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10.資格を持つ者

文章がおかしい、誤字脱字等ありましたら申し訳ございません。

 ――暗い。


 音も、光も、何もない。

 怖い……自分さえも溶けて、消えていきそうな感覚だった。

 指先の感覚が薄れていく。自分の輪郭が闇に溶けていくようだった


 ドクン……ドクン……


 それは心臓の鼓動ではない。

 もっと深い場所で、もっと古い何かが、ゆっくりと目を覚まそうとしている。


 冷たい空気が肌を撫でる感覚。

 足元はどこまでも深い闇。

 視界は揺れ、形のない影が漂っている。


 その中で、誰かの声がした。


「……アルス。目覚めてはいけないわ――」


 かすれた声。

 懐かしいようで、知らないようで――それでいて胸の奥を強く締めつける声。


 伸ばそうとした手は、闇に溶けていく。


「お願い……あなた――幸せに……」


 声は祈るように、それでいて慈愛に満ちている。


「アルス。あなたは――」


 僕の意識は再び深い闇に沈む。



「アルス! 起きて! アルス!」


 メルの声が聞こえる。

 だんだんと意識が浮上していく感覚だ。


「大丈夫なの? ゲインといったわね! 何か知っているんじゃないの!?」


「わ、私にもわかりませぬ……アルス様!」


 テアとゲインだ。


 ゆっくりと瞳を開ける。


「アルス! よかっ……た」


「え! 貴方……その瞳――」


 テアの視線が僕の瞳に吸い寄せられる。

 まるで信じられないものを見たような顔をしている。


 ゲインは僕の顔を見て凄く悲しそうな顔をしている。


 ああ……すごく世界が広く見える。

 まるで世界そのものが、僕に何かを教えてくれているようだった。


 瞳を閉じると、外にいる人々の動きや声が、まるで空から見下ろしているように感じられる。

 音が線になって流れ、気配が形を持って迫ってくる。

 

 視界は揺れ、形のない影が漂っている。


 それなのに――世界が“輪郭”を変えていく。


「ゲイン……」


「アルス様……その力は使ってはなりませぬ。これから先の御身のために……どうか」


 ゲインはこの力のことも知っているのだろうか。


 外の剣戟の音が酷くなっている気がする。

 耳を澄ませれば、「近衛隊の増援だ! シャルゼ団長! 一度立て直しを――」

 そのような声が聞こえる。


 僕は瞳を開く。


 今どうなっているんだろう。


 シャルゼと呼ばれた騎士と、その仲間たちが戦っている。

 だけれど、どうやら劣勢のようだ。


 シルベスト兵もこの館を守るので精一杯だ。


 魔力が……止まっているのか?

 空気中の魔力が、まるで流れていない。

 時間が止まったように、粒子が静止している。


 瞳は空気中の魔力が止まっているように見えている。

 これでは魔力関係なく単純に兵士の数に押し切られる。


「団長! このままじゃ……」


「方陣を組め! せめて、アルス様が逃げるだけの時間を稼げ!」


 シャルゼが目の前の敵を切り飛ばす。

 月影騎士団は相当強いのだろう。影は広がるが、押し寄せる兵の数がそれを飲み込もうとしていた。


 また、僕のために……命を張ろうとしているのか。

 君たちの人生はそれでいいの? 僕の何を信じている?

 

 僕は……何もしてやれないのに――。


 その時、僕の両手に温かい感触。


「メル……テア……」


 その顔を見ると無理して笑っているのだろうか。

 手も少し震えている。


 後ろを振り返れば戦闘準備を終え、いつでも戦おうとする仲間たち。

 カイとレオはしょうがないな、といった顔をして剣を持っている。

 フィンやノエルも弓を持っている。

 普段は臆病なボラムも覚悟を決めた顔をしている。


「アルス。俺たちは傭兵だぜ? 戦うだけだ。そして、お前は参謀だ。それだけだろ?」


 その顔は笑っている。死ぬかもしれないとは微塵も思っていない顔だ。


「いつもこうだぜ……」「仕方ないよー」「僕たちもなれたよ!」「ええ……慣れてないよ……」


 皆の声が聞こえる。

 その雰囲気はいつもと変わらなくて……いや、いつも僕が一歩引いてみていただけだ。

 

 大人ぶって……達観して……世界をいつも恨んでいる。


 僕は何もできないと決めつけて……

 自分から何かをしようともしていないのに――


 自分から信じてきたのか? 僕は……人を! 


 信じてきたのか!? 僕は! 自分は!


