可能性は充分にある。まあ、このまま小さくてもそれもまた個性だ」
「……いや。マジで何言ってんだ?」
ラグは訝しげな表情でトワを見つめた。
最後にトワは「……ふむ」とあごに手をやって呟き、
「精霊素は……ほう。相当に多いな。流石に大瀑布のようなユージンには遠く及ばないが、常人の五・二七二四倍ほどあるな」
「数字細かっ! つうか、あんた、なんでオレの精霊素量を知ってんだ!」
ラグは立ち上がって目を瞬かせると、トワは「私の特技だ。検査キットを使わずとも精霊素量を視認できる」と言ってきた。
「え? マジで? 視えるものなのか、それって?」
ラグは目を丸くする。と、
「私の瞳は特別なのだ。それよりもラグ」
トワはニカっと笑って告げる。
「入浴も選定も終わりだ。そろそろ上がろう。ユージンが待っているぞ」
――十分後。
ユージンを含めて、三人は一階のダイニングキッチンにいた。
元々の服がボロボロだったので、ラグはトワのワンピースを借りていた。
(……むむ)
ソファーに座りながら、ラグは内心で呻いた。
少女として流石に少し思うところがある。
なにせ、腰はともかく、ある部位があまりにもぶかぶかだったからだ。同じ格好をするトワが隣に座るためにその差は明確だった。
「ココアが入ったよ」
そんなラグに、ユージンがココアを入れてくれた。
湯気が立つホットココアだ。その香りを嗅ぎつつ、ラグは口にした。
(……美味い)
体と心に沁みていくような美味しさと温かさだった。
ユージンはトワにもココアを渡すと、自身もソファーに座った。
そして、
「さて。じゃあ、話を聞かせてもらえるか?」
ユージンは本題を切り出した。
ラグはこくんと頷き、自身の過去について語った。
小さな村の孤児院出身であり、魔獣に滅ぼされ、傭兵団に拾われたこと。精霊素が多いため、無理やり団員にされて斥候のような仕事をしていたこと。傭兵団の実態は強盗団であり、獲物の選別と調査を任されていたこと。
淡々とした声で、主にこの三年間のことを語った。
怖くて、奴らがどうしようもなく怖くてずっと従っていたこともだ。
「……そうか」
話を聞き終えて、ユージンは嘆息した。
大体は想像通りの事情だった。まさに悪名通りの輩だった。
「クズの本質は今も昔も変わらないな」トワが遠い目をして語った。
「大昔に剣や槍を持って『冒険者』と呼ばれていた者たちの中にもクズはいたものだ。奴らもやっぱり同じようなことをしていたな」
知恵の女神は嘆息する。
『しかし、ユージン。ラグさんを保護したのはいいですが、これからどうするのです? 本意でなくとも彼女は強盗団の一員なのでしょう?』
と、シドが尋ねる。
「そうだな。たとえ事情があったとしても強盗団に所属していたことは重罪だ。もしラグを国に引き渡せば……」
そこでユージンは口を噤いだ。その先を告げることは流石に躊躇われる。
なにせ、捕縛した強盗団は見せしめとして、大抵の場合、処刑されるからだ。
「……オレは……」ラグはグッと唇を噛んだ。
「オレが調べて報告したせいで死んだ人たちもいる。本当に大勢いるんだ。許されねえのは分かってるよ。死罪ならそれも受け入れるつもりだ。けど……」
カップの中のココアを見つめながら、訥々と呟く。
「もし、運よく命が拾えたのなら、いつか夢を叶えたいな。オレの夢を」
「……夢?」トワがラグを見つめて尋ねる。「どんな夢だ?」
「……え?」
ラグは顔を上げて、トワを見る。
それから躊躇いつつも、小さな声で「操縦士になりたいんだ」と答えた。
その言葉に、現役の操縦士であるユージンもラグに目をやった。
「あんたは凄い操縦士だった」ラグはユージンを見つめる。
「本当に凄かったよ。無茶くちゃ強くて。オレは魔獣狩りになりたかったんだ。あんたみたいな凄い操縦士になりたかったんだ」
「……そうか」
ユージンは瞳を細めた。自分に憧れを抱いてくれたことは光栄に思う。
だが、彼女の夢を叶えるには、非常に厳しい現実が立ちはだかっていた。
(情状酌量の余地はあるが、やはり厳しい状況だな)
救ってやりたいとは思うが、良い案が中々思い浮かばない。
「うん。もう夢だよ。もし生まれ変われるなら、オレは次こそ操縦士になりたいな」
すでに死罪を覚悟してか、ラグはそんなことを言った。
すると、
「ん? なんで来世だ? なりたいのなら今なればいいだろう」
不意にトワがそう告げた。ラグもユージンも「「え?」」とトワに注目する。
「そもそも、さっきから、なんでラグを他国に引き渡す感じになっているんだ?」
トワは小首を傾げた。
「だって、ラグはユージンが狩りしてきたんだぞ。うちが捕まえたんだ。どうして知らない国に渡すんだ? どうしてそいつらに裁かれないといけない?」
「……いや。トワ」ユージンが困ったような顔をした。
「一応、国際法というのがあってな」
「そんなものは知らないな。私はどこの国にも所属していないからな」
渋面を浮かべてトワは言う。
「だから、私は私のルールに従うんだ。他の国なんて知らない。なら……うん、決めた。今から法律を作る。トワイライト法の設立だ。この《アトラス》と《アーススフィア》内における何よりも優先される法律だ」
『……凄いことを言い出しますね。トワ』
思わずシドがツッコミを入れた。対し、トワは「ふふん」と鼻を鳴らした。
「《アトラス》は私が造ったんだぞ。私の意志が優先されて当然だ。だから、トワイライト法の立法、行政、司法の三権すべてを持つ私が裁きを下してやろう」
そう告げて、トワは立ち上がった。
そして唖然とするラグを指差しながら、
「ラグっ! お前に裁きを申し渡すぞ! お前は――」
即座に判決を下すのであった。