 ――ドクン。


 胸の奥で、何かが強く脈打った。

 その瞬間だった。



 ――お前は万民の人生を変えられるか?――



 声が聞こえた。


 今まで聞いたことのない声。

 それでも、その言葉が僕自身に問いかけられていることだけは分かった。


 ――再度問う。お前は万民の人生を変えられるか?――


 そんなの……分からない。


 人の人生を変えられるかなんて、その人自身が決めることじゃないのか。


 だけど――。


 僕が変えられる人生があるのなら。

 僕を信じてくれる人がいるのなら。


 僕は……。


「僕は……変えたい……!」


 ――……いい答えだ。――


 声が響いた。

 次の瞬間、身体の奥から凄まじい魔力が一瞬だけ溢れ出した。


「な……に……?」


 青い光が、僕の身体から溢れる。


 それは部屋を満たし、壁をすり抜けるように外へと広がっていく。

 帝都のどこかで、誰かが声を上げた。

 そして――。


 帝都全域を、一瞬だけ青い光が走った。


「アルス……?」


 メルの声が聞こえる。何が起きているのか、僕にも分からない。

 ただ、世界が一瞬だけ近くなったような感覚があった。


 遠くにいる誰かの存在。

 戦場を駆ける兵士たち。

 剣を握る者。

 傷つきながら、それでも立ち上がろうとする者。


 そのすべてが、一瞬だけ僕の中へ流れ込んできた。


「……っ」


 頭の中に、無数の声が響く。


 怖い。


 死にたくない。


 守らなければ。


 勝たなければ。


 ――そして。


 信じている。


 その言葉が聞こえた瞬間、胸の奥が熱くなった。

 だけど――。


 次の瞬間、青い光は消えた。


「……え?」


 世界が元に戻る。

 先ほどまで感じていた無数の気配も、嘘だったかのように消えていた。

 僕は自分の手を見つめる。


「……今のは……何だったんだ?」


 答える者はいない。ただ、ゲインだけが青ざめた顔で僕を見ていた。


「ゲイン……?」


「…………」


 ゲインは何も答えなかった。


 その目には、驚きと恐怖――そして、どこか懐かしむような色が浮かんでいる。


 僕はもう一度、自分の手を見る。

 何も変わっていない。

 傷ついた身体もそのままだ。

 魔力も、先ほどのような圧倒的なものは感じない。


 それなのに――。


 胸の奥には、確かに何かが残っていた。


 まるで、まだ開いてはいけない扉の向こうから、誰かがこちらを見ているような感覚。


 そして、最後に聞こえた声だけが、頭の中に残っていた。


 ――資格を持つものよ――


 その意味を、僕はまだ知らなかった。

 不意に右手の甲が熱くなる感覚があった。


「っ……熱」


 僕がその手を見てみると、見たことのない紋章が浮かび上がっていた。

 ゲインが慌てて駆け寄り、僕の手を取った。


「こ、これは!」


 そして、右手の甲に刻まれた紋を見つめていると――。


 ドォンッ!


 外から轟音が響いた。


「きゃっ!」


 メルが身体を震わせる。続いて、怒号が聞こえてきた。


「敵が館まで迫っているぞ!」


「押し込まれている!」


「このままでは持たない!」


 僕は立ち上がろうとする。


 身体はまだ重い。

 さっきの力が何だったのかも分からない。


 だけど――。


「アルス様!」


 ゲインが僕の前に立った。


「今は考えている場合ではありませぬ。ここを離れなければなりません!」


「でも……外にはまだ月影騎士団が――」


「だからこそです!」


 その時だった。


「――全軍、突撃!」


 外から、今までとは違う声が響いた。

 次の瞬間。

 大量の足音が地面を揺らした。


「な、なんだ!?」


「新手だ!」


「敵の援軍か!?」


 窓の外を見る。そこには、青と金の旗を掲げた兵士たちがいた。

 先頭を走る騎兵が剣を掲げる。

 その旗に描かれていたのは――。


「アークレイン家の紋章……?」


 テアが呟いた。


「どうして……?」


 ゲインが窓の外を見て、目を見開く。


「まさか……太公自ら……」


 その言葉を裏付けるように、一人の男が戦場へ姿を現した。

 鎧を身にまとい、周囲の兵士を従えている。


 アークレイン太公。


 彼は剣を抜くと、迫り来る敵兵へ向かって叫んだ。


「正統なる帝国の後継者に刃を向ける愚か者どもめ! 突撃せよ!」


 その声と同時に、私兵たちが一斉に敵陣の側面へ突っ込んでいく。


 戦場の流れが変わった。

 押し込まれていた月影騎士団が、反撃へと転じた。


「今だ!」


 シャルゼの声が響いた。


「アルス様を帝都の外へお連れする! 中へ!」


「了解!」


 騎士たちが一斉に動き始める。

 シルベスト側もそれを知ったのだろう。門を開き月影騎士団と合流している。


「アルス、走れる?」


 メルが僕の手を握る。


「うん……大丈夫」


 まだ身体は重い。けれど、今は立ち止まっている場合じゃない。

 館を出るとそこには、さっきまでとはまるで違う光景が広がっていた。


 帝都の街路には兵士が溢れ、あちこちで剣戟が起きている。煙が上がり、建物の壁は崩れ、人々の叫び声が響いていた。


 僕は思わず足を止める。


「……これが……帝都……」


 僕が知っている帝都とは違う。


 いつも人が行き交い、活気に満ちていた街が、今は戦場になっている。


「アルス様! 止まらず! さあ! お早く!」


 ゲインの声に我に返る。


「……うん!」


 走る。


 カイたちも僕の周囲を固めている。後ろでは、アークレイン太公の私兵と月影騎士団が敵を食い止めている。


 何度も振り返りそうになる。


 だけど――。


 今は逃げるしかない。

 やがて貴族区を囲む第二城壁の門が見えてきた。


「門の周りにも敵が!」


 その先で敵が待ち構えているのが見えた。

 だが、すぐに両脇から騎兵が躍り出る。

 

「アルス様! さぁ先へ!」


 月影騎士団の騎士が数騎敵へと突撃していく。


 今まで顔も見たことも話したこともない人たちだ。


「必ずお通しせよ! 魔力はもう使えるな! やるぞ! 〈身体強化(フィジカル)〉」


 そのまま突撃し、敵と切り結ぶ騎士たち。

 そしてそのうちの一人が僕たちを誘導する。


「ゲイン様! お願いします!」


「っ……大義!」


 騎士たちの壁の間をすり抜けるようにして通る。

 テアやシルベスト王たちも続く。


 そして、その騎士は敵に埋もれるようにして消えていった。

 最後に見えた彼の顔は、僕を一度見て笑っていた。


 まるで、僕たちを逃がせたことに満足しているように――。


 僕たちは門を抜けた。


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